パロマ不正改造、元社員「何度もやった」
一酸化炭素(CO)中毒事故が相次いだパロマ工業製の瞬間湯沸かし器に関し、パロマの複数の元社員が読売新聞の取材に対し、安全装置が機能しないようにする不正改造を行っていたと証言した。
修理を行う系列の「パロマサービスショップ」の従業員が不正改造を行っていたことは裁判記録などで判明していたが、社員の関与が明らかになったのは初めて。元社員らは「部品がない時に応急措置として行った」としているが、このうちの一人は「先輩に教えられ、何度もやった」と話しており、不正改造がパロマ内部で日常的に行われていた可能性が浮上してきた。
不正改造は、安全装置などを制御する装置(コントロールボックス)の電気配線を付け替えるもので、排気ファンが停止してもガスが供給されるようになる。このため、電源コードがコンセントから外れるなどしてファンが止まるとCOが充満して事故につながる。 (読売新聞) - 8月11日6時59分更新
当初は、パロマの与り知らぬところで行われていた不正改造が原因だということで押し通してきたが、いよいよパロマも知っている中で現実があるとなると、事故も「事件」に変わる、まさに人災の様相を帯びてきた。
つくづく思うのは、ISO9001を取得して、それで運用してきたのだから、その仕組みの中でなぜ防止できなかったのか、ということだ。内部品質監査が自浄作用を持たなかったのだろうか、いえ持てないのだろうか。残念でならない。
・修理依頼や実績は、製品にとって好ましくないことだから、それが繰り返されていたのは、是正処置が適切に取られていなかった(8.5.1)
・予防処置が不十分だった(8.5.2)
・必要な処置がとれないほど、内部で情報が適当な人に伝達されていなかった(5.5.3)
・必要な処置とは、何をすべきであっって、何はすべきでないか、理解できていなかった(6.2.2)
などが考えられるが、こうもいろいろな場面が出てくるということは、「顧客重視の組織運営が出来ていなかった(5.2)」ということではないだろうか。
誰がその文化を作るかって、トップマネジメント以外にありえない。ISO9001をトップが推進役として、陰に日向に熱心に取り組むかどうかで、組織が大きく違ってくるのだろう。
トップに問題があったということで思い出されるのは、東横インである。トップが利益優先で不正改造を行っていたのだ。あれと似た構造だ。パロマがどこまで利益優先かどうかはわからないが、パロマ工業の社長が辞任して、パロマの社長(=息子)が辞任しないとなると、同属経営が影響しているようにも感じられる。
内部品質監査が事件や事故を防げないのは、まさにトップにメスが及ばないということだろう。わかっていても届かないもどかしさを感じている者は、世の中にたくさんいるのだ(自分ばかりではなかった!)。
別の言い方をすれば、それこそISO9001の限界なのだろうか。身を投げ出しても防ごうとでもしなければ、組織は守れない。事件の身代わりになって、組織が残れば、ひいては不適切な判断をするトップをも守ってしまうことにもなり、一方で原因を抱えた者によって自らの立場を奪われるといった、割りに合わないことをするのが、内部品質監査員のようでもある。それじゃ、苦しすぎないか
では内部品質監査員は、そういったトップをいかに顧客重視に変えるかどうか、基本姿勢の転換を図るか、それが究極の任務のようにも思える。ちょっと悲しいかな。
一酸化炭素(CO)中毒事故が相次いだパロマ工業製の瞬間湯沸かし器に関し、パロマの複数の元社員が読売新聞の取材に対し、安全装置が機能しないようにする不正改造を行っていたと証言した。
修理を行う系列の「パロマサービスショップ」の従業員が不正改造を行っていたことは裁判記録などで判明していたが、社員の関与が明らかになったのは初めて。元社員らは「部品がない時に応急措置として行った」としているが、このうちの一人は「先輩に教えられ、何度もやった」と話しており、不正改造がパロマ内部で日常的に行われていた可能性が浮上してきた。
不正改造は、安全装置などを制御する装置(コントロールボックス)の電気配線を付け替えるもので、排気ファンが停止してもガスが供給されるようになる。このため、電源コードがコンセントから外れるなどしてファンが止まるとCOが充満して事故につながる。 (読売新聞) - 8月11日6時59分更新
当初は、パロマの与り知らぬところで行われていた不正改造が原因だということで押し通してきたが、いよいよパロマも知っている中で現実があるとなると、事故も「事件」に変わる、まさに人災の様相を帯びてきた。
つくづく思うのは、ISO9001を取得して、それで運用してきたのだから、その仕組みの中でなぜ防止できなかったのか、ということだ。内部品質監査が自浄作用を持たなかったのだろうか、いえ持てないのだろうか。残念でならない。
・修理依頼や実績は、製品にとって好ましくないことだから、それが繰り返されていたのは、是正処置が適切に取られていなかった(8.5.1)
・予防処置が不十分だった(8.5.2)
・必要な処置がとれないほど、内部で情報が適当な人に伝達されていなかった(5.5.3)
・必要な処置とは、何をすべきであっって、何はすべきでないか、理解できていなかった(6.2.2)
などが考えられるが、こうもいろいろな場面が出てくるということは、「顧客重視の組織運営が出来ていなかった(5.2)」ということではないだろうか。
誰がその文化を作るかって、トップマネジメント以外にありえない。ISO9001をトップが推進役として、陰に日向に熱心に取り組むかどうかで、組織が大きく違ってくるのだろう。
トップに問題があったということで思い出されるのは、東横インである。トップが利益優先で不正改造を行っていたのだ。あれと似た構造だ。パロマがどこまで利益優先かどうかはわからないが、パロマ工業の社長が辞任して、パロマの社長(=息子)が辞任しないとなると、同属経営が影響しているようにも感じられる。
内部品質監査が事件や事故を防げないのは、まさにトップにメスが及ばないということだろう。わかっていても届かないもどかしさを感じている者は、世の中にたくさんいるのだ(自分ばかりではなかった!)。
別の言い方をすれば、それこそISO9001の限界なのだろうか。身を投げ出しても防ごうとでもしなければ、組織は守れない。事件の身代わりになって、組織が残れば、ひいては不適切な判断をするトップをも守ってしまうことにもなり、一方で原因を抱えた者によって自らの立場を奪われるといった、割りに合わないことをするのが、内部品質監査員のようでもある。それじゃ、苦しすぎないか

では内部品質監査員は、そういったトップをいかに顧客重視に変えるかどうか、基本姿勢の転換を図るか、それが究極の任務のようにも思える。ちょっと悲しいかな。