穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

その前夜

2024-01-02 13:46:03 | 小説みたいなもの

前にカフカの小説には序破急の序がないと書いたと思う。例えば「変身」である。ある朝起きたらゴキブリに代わっていた、というのだが理由が、前夜のことが触れられていない。つまり理由が示されない。前に彼は意識的に触れていないのではないかと推測した。はばかりがあって書けないか、小説上の効果を狙って省いたのか。多分両方であろうと推測する。

おそらく父との確執、失望であろう。以前彼の超短編「判決」の例を触れた。私の場合も書くとすれば序はない。しかし、私には「判決」は書けない。判決は無かったのである。深夜突然寝床から引っ張り出されてベランダから突き落とされようとしたのである。

それはカフカの場合とはおそらく違うであろう。推測だがカフカは序をすっ飛ばしたのは一つには小説構成上の効果を狙っているのだろう。私の場合は理由が全く不明なのである。書こうにも書けない。突然理由も分からず暴行されて、何十年たった今でも理由が分からないのである。そしてそれは13歳という自我、あるいは精神発達上の分岐点を左右した事件なのだが、理由が推測もできない。

それは爆発を誘発したが、四方をコンクリートの壁で囲まれた密室内で爆発したようなものである。自我を粉砕した。岡本太郎という人間は「爆発しろ」とか言ったが、それは開かれた世界に向かって、ということだろう。それならわかる。

私は成長してから、理由というか、いや違う。理由はわからないが効果、いや違うな、逆効果とい  うべきだろう。説明を求めて心理学、民俗学などの文献を漁った。

 

 

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