先日のこと、仕事ではあったが京都を訪れる機会があった。
久しぶりの京都駅、烏丸口を降りると真正面に京都タワーがそびえ立っている。
このタワー古都の街を照らす灯台をイメージして、昭和39年に建設されたものだそうだ。(僕はローソクだと思っていた)
僕はこれを見ると、いつもダサイ建造物だと思っていた。
でもこの日は、「これもアリかな」と妙に納得してしまう。
実は京都駅の駅舎も出来た当時は、京都のイメージにそぐわない冷めたい感じの建築だと批判的だった。
それも今日はなんだかしっくりきている感じがする。
好きでない景観も時とともにその土地になじみ、やがて違和感のないものに変わっていくのかと不思議に思った。
この日の夕べ、駅のレストランでご一緒した方々とおいしいビビンバとビールを頂いた。
折しも京の街は祇園祭の最中、駅の中でも提灯が飾られコンチキチンのお囃子も聞こえてくる。
ディスプレーされた提灯のほのかなあかりや心地いいBGMが、無機質で近代的なものを暖かく包んでいる。
感性や感情なんて、ちょっとした演出で流されて変わってしまう。
それとも暑く乾いた喉をうるおしたビールのせい?・・・いい加減なものだ。
ほろ酔いで情緒に触れた、いい気分な「ちょっとだけ京都」だった。
久しぶりの京都駅、烏丸口を降りると真正面に京都タワーがそびえ立っている。
このタワー古都の街を照らす灯台をイメージして、昭和39年に建設されたものだそうだ。(僕はローソクだと思っていた)
僕はこれを見ると、いつもダサイ建造物だと思っていた。
でもこの日は、「これもアリかな」と妙に納得してしまう。
実は京都駅の駅舎も出来た当時は、京都のイメージにそぐわない冷めたい感じの建築だと批判的だった。
それも今日はなんだかしっくりきている感じがする。
好きでない景観も時とともにその土地になじみ、やがて違和感のないものに変わっていくのかと不思議に思った。
この日の夕べ、駅のレストランでご一緒した方々とおいしいビビンバとビールを頂いた。
折しも京の街は祇園祭の最中、駅の中でも提灯が飾られコンチキチンのお囃子も聞こえてくる。
ディスプレーされた提灯のほのかなあかりや心地いいBGMが、無機質で近代的なものを暖かく包んでいる。
感性や感情なんて、ちょっとした演出で流されて変わってしまう。
それとも暑く乾いた喉をうるおしたビールのせい?・・・いい加減なものだ。
ほろ酔いで情緒に触れた、いい気分な「ちょっとだけ京都」だった。