ブログを見ていて気になることがある。村上春樹賛美に一定の色が付いていることである。
臭みと言ってもいいし、ワンパターンと言ってもいい。言葉まで同じだ。
まるで巨大な集団が構成員に同じことを言わせているような印象をうける。
さて、讃美派のもっとも多く言うことは、村上春樹の例を見ないような名文のことである。私が村上春樹に感心するところがあるにしても、それは名文であるからではない。彼の文章が名文であるという見方にも同意しがたい。
第二は、比喩が卓越しているというのである。これも全く同意しがたい。比喩は多用していても決して、おもわず膝を打つようなうまい比喩ではない。この種のファンの讃美はまったく理解を超えている。
比喩の名手といえば、村上が讃美するチャンドラーである。これはまったくその通りである。しかし、村上春樹にチャンドラー級の比喩のキレがあるなどとはとても言えない。
かれの小説が優れているならもっと他の点を探すべきだろう。その一つが「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる<<シャッフル>>だろう。本当のテーマを巧妙に何重にも変換し、ロックする。それでも一応の物語としての質を保つ。その技である。
しかし、何重にも変換するゆえに、それは寓話的になり、おとぎ話的になる。人物名は記号的になる。プロットが唐突になるのは避けがたい。真正迫真のリアリズムは保ちがたい。
それでも200万部の売上は達成しがたい。創価学会の池田会長が本を書くとベストセラーになる。学会員が皆書店に買いに走るからである。
200万部のコアになる集団と言えば日本ではエスニックグループぐらいだろう。あるいは被差別集団か。中核は100万かそこいらでも、あとはニュースに釣られた一般読者が食いついてくる。バーゲンセールと同じだ。あとは惰性で雪だるま式に売上はふくらむ。
おりしも、韓国では1億円を超える値段で版権が売れたそうだ。ブームのきっかけを作ったNHKも調べる必要がある。もう半島の植民地化しているという情報もある。
村上春樹はなにを恐れて、そんなに韜晦するのか。そんなライフスタイルをとるのか ??