何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

ルールは単に守っていればいいか?

2006-06-17 00:00:02 | 思いつくまま
 ニッポン人脈記 秋霜烈日のバッジ14 朝日新聞 2006.6.16 夕刊
-----転載ここから
 (桐蔭横浜大のコンプライアンス研究)センター長の教授、郷原信郎(51)は3月まで検事だった。
「三菱自動車のリコール隠しのように、コンプライアンスに失敗すると死活にかかわる。でも、日本の企業のとりくみはまだ十分とはいえないですね」
 コンプライアンスとはいったい何か。「法令順守」と訳されているが、法律やルールを守ることだけなのだろうか。(中略)

 04年、元上司の引き合わせで、工学院大教授の畑村洋太郎(65)と出会う。畑村は「失敗学」の創始者である。
 失敗から目をそむけるな。分析し、学ぶことから成功への道が見えてくる。「マニュアル通りにやっているからよいと考えたとたん、だめになる」。東大教授として機械工学を教えていたころに書いた「失敗学のすすめ」(講談社)はベストセラー。
 畑村は、軽い沢での勉強会に出た郷原に、ふと言った。「コンプライアンスを法令順守と訳すのはおかしいよ」。そのことばが郷原の目を開く。
 「順守」は単にルールを守っていればいいという考え方になりやすい。企業体質、制度の問題、市場のゆがみ。あらゆる観点から原因を洗い直すことが欠かせない。三菱自動車はそれをおろそかにして失敗した。
 「法令やルールが何のためにあるのかを根本から理解することが大切だ」。(後略)
-----転載ここまで

 自分の周りを見ていると、なぜか思いつきで物事を進めて、ある時、それが違法じゃないかどうか確かめる風潮がしばしばある。思いついたことが、奇抜で優れているような錯覚をしていることに気づかず、いざ実施する直前になって、ひょっとしたら法に触れるかどうかと心配する。

 何の事は無い。思いつきのアイデアは、大抵ろくでもない中身といってもよい。もともと自信なんぞ、あったわけでもない。日頃から温めていたものが土台になっていないからだ。だから、効果があるかどうか、当たれば儲けものくらいのことにすぎず、違法だったらマズイという判断のほうが勝ってしまい、心配が先立つ。自信も確信もあれば、もともと関連法規に抵触するかどうか、当然のこととして心得て、予め考慮されているものだ。

 えてしてそんなつまらぬアイデアは、たいしてコンプライアンスに触れるほどのこともない。しかし、モラルに照らし合わせると、大きく疑問符のつくものであることがしばしばだ。

 法に違反するかどうかは、後ろ向きの確認であることが多い。社会に何を問いかけていこうとしているのか、どのように社会に貢献したいと考えているのか、そういう前向きな精神のもとから出されるものには、法律そのものではなく、法が言わんとする、行間や背景に隠された本質をふまえたものがあるような気がする。

 だから思いつきの、急場ごしらえで考えた程度のアイデアでは「李下に冠を正さず」の考えは欠落しているようなことが多い感じがする。李下にいるかどうか、その自覚もなく思いついたアイデアにすぎないことの証明のようだ 
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