庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

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早くも官僚組織に取り込まれた経済産業大臣。野田内閣の本物度は?

2011-09-10 | 核エネルギー・原子力問題
新経済産業大臣は、原発の事故による被害者の心境を、まったく理解していない実態を、早くもさらけ出している。
福島県民は経済産業省の原発神話」情報操作によって、危険性について全く知らされていなかった。
その結果は、誰が見ても人災と言えるレベルの、お粗末な災害対策レベルの非常用電源喪失によって、住み慣れた土地を奪われて困難な生活を強いられている。

その様な状況も理解できないままに、「ストレステストを終えたら他の原発は再稼働をして行く」と言明し、その時期も出来るだけ早くという表現である。
福島事故の終息の目途も立っていない上に、除染活動は避難住民の要望からは程遠い状況であるのに、もう既に、従来の経済産業省の路線である、【原発依存、安全性軽視の「霞が関官僚」の流儀】に染められてしまっている。

ストレステストは、安全性にお墨付きを与えるものではない。
日本語訳を「耐性テスト」という様に、どの程度の災害が起きた状況で、どの様な破壊や設備停止が起きて、その結果の事故被害を机上で、シミュレーションして置く検討資料である。
それを現在の経済産業省よりの【原子力安全・保安院と原子力安全委員会】がチェックすると言う。しかし、自分たちで今までに決めて来た、「原発の炉心溶融(メルトダウン)は、起きない」ことにしてきた不備な判断を、根本から否定する作業であるから、どこまで客観性があるか疑問である。

そして、その机上シュミレーションを既存の電力会社の技術陣が実施するにあたって、電力会社側に有利になる様に、技術的な偏りが紛れ込むことは必然である。
そして、ストレステストの結果を、安全性を保証するものではないので、首相を含めた4閣僚の会合で決定する判断で、再稼働の容認という政府の決定をだす。
その重要な閣僚である経済産業大臣が、福島事故の主犯である経済産業省の原子力官僚によって、早くも洗脳されている様では、国民の気持ちに沿った、適正な判断が出来るとは思えない。

その上に、今回は福島原発事故の避難地域の視察をした後に、【死の町】の様であったと、まるで空想科学映画の見せ場のシーンを連想する言葉を、不用意に発言したと批判されている。
これはすぐに失言であったと陳謝しているが、言葉の問題、失言ではなく、経済産業省の組織の長たる責任感がまるでない姿勢を表している。
つまり、この様な大災害をひき起こした主犯格の組織(経済産業省)の責任であることを、少しも頭の中に入れていない、まるで、野党時代の無責任議員の感覚を引きずったままでいる。

ストレステストに対する理解度といい、原発事故の被害の実態も把握しないままに、「再稼働を早期に容認する発言」などは、この重要閣僚の責務を果たす上で、適格性を疑われる失態である。
この様な軽々しい発言が続出しているのは、野田内閣が原発という【諸悪の根源】に対する、取組姿勢の基本的な認識が、大甘である実態を見せ始めている様である。
「安全性は万全である」という神話をつくり出してしまう「産官学+メディア」の結合組織が、【現代における社会の癌】となる【既得権最優先体質】の、手ごわさを感じていない。

菅首相は、その最後の5カ月間に、既得権軍団の攻撃の魔手によって、ついに引きずり降ろされた。

1 コメント

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Japanese poem (noga)
2011-09-11 22:17:06
鉢呂大臣の「死の町」発言が物議をかもしているようだが、あれは軽率な発言か。
彼が歌詠みをしたとすれば、彼には罪がない。現在・現実を語ったとすれば、彼は真実を述べている。
彼の哲学・理想を述べたものとしては、受け入れられない。だが、彼は日本人だから未来を語るはずがない。
今回の物議は、聞く人の想像による、あやふやな心理効果による騒ぎである。
まともな議論のできない国民の騒ぎである。
ここに民族性に基づく深刻な問題を露呈している。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812



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