穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ベントリー「トレント最後の事件」

2017-05-06 20:26:49 | 犯罪小説

この小説は江戸川乱歩がミステリーのベストテンに入れていたので読もうと思ったことがある。ところが絶版になっていたので原書で読んだ。最近創元社で再版されていたのを見て読んでみた。奥付には

1972年初版、2001年21版、2017年2月初版とある。初版というのはどういうことだろうか。訳者は大久保康雄氏である。すでに亡くなったかただが、この人の訳なら大体大丈夫だろうと思って買ってみた。

 大久保氏はミステリーのみならず英米の小説を多数訳していて水準以上の演奏家だと評価している。私の考えでは翻訳者は演奏家だと思っている。原作者は作曲家である。また、敢えて言えば一般読者も鑑賞者であると同時に演奏者でもある。小説を読んでそれを受け止め印象を自分の中で再現するということは音楽の場合の演奏者と同じである。音譜だけを読んで音楽鑑賞をする愛好家もいる。読者のなかで、読者なりに受け止め再現するのは他人の曲を演奏するのと同じことである

 ま、そういうわけで、昔探して訳書がなかったものが復活したのと、訳者が大久保氏なのを見て読んでみようというわけであった。読んで行くとどうも引っかかる所がある。最初に述べた原書がまだ手元にあったのでそう言う箇所を英文で確かめてみたのだが、訳文の方がどうもおかしい箇所が複数ある。

 ウィキペディアで調べると、大久保康雄氏は下訳者を複数抱えていていわば翻訳工房のようなものを持っていたらしい。田中正二郎氏も大久保氏の下訳者として修行したらしい。どうもこの「トレント最後の事件」は下訳陣の原稿をあまりチェック或は推敲していないまま出版した形跡がある。忙しいとこう言うこともあるであろう。私のこれまでに読んだ他の大久保氏の訳書でこう言うことはあまり感じたことは無いのであるが。

 それはさておき、全体の構成と言うか原著、訳書に関係なく小説としての本書はちぐはぐな印象を受ける。良い所と悪い所が混交しているという印象が強い。彼はジャーナリストであり、humoristだったという。humoristというのは訳しにくいが、辞書なんかにはユーモア作家とあるが確かに文章はうまい。問題は構成だがどんでん返しが二回あるという仕掛けで、自然ではない。人為的というか人工的というか、白けるというか、とって付けたというか。

 また、恋愛要素を相当部分取り入れたというのでミステリーとしては珍しいというのだが、一言で言えば浮いている。

 すなおに抵抗なく読めるのは素人探偵トレントが自分の推理の結論をまとめて、被害者の妻が共犯者ではないかとカマをかけるところ(200ページあたり)まで。その後は作者がもがいているところがもろに伝わってくるようで気の毒になる。ほかに書き方があったんじゃないかな。

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