穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

75:A!=Aの場合

2021-07-06 08:11:44 | 小説みたいなもの

魚味教授は質問を発した参加者のほうを見た。

「今言った異なったレベルの概念が、つまり個、特殊、普遍のカテゴリーが一緒くたになってしまうことはそんなに珍しいことではない。人種間の相違に基づくヘイトクライムなんて言うのは一例です。肌の色が黒ければ個人に関係なく乱暴に扱う、例えばアメリカの警官のようにね。黄禍なんて言葉があった。これは憎しみとか差別と言うありふれた感情が根底にある」

マスコミに売り出し中の若手哲学者の大阪が呟いた。

「A=A!とA!=Aとは違うんじゃないですか」

魚味は感心したように彼を見た。

「そのとおりなんですね。大体がごっちゃにする場合はA!=Aがおおい。イコールと言う等号は矢印で示してもいい」

「歴史の場合は全部A!=Aでしょう」と歴史学者の鬼薊金太郎が補足した。

「その通りです。国が(特殊)の場合は国家主義とか国粋主義はほとんどがそういうことになります」

「宗教的な場合もそうでしょう」

「そうです。カトリック教会が個人大衆に君臨した場合が典型的ですね」

「イスラム原理主義なんかが現代では代表的だな」

「現代のカルト宗教も全部そういうことになるね」

「そうですね」

「それからスポーツ、特にアマチュアの団体スポーツなんかもA!<Aだな。恐怖心で団員に君臨する。最近ワイドショー(三面記事ニュース)になった某私立大学のアメリカンフットボール部なんかそうだな」

「政治の世界で言うと、現代でも一部の国の共産党支配なんかもそうなるね。昔はコミンテルンなんてのがあって国家の枠を超えて国際的に共産主義を広めようとした」

「何しろ等式なんだから絶対服従なんだな」

 

 


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