仮説をたてましてね。別に村上春樹を読むのに仮説もいらないわけですが。
風の歌を聞け、1973年のピンボールあたりでシャッフルが終わったんでしょうか。
世界の終わり、あたりが洗い出しで、それから後が本格生産という仮説はどうでしょうか。
何をシャッフルするかって、手持ちのカードですよ。それは記憶しかありませんな。頭骨に入っているものです。夢という言葉を使う場合もあるようです。私は感心しませんが。
本格生産というのは某女にはネタの使いまわしに見えるわけです。
仮説をたてましてね。別に村上春樹を読むのに仮説もいらないわけですが。
風の歌を聞け、1973年のピンボールあたりでシャッフルが終わったんでしょうか。
世界の終わり、あたりが洗い出しで、それから後が本格生産という仮説はどうでしょうか。
何をシャッフルするかって、手持ちのカードですよ。それは記憶しかありませんな。頭骨に入っているものです。夢という言葉を使う場合もあるようです。私は感心しませんが。
本格生産というのは某女にはネタの使いまわしに見えるわけです。
村上春樹読書実況中継:
現在「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(以下「世界のおわり、」)192ページ。
前回退屈だと書いたが千野帽子さんの情報を得て、少し進んだところですが、これは法華の太鼓だね、だんだん良くなってきた。
村上作品には最初から固定ファンがいたというから、そのへんからの読者には「世界の終わり、」を受容する下地は出来ていたのだろう。それともいきなりの処女作でもあの調子でいけたのかな。ちょっとわたしにはわからないところだ。