何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

副作用による訴訟から何を学ぶ?

2005-07-29 17:44:54 | 薬害は人災だ
イレッサ 患者自身が初の提訴 国と販売元に550万円賠償求める (産経新聞) - goo ニュース

 被告は国とメーカーだが、患者に直接投与したのは医療従事者だ。しかし、患者は裁判でいろいろな情報を知るうえで、容易に医療従事者を向こうにまわせない。
 こんな危ないものさえ世の中になかったら、こんな目には遭わなかったのだから、それを承認した国やメーカーにも責任がある、というものだ。
 既に、葛藤がある。敵かもしれない相手と共闘しなければならないのだから。

 危ない薬を使った時点で、医療従事者にだって責任は発生している。薬があれば使っちゃうのが医療従事者だから、存在させたこと事態が責められるべきなんだろうか。

 確かに、期待に目が眩んだかのように、慎重さが欠けていた感は否めない。ゼネカは新薬に飢えていたはずだ。しかも高薬価。ピカ新。

 医療従事者は自分たちも被告席に置かれたと思わなきゃいけないと思う。いったい自分は何をしてきたんだろう、何をすべきだったんだろう、今からでもいいから、何をしたらいいんだろう・・・。

 今後期待先行のピカ新に対し、冷静に受け止められるだろうか・・・、なんせメーカーの売り込み攻勢たるや、すざまじい。適切な人にだけ使え、なんて論調はないんだから、難しいところは「主治医の判断」の陰に隠れちゃうんだから。

 新薬ほど、その情報はメーカーに頼らざるをえない部分が大きい。メーカーは都合のいいような巧みな表現で情報を流す。どこまでそれを批判的に見られるかだ。
 投与するのなら、その後は夜も眠れぬほどに監視を怠ってはならない文化は、まだまだ先のことなのかもしれない。



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