穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

小説は自動書記であり思考実験である

2018-06-02 07:12:31 | 新屋敷第六氏の生活と意見

 ただし私の場合である。行文には意を用いるがテーマや内容は書く前にはあまり意識しない。自動書記のように文章が出てくる。それで書いた後、出版した後で何故こんなことを書いたのだろうと折に触れて思うことがある。不思議なもので、「ああそうか、こういうことだったのか」と自分で気が付く。それも断片的に出てくる。まことにうかつな話で申し訳ない。

 こういうのを典型的な後講釈というのだろう。そういうわけでまた、あとがきの追加である。これは思考実験であったのだ。あくまでも思考実験である。実際に実験して検証をするわけにはいかない。自分の息子をこっぴどくぶったたいて後遺症をつぶさに観察するわけにはいかない。今日ではたちまちDV騒ぎになる。

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