穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

2024-01-10 08:27:29 | 小説みたいなもの

夕食の料理を食べてしまい、使った鍋や食器を洗ってしまうと父がどこで生まれたのか、どう成長したのか皆目分からないのはなぜか、改めて考えてみた。

不思議だ。普通の家庭では父をめぐる情報というのは子供たちにとって一番詳しい情報であるはずだが、我が家では皆目謎に包まれていた。母をめぐる生家については実に詳細まで聞かされていたが、父の生い立ち、出生については、第一に父が口をつぐんでいた。何かの拍子に質問しようものなら、殺人的な視線で威嚇された。それでこういう子供としてはごく自然な疑問は長い間に有耶無耶になってしまう。

一つのきっかけは父が亡くなったときである。わずかに残された資料を改めて調べてみたが、詳しいことはわからなかった。葬儀や後始末で落ち着かない中で乱雑に整理しないまま残された埃だら資料を見ていると気が滅入った来て根気が続かなかったのである。

今度の機会に改めて父の残した資料を調べなおした。今度は焦らずに根気よく順序立てて見ていった。そして前回気が付かなかった点がいくつか見つかった。父が生前田舎の人たちとの接触を嫌っていたので予想していたが、生まれたところは字茫々と草深い辺鄙な片田舎であった。

父には兄弟はいないと思っていたが(父に言い聞かされたわけではなく)、実は姉がいることがわかった。この姉のことは一度も聞いたことがなく、家にたづねてきたこともなかった。手紙などの連絡もなかったようである。ただし、この姉は祖父の最初の妻の子供である。父親は二番目の妻の子供であった。この二番目の母からは兄も生まれたようだが、生前聞いたことがない。

この女性を姉と特定したのは、祖父母と一緒に写っていたのでそう判断したのである。この女性はその他に単独で撮られた写真がかなりの数残っていた。身長が高く、もう一つ驚いたことに、身長の高い私の妹に酷似したいたことである。父の残していた戸籍謄本から祖父の最初の妻の子供であることが分かった。つまり義理の姉であることが分かった。これも親父は一言も言い残さなかった。

父のスケッチした生家の平面図がある。かまどなどがある広い土間に農耕用の馬を飼っていたようである。「うまや」と注記してある。農耕馬と同居していたのだ。いまなら家内に農耕用の車両などが屋内にしまい込まれたようなのであろう。

父の写真であるが処分したのか一枚もない。父の写真が出てくるのは大学の卒業式の集合写真が初めてで、その後は職場の同僚らしいのと映した写真が何枚かあった。

 

 

 


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