何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

プロ意識の有無と「ど素人」

2006-06-25 19:33:29 | 思いつくまま
 福井日銀総裁ともあろう者が、その要職にありながら自らを律する行動がとれず、自分は「ど素人」であると表現し、周囲を唖然とさせた。
 その相手であった村上世彰は、自らを「プロ中のプロ」と認め、その自分が犯した失策だと認めた。
 ジーコジャパンは、予選で1勝もできず、ジーコ監督は日本代表にはプロ意識が足りない、と残念がった。「選手を縛らず、戦術も含めて自ら判断する自由を与えた。さらに上を目指すには、一人一人の自立が欠かせないと考えていたのは間違っていない。しかし、そこまで育たなかった」(朝日新聞 2006.6.24 社説)。日本代表なんだから、その人をおいて右にでる者はいないはずの選手が集合したにもかかわらず、いろいろな意味で能力不足を露呈させた。

 一般的に見てとても素人とは思えないはずの人が、さまざまな反応を見せてくれる。みなさん、プロじゃないんですか? そのみなさんが、それほどまでにプロらしくない行動や結果に至るのは、いったいどうしてなんですか、と問いたい。

 プロって、いったい何が備わっていることを意味するのだろう・・・。単に、その道で給料をもらっていればプロなのか。それだけじゃないのではないか。ましてや、それぞれの分野で頂点を極める人たちは、並みのプロの次元を超えたものを持ち合わせているのではないだろうか。

 中田英寿は、ブラジル戦終了後、しばらくピッチを立てなかった。選手との間の不協和音らしき報道もあった。何が自分たちに欠けていたのか、それを改めて思い知らされたのではないだろうか。またそれは、自分がヨーロッパへの道を切り開き、本場のサッカーを通じて学んだことであり、それこそ一番日本チームに伝えたかったことではなかったのだろうか。チームもふがいなかったが、それを伝授しきれなかった自分が情けなかったのではないだろうか。それがセンターサークルに寝そべらせてしまった原因のように思われた。

 「組織と個人能力は対立軸ではなく、両方備えてこそ、強いチームになる。やっぱり個人能力重視はだめだと、組織頼みに針を戻すようでは、日本サッカーは退行するだけだろう」(朝日新聞 2006.6.24 1面)

 プロかどうかは、自ら判断する部分と、周囲が認める部分とからなるように思えた。技術のみならず、意識やモラルをも備えてこそ、プロだ。プロの反対はアマチュア。発展途上ということか・・・。少なくとも、甘い考え(でもいい)の「アマ」ではないのだろう 
Comments (2)
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