庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

現代では言葉の力と弊害を充分に認識して「低炭素」を見直せ。

2011-09-12 | 国語・日本語・漢字
経済産業大臣が早くも言葉の問題でつまずき、放射能という国民の最大不安要因である深刻な事態を、悪ふざけ気味に、「放射能をつけちゃうぞ!」と、子供の様な低レベル発言で辞任した。
今の時代は、マスメディアだけでなく、インターネット、SNS(個人発信仲間)など、少しの過剰な言葉の影響と氾濫で、思わぬ弊害を生み出すから、慎重に扱かわなければならない。
言葉によって「空気が作り出され、被害を被る人への悪影響」を、充分に考えるべきである。

今回のトラブルは、本人の認識の浅さと軽々しい言動が主な原因であるから、根っこは深くない。
しかし、言葉を不注意にとらえて、表面的な感覚だけでイメージを操作されることは、もっと根が深い弊害を生み出す。
このイメージ作りの策略を、言葉の選択と巧妙な論理で、国民の意識を洗脳して来たことで、今回の原発の大事故を招いてしまったことに、気付く必要がある。

それは、「低炭素社会を目指す」という、一見、聞こえの良いスローガンによって、日本社会は原発を承認だけでなく将来は大増設をする、という、今から見れば無謀ともいえる「将来エネルギー戦略」を、国家の中枢を担う人たちの意識を、原発推進に染め上げてしまった。
「低炭素社会」とは、言うまでもなく、温暖化対策を重視して「化石燃料の消費を減らすことを最優先にしたエネルギー社会」のことである。

将来世代に多大の悪影響を及ぼす炭酸ガスの排出を減らして、地球温暖化を少しでも軽減しようという、環境問題に関心の高い人たちに共感を覚えさせる「意図的な言葉」を選んでいる。
それは、低炭素エネルギーと言えば、【原子力発電】が最も適していると言いたいからである。
このあたりの狙いは、このブログの2009年6月22日『低炭素社会はごまかしのための合言葉』と、6月23日『言葉の操作によってつくられる空気に流されるな!』で、その不条理と危険性を詳しく指摘しておいたから、関心があれば、再読していただきたい。

当時は「低炭素社会」というスローガンを、政治家、有識者、そして中には、環境問題活動家なども、好んで使うスローガンとなっていた。
しかしこれは、本当のことは原子力発電の再活性化を狙いたい勢力が、当時の『温暖化対策を最優先課題とすべき』という風潮に、うまく便乗しようとした作戦であった。
その時期は既に、原子力発電は「安全性が万全ではなく」、安全を厳しく言われるので「発電コストも高く」なってしまい、新規の建設は「経済性が全く合わない」、過去の発電技術となっていた。
アメリカでは、1979年(スリーマイル島原発事故)以降は、新規建設ゼロである。

これに対して、日本では相変わらず原発の【安全神話・安価な発電・安定した電源】という、刷り込まれた意識が健在であった。
そして、相次ぐ原発関連の不祥事で陰りが出てくると、温暖化対策に便乗した「低炭素社会」の合言葉を前面にうちだしたのである。
原発の大事故以後は、軽薄なマスメディアもさすがに、この「低炭素社会」という言葉は、表に使うことはなくなった様である。

政治家やマスメディアという職業は、言葉を的確に使うことが基本で、慎重に扱うべきである。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。