幼児、少年の虐待、悲惨、不幸が「カラマーゾフの兄弟」のキーワードである。そしてその責任は父にあるというわけである。
作中重要な三個所を先に指摘したが、もうひとつあった。
長男ドミートリーが郊外のモークロエで二度目の豪遊散財をしているところに、親殺しの容疑者として警察と検察が逮捕に乗り込んでくる。徹夜の尋問と証人尋問が明け方におわり、ミーチャ(ドミートリー)が一時間ほど仮眠する間に夢を見る。
火災で焼け出された村のそばを馬車で通る。女が乳飲み子を抱いているが乳が出ない。これが夢である。この夢が覚めた後にミーチャは生き返ったようになる。別人のようにする。どうしてか、ということは書いていない。
この悲惨はわれわれに責任がある、ということらしい。「父」に責任がある。地主に責任がある。社会に責任がある。すべての人は他人に対して罪を負っている、というテーマと関係するらしい。
ドストエフスキーの少年時代、父の領地で農民が火災にあい、領主の屋敷は被災しなかったという思い出と関係しているらしい。領主=農奴の父、社会=悲惨にあえぐ貧民の父、皇帝=臣民の父という等式があるらしい。
予告された続編でアリョーシャが皇帝暗殺団の頭目になるという構想があったそうだが、筋はつながっているようだ。