穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アカ狩り小説として「宇宙の眼」を読む 

2021-11-05 07:21:28 | 書評

 赤狩りとは第二次大戦後1950年代半ばまでアメリカで吹き荒れた魔女狩りである。17世紀のニューイングランドや、かって欧州で吹き荒れたような魔女狩りの狂乱である。

 まず言っておくが、この小説は多元宇宙SFとしては私は認めない。あまりに幼稚な子供向けファンタジーである。赤狩りはテーマと言うよりかこの小説の副旋律である。あるいはフレームである。第一章と最終章が対になっている。

 名々瞭々に堂々と自分は共産主義者であると名乗らない人物で、実はソ連のスパイだ疑われた人たちが赤狩りの対象である。政府調査機関、議会、マスコミが主導した。アメリカの原爆開発の父と言われたオッペンハイマー博士もそう疑われた一人である。つまりソ連の恐怖におびえて誰かれなく共産主義者つまり魔女として疑って狩り出す。

 

 第一章の主人公ハミルトンは軍需工業で働く優秀な技術者である。その妻マーシャが会社の治安責任者マクフィーフに疑われる。赤がかった集会にたびたび参加したり、その種の署名活動や募金活動に応じたりしている。会社の査問委員会に呼び出されたハミルトンは否定するが会社を解雇された。その日に陽子加速器の見学に行き事故に巻き込まれた。

 それから三回か四回事故に遭った八人の人間が順番に「主意識」の異次元に飛ぶ。そして終章直前の章で、同じく事故にあって異次元ゲームのメンバーだった、彼を査問委員会で告発した治安責任者マクフィーフがじつは地下共産党組織の指導者だったことが分かる。

 最終章は現実の事故前の次元に戻って再び会社の査問委員会である。出席したハミルトンは、赤の大物としてマクフィーフを告発するが、会社は異次元の意識の中での証言は認めない。ということで幕になる。ハミルトンは会社を辞めてベンチャー企業をたちあげるというのがおちである。

 作者のディックは赤狩りの狂乱の直後あるいはその最終段階で執筆を始めたのだろうから、赤狩りの記憶は生々しい。おそらくこれを読んだアメリカの読者は赤狩り小説だな、とわかっただろうが、日本の書評家は例によってピント外れな書評をしている。

 それはそれとして、つまりあまり書評家を馬鹿にすると反発が怖いから、わたしもディックの他の小説をボチボチ読んでみようと思う。

 


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