アインシュタインの直筆
E=mc2(アルベルト・アインシュタイン 1905年発見/発表)
*E・・・エネルギー量
*m・・・質量
*c・・・光の速度
あらゆる物体に含まれるあらゆるエネルギーは、
質量×「光の速度」の二乗という、途方もない数字になることが明らかにされた。
わずか、1gの物質にも、莫大なエネルギーが秘められている。
しかし、もし、そのエネルギーが放出されないならば、そのエネルギーは、まったく観測されない。
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Albert Einstein (アルベルト・アインシュタイン)さま
拝啓、私はこのblogを主催するBigoverです。
日頃より山岳に出向き、自然の中でアウトドアを愛好する一小市民であります。
そしてまた、兼ねてよりあなた様の理論物理学における偉大な功績に対し、感嘆/尊敬している者の一人でもあります。
でも「特殊相対性理論」「一般相対性理論」など未だに良く理解出来ず、そんな無能な自分を疎ましく思っています。
科学や物理に疎いそんな私ではありますが、あなたが発見された(E=mc2)という理論が、現代の世界に大きな功績を与えたことぐらいはわかります。
このシンプルで明快な方程式が、すべての事の普遍の法則であり、宇宙を含めた自然界を表していると言うことも、最近理解しました。
この理論の発見で、ようやく人類は、宇宙や生命といったことについて、紐解く事が出来るようになってきました。
私自身も、自分が何ものなのかを考えるきっかけとなっています。
そのことは、私が山に登る事と同様、とても素晴らしい体験であると感じています。
でも、この理論を活用する事により、人は失敗もしてしまったようです。
その一つが、重元素の利用でした。
重元素を融合したり分裂したりする事が出来る、というのは、貴殿の理論に基づくものです。
幸か不幸か、融合については、まだ技術的な未熟さから実現出来ないでいます。
しかし、分裂については比較的簡易に出来るため、いま多種多様な分野で活用されています。
それは医療や新素材/製品開発、発生熱利用などであり、現代社会において、もはや欠く事が出来ないものとなっています。
人が関与するこの重元素の分裂利用が極少量であったなら、まだ良かったのかもしれません。
しかしながら、兵器利用や電源開発など、ウランの大量かつ大容量の扱いに、人類は技術的にも倫理的にも未熟すぎたようです。
わかってはいましたが、分裂時に発っせられる放射線に対し生命体は無抵抗で、それを制御する術を人はまだ持ち合わせていません。
過去には、これを人が住む上空で爆発させて、すべてを破壊する恐ろしい試みを2回も実践した愚か者もいました。
人類は、そのとき気付くべきだったんです。
が、それは出来ませんでした。
私たちは第二次世界大戦以後も、反省無く時を過ごし、エゴと偽善が渦巻く社会を作ってしまいました。
そんな流れの中で、快楽を求め続けあらゆるものを貪り、経済活動の成功こそが文明/文化の発展であると勘違いし、大容量の電気に依存する生活を甘受してきました。
18世紀におこった産業革命から300年、エネルギーという概念が確立してから200年、そしてアルベルト・アインシュタインさまが上記の理論を発表されてから100年の間、私たちは化石燃料を掘り尽くし奪い合い殺し合い、地球環境を犯し生態系を破壊しました。
そして、まだ未熟であると知りながらも、原子の力に頼ろうとしています。
時間はあったのに、この間、何も学ばず何も成長出来てなかったようです。
それらをただ利用するだけでした。
その結果か、いま日本では、2011.3.11.に発生した東日本大震災(M9.0)に起因する、福島第一原子力発電所においての事故により、人類がかつて経験した事の無い「放射線を継続的に地上に放出する」という事例に直面しています。
広島、長崎で原子爆弾攻撃を受け、核兵器の恐ろしさを身をもって体験したはずの日本人ではありますが、この核の事故に対しても、手の施しようがないのが現状です。
日本人は原子の力に対し思料浅く、そしてあまりにも無防無策でありました。
残念ではありますが、この原子力災害に対し世代を超えて対処しなければならない、と私は予感しています。
日本人が起こしたこの人災に対し、大きな危険と責任を荷ないながら、これから私たちは生きていかねばならないのでしょう。
しかし、非情なことが起ったからと言って、いつまでもここで立ち止まってはいれません。
私は、次の一歩を踏み出す事は大切なことだと思っています。
がその前に、現代社会の過ちであったボタンの掛け違いを見つけ出して、その修正が必要であるとも考えています。
それはいつだったのか?
私は、1905年にアルベルト・アインシュタインさまが(E=mc2)を発見された、その時点だと考えました。
思考をそこに返すのです。
そこで「人は何ものなのか、どう生きていくべきなのか」を考え、いまある自分を戒める、その場と致します。
そして、人も他の生命と同様に、(E=mc2)という普遍の現実のなかで謙虚に生きて行く、というその方法を探していこうと思います。
すでに、遅きに失しっているのかもしれません。
それでも、いまから見直ししていこうと思います。
それが、この美しい方程式を導いて頂いたあなたへの、私が出来る唯一のご恩返しかと考える次第です。
愚かな人たちである、とお嘆きであろうかと思いますが、こんな事を考えている輩もいる、という事も知り頂き、アルベルト・アインシュタインさまには、今一度安らかに御眠り下さるよう、心より願っております。
改めて、ご冥福を御祈り致します。敬具
2011.4.8 Bigoverより
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この手紙を送るにあたり、
司馬遼太郎先生の著書『この国のかたち(1~6)』(文藝春秋社発行)を道しるべとし、
『人は何ものなのか、どう生きていくべきなのか」を考える、
そして自分の ”Soul” を紐解くきっかけとしていこうと思う。