穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「中途退職者 新屋敷第六氏の生活と意見」のあとがきにかえて

2018-04-15 19:41:52 | 新屋敷第六氏の生活と意見

 彼には出口がなかった。十五歳夏の夜重大インシデントに見舞われて以来。

 正確かどうかわからないが、はやりの言葉でいえばPTSDということらしい。こういう時の出口というのはだいたい決まっている。自殺である。これは新屋敷第六の視野には入っていなかった。自殺しても魂は無傷で「この世」を永遠にさまようと平田篤胤のように信じていたのである。ちっとも解決にはならない。彼は空中遊泳にも自信がなかったしね。自殺が論外だとすると、青少年が思いつくのは決まり切っている。

 精神世界本を読み漁り、さとりを求めたり、超能力にあこがれる。これも新屋敷第六には論外であった。悟りというのは痴呆状態の別名である、とかれは考えたのである。超能力はお話にならない。これは病気である。目の不自由な人の聴覚が犬のように鋭敏になるのと同じでいやなこった、と第六は思ったのである。

 ま、早く言えば第六は窓のない単子(ライプニッツ流にいえばモナド)になったのである。なにものも外界から彼のなかに入ってこない。何事も彼のなかから出ていかない。それでいて彼の中には全宇宙があったのである、ライプニッツ流にいえば。

  そうはいっても生きていくにはちと工夫がいる。そこで第六はデカルトのアドバイスに従ったのである。自分の本心は隠して何事も世間のしきたりでやっていく。デカルトはこうして世間から怪しい奴とにらまれるのをさけて自分の非世間的疑念をとことん掘り下げてコギト エルゴ スムの境地に達したのである。

  不思議なものでこうしていると、世間でも普通の人間と思うようになったらしい。大学を出て会社員になり、ヤング・ビジネスマンとして活躍していたのである。ところがである。会社に組合分裂騒ぎが発生、第六は嫌気がさして会社を飛び出したのである。

あとがき第一部終わり

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