近代の産物である国民国家がフィクションであることが全ての人々に自明になるのと同時に、自由意志を持つ近代的な「わたし」もフィクションだということが自明になる時代が、そう遠くない将来やって来ると思う。
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イエズス会の教育を受けたアイルランド人ジェームス・ジョイスの世界観と、五族共和という民族政策を持つ満州国に育った日本人安部公房の世界観は、断絶してしまった他者との回路の回復はいかにして可能か、というテーマの切実さからして、とても良く似ている。
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私たちは西暦何年というリニアな歴史観の中に生きているけれど、平行線は交わらないというパラレルワールドではなく、このリニアな歴史観が超えてどこかで交わる、というリーマン幾何学的な時空間の中で、歴史を捉えることはできないだろうか?
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柔道を生んだ嘉納治五郎も、合気道を生んだ植芝盛平も、本当の意味で道、タオの意味を知っていたのだと思う。私たちが使う「道」という言葉に、彼らが込めていた意味がどれだけ残されているのだろう?そして、私たちがこれから進んで行く道とは、どんな道になるのだろう?
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先日帰国した際、東京都写真美術館にて岡村昭彦の展示を見て来たのだけれど、そこに彼がラフカディオ・ハーンとジョン・F・ケネディの足跡を辿る旅を通じて、アイルランド人たちにとって裏切りの持つ意味について考察している文章を読んだのだけれど、これは凄いものだと感じた。
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岡村昭彦は昭和四年生まれだけれど、花の昭和七年組と呼ばれた五木寛之氏、大島渚、小田実、本多勝一、小室直樹、冨田勲、小林亜星、中村とうようらに比べると、やはり現代日本人からは、経験的なものから来る格や凄みが無くなってしまった様に思える。
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恵比寿の写真美術館に行く途中、ここ数年で動く歩道やエスカレーターで立ったままの日本人が増えたな、マナーがどうと言うよりも、日本人の体力とハングリー精神が全体的に落ちているな、と感じた。その直後に韓国の光州に言って、その感覚は間違っていなかった、と感じた。
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全ての戦死者を追悼する施設が出来るとしたら、それは何処に、どういった形で存在可能だろうか?
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蛍光灯は蛍の光と書くけれど、これは蛍の様に瞬く電球という意味のみならず、蛍光窓雪の様な、勉学をするのに適した光という意味合いが込められていたのではないか?それを松下幸之助が「明るいナショナル」として広めた背景には、二宮金次郎が蛍の光で読書した逸話が影響を与えていたかもしれない。
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先日日本に帰って何気なく新聞を広げた時、当然ながら一面の裏がテレビ欄になっていて、日本の新聞は読売新聞と日本テレビ放送網に代表される様にクロスオーナーシップを前提とした紙面作りになっていて、それが全てアメリカの影響下に置かれていたのだ、と気付かされた。
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相対性理論が明らかにした様に、時空間は歪む訳だけれど、この歪みを実際に記述できる様な宇宙史を記述する公理は存在し得るのか?それともあくまで優れて主体的なものとしてのみ、歴史は認識、そして存在可能なのか?
自己の目標を他者の目標と一致させる様に努力しないと、人は何も成し遂げられない。同様に、日本の目指す所を他国の目指す所と一致させる努力をしないと、日本は世界の孤児となってしまうだろう。
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「あるプログラムにあるデータを入力した時、そのプログラムは停止するか」を常に正しく判定するプログラムは存在しないというチューリングの停止性問題は、物質は流動運動する分割不可能な全体性の一部に過ぎない、つまり人体を中心に据えることの不可能性、すなわち魂の不死を扱ったものではないか?
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停止性問題を立てたチューリングがリンゴをかじって死んだという伝説と、老婆を描いている途中、自らの興味関心に気付いて笑い死んだというゼウクシスが、重なって見える。
いやはや、本当にその通りですね。 @ka2saiki 「明るいナショナル」は戦後の貧しさからの復興の願いが込められていたのだと思うけれど、結果としてどこの国にもまして明るくなってしまった(コンビニの蛍光灯のまぶしさを例にだすまでもなく)。谷崎の陰翳はどこへやら。
国家というよりも、国民国家を構成する一つの単位としての一神教、もっと言ってしまうとヘブライズムの影響が強い様に思います。 @takeonomado 時間軸を社会から個人に分解して返してしまえば、個人の認識する時空間構造を「幻想としての国家」に無理に合わせる必要が無くなり…
おそらく日本が急激に明るくなってしまった為に、現代日本人がヨーロッパに行くと暗いと感じる様になったのだと思います。暗闇や静寂、そして死者を思う時を、もっと大切にしたいですね。 @ka2saiki ヨーロッパの人たちのほうが、いまとなっては暗さを大切にしていますね。部屋の照明なども
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動きを中心に捉えると、デカルト的時空間の中で物事を考える古典物理学や、それに根差した古典経済学は変更を余儀なくされるだろう。逆に動きが無いことを中心に据えたのが、「存在する自己」を出発点としたデカルト哲学だが、これは近代を作り上げたと同時に、初めから死を意味しているのだろう。
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縁があるかどうか、というのは、空(くう=śūnya)を切り取る思惟性を、時空を超えてお互いに共有し、そこかれ生まれた意味を共有できるかどうか、ということなのかもしれない。
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ボイスはピアノをフェルトに包み、音の可能性を残したまま、冷たい楽器を暖めて、歩かない四つ足の動物に見立てた。マチューナス追悼コンサートでボイスが三角形のフェルトを使ってピアノの足を固定したのは、魂を宿らせたピアノが勝手に歩き出さない様に、との意味が込められていたからかもしれない。
昨日ツイートした、大学改革で国立大学から文系学部が無くなるかもしれない、という記事を読んだ時、スーパーグローバル大学という和製英語同様、国民国家の構造的限界が、日本的な土壌の中で露呈したものの様に感じた。
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もしもスーパーグローバル大学というのが存在し得るとしたら、それは「超地球大学」なのだから、地球外とやりとりしなくてはいけないね。それを国立大学がやるの?
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