Soulful Bigover

「自由」と「ロマン」を求めて、creativeなアウトドアライフをめざす。

南国クライミング

2006年12月31日 | Portable Weblog
12/30・31で旧友と三重方面へクライミングに来た。
昨日は白くら、今日は楯ヶ崎、両日とも好天に恵まれ楽しい二日間だった。
帰りの道中、海産物屋の干しさんまがうまそうだったが、何も買わずに帰った。

新鹿キャンプ場
地図は12/30に泊した新鹿キャンプ場

記録はこちらで


科学とのつき合い方

2006年12月26日 | essay
「まん延するニセ科学」という番組(NHK)をあるサイトで知って、配信動画で見た。
内容は現代社会における科学とのつきあい方を警鐘するもので、たいへん共感出来るものだった。
視点・論点 http://www.youtube.com/watch?v=9LNRYsyWgEY
確かに僕自身も科学的に解説されると、すべてそれが正義であるかのように信じてしまう節がある。
論説のように世間は科学先行で、それを絶対的なものとして捉える風潮があるのも事実。
(その裏返しにオカルトや超常現象も信じられる、変なご時世である)

身近なものでは医学やスポーツ科学、栄養学や環境など多種多様の科学が私たちのまわりにある。
僕は科学者ではないので偉そうな事は言えないのだが、自然現象を分析し論理的に説明していこうとするのが科学であると思っている。
また、人が快適に生活していく上での一つのツールであると捉えている。

かつて、人が8000m峰を無酸素で登山する事は不可能であると言われていた。
しかし、 メスナー はそれを実践し成功する。(ガッシャーブルムI峰(8068m))
その後、無謀な挑戦と言われたエベレスト(8848m)無酸素アタックを人類で初めて試み、成功させてしまう。
その登頂時、彼の体は70才の老人のような状態だったそうだ。(いわゆるヨボヨボの状態)
それでも、彼は自力で下山した。
その後彼は、世界の8000m超の山をすべて登頂してしまう。
彼の発想と勇気ある行動は、それまでの常識とされた既成概念を吹っ飛してしまった。

やがて科学はそれを分析し、酸素やサポートがあれば70才の老人であってもエベレストのピークに立てるという事を証明する。
現に今では、毎年多くの人がエベレストに向かい(ガイド付き)、登頂を果たしている。
そして人類にとって、その事に大きな意味はなくなった。(一般化したという事)

科学は、多くの事を僕たちに与えてはくれる。
でも残念な事に、未知なるものまでは教えてくれない。
あくまで、起きた現象を説明しているに過ぎない。
科学は、人がエベレスト無酸素登頂出来る事を教えてくれなかった。
新しいものを作り出す力は、科学にはないのだ。

人が未知なるものを手に入れようとするなれば、既成概念を打ち払い発想し、試行実行しなければならない。
そしてその結果を分析(科学)し、また次に繋げていく。
そうして、人は新しき事を創り上げるのだ。
メスナーは、この事を身をもって証明してくれたのだと思う。

科学が進んだ現代社会だからこそ、僕たちは科学妄信者となってはいけない。
科学の後追いだけでは、なにも生まないのだ。

これを押さえておけば僕たちも、きっと「どーもくん」のように科学と楽しくつき合えるはずである。

(メスナーの話は、ある著名登山家の講演の一部を転用致しました)


14.立山

2006年12月15日 | Liquor collection
酒名    銀嶺 立山「本醸造」
容量/価格  1800ml 価格不明
入手    2006.11.29 友人よりのお裾分け
醸造元   立山酒造株式会社
       富山県砥波市中野217
評価    ★(★はbigoverのきまぐれ評価)
        乾いた香り、口当たりはやや酸味を感じる。
        味は後から甘みがやってくる感じ。地酒らしいお酒。
メモ    親しい友人から思わぬお裾分けで、このお酒に巡り会えた。
      時期的に燗がいいので、晩酌でちびちびおいしく頂いている。
      でもこのお酒は、冷やの方がいいかも。

クライミングと経済環境

2006年12月12日 | essay
        (日溜まりの中でのクライミング)

先日(12/10)のNHKで、「ワーキングプア2」という番組をやっていた。
今年7月に放送された「ワーキングプア」の反響が大きかったため、その第二弾と言う所だろうか。
TVで紹介されているような状況が今多数派になりつつあるという事は、この問題が個人では解決出来ない、日本の社会構造の欠陥であることを証明している。
自営業者である僕は、これを現実問題として捉えていて、二回とも大きな関心を持って観た。

自営業はいい意味で自立した存在ではあるが、その分経済基盤が小さく不安定で将来についての保証もない。
それに正に「体が資本」であり、事故や病気で倒れれば明日からの収入は途絶える。
僕が、ワーキングプア スパイラルの至近席にいることは事実である。

こうした遠近の将来に対する不安感は日常的にあり、精神的にもつらいものがある。
そんな強迫観念に苛まれる生活の中で、夫婦であるいは親しい友人と行うクライミングや山登りは、
僕にとって生きていく希望であり喜びであると感じている。

幸い若い時から山での活動を展開してきたので、基本的な装備と技術的な事は身につける事が出来た。
当然クライミングや山登りをするのにも、お金はかかる。
しかし贅沢さえしなければ、比較的安価で継続的に楽しめるのも事実である。
それ以上に、何事にも替え難い友人がたくさん出来たし、僕は山やクライミングに出会えて本当に幸運だった。

なぜにクライミングや山登りは、こんなにも心地いいのか。
山に入れば、自然が与えてくれる緊張感の中で、自分の意志がすべての価値観となる。
リアルな自然環境であらゆる選択を自らに迫り、選びとり行動していく。
そこには、真の意味での「自由」があるように思うし、それがとても心地いい。

そんな心地良さを得るがために、自らスキルアップを計る。
特にクライミングは、日常的なトレーニングが必要と感じている。
僕もご多分に漏れず、多くのクライマーがそうするように人工壁ジムでのクライミングを行っている。
週一では大きなレベルアップは望めないが、続けているおかげで現状維持は出来ているようだ。
またジムに行けば、クライマー同士でコミニュケーションでき、世代を超えた交流も図れる。
僕にとっては、願ったりかなったりの場である。
それと同時に、クライマーとしてこれを継続していく上で、ジムでのクライミングが必要不可欠な時代にもなったんだと実感する。

しかしながら、こうした場に集まるメンバーの顔ぶれを今フト思い返してみると、ちょっと違和感を感じてしまった。
顔ぶれがみな一様に上品で分別があり、におい立つようなアウトロー的な者が見えてこない。
老若問わず、どちらかと言えば経済的にも安定した、一定層のみの集まりとなっていることに気付く。

僕が山を始めた20年ほど前、山屋と言えばバンパーをガムテープで止めたようなボロ車で山に出向き、
装備や着ているものと言えばいつも御決まりもので、ほころびなんて当たり前、
遠くにいてもその出で立ちですぐにあの人だと判ったものだ。
あの頃は、大多数の山屋(クライマー)が貧乏 だったような・・・。

またその頃はクライミングに没頭するあまり、定職を捨てアルバイトで生計立てる者が仲間内でも多くいた。
でもそうした者も仕事は探せばあったし、がんばればそれなりの収入も得る事が出来て、ちゃっかり山には行っていた。
けっしてあの頃がいい時代だったとは思わないが、きっと社会や人の心にもまだ余裕があり、こうしたアウトロー達にも寛容だったのだろう。
そして、情熱さえあればだれでもが山や岩に出向き、そこにトライするチャンスを得る事が出来た。

誤解しないでほしい、今の人は恵まれていて贅沢だなんて言っているのではない。
僕が危惧するのは、経済状況の安定こそがクライミングする何よりの条件となってはいないかということ。
経済的理由で目標や希望を断念しなければならない、そんな事例が実際多くあるのではないかということ。
ジム通い出来ない者=クライマーにあらず 的な思考に、僕ら自身がいつの間にかなってしまっていないかということ。

一昔前、山岳は一部のブルジョア層のもので、一般人には入り込めない世界であった。
しかし、そんな山岳はやがてマンネリ化し停滞した。
そんな中、高度経済成長の背景もあって野武士的な社会人クライマー達が、澱んだ山岳界に風穴を開けるようなクライミングを各地で実践した。
彼らの多くの議論や活発な活動はクライミングを大きく発展させ、そしてクライミングはみんなのものになっていった。

だが、格差社会というものが現実となりつつある中で、かつてのようにクライミングがまたある一定層のものになろうとしている。
これはある意味時代の逆行であり、クライミング衰退の序曲ではと考えてしまう。

クライミングや山が文化であるとするなれば、多種多様でより多くの人がこれに関わらなければ、この文化の進展はあり得ない。
経済的な理由や固定化された思考が、活動の継続や機会を奪ってしまう。
そんな事が多くなるとすれば、結果的にクライミングや山の世界にとって大きな人的損失となろう。
いまこうした窮屈な時代だからこそ、僕らは機会をうかがっている人に対しても、もっと寛容になってもいいのではないだろうか。

今の日本の社会全体が、画一的な価値観で物事を見て判断していると感じるのは僕だけだろうか。
事のおこりに対し人のせいにして、保身に考えを巡らしてはいまいか。
己の損得だけで、物事をけっして見てはいけない。

いつも体の中に広い選択肢を持ち、その中から最善のものを選びとれるような、濁りのない澄んだ思考を巡らすことのできる自分を創り上げていく必要があるのではないか。

僕は個々の思考を変えていく事が、社会全体がいい方向に変わっていく源泉だと信じている。
少し自己犠牲してでもより良い環境を作ろうとする精神こそが、こうした悪循環社会からの脱却の原動力となるのだ。

憧れの岩や山に挑む、そんなチャンスを奪ってしまうような社会であってはならないはず。
ワーキングプアという前時代的な貧困層が多数派となるような日本に、良き将来はない。

自分の明るい未来像が誰もが描けるような、そんな社会が形成され成長する事を、今強く望む。

クライマーの性

2006年12月04日 | climb
この週末は、今冬初の本格的な冬型の気圧配置となった。
地元の伊吹山では、初冠雪が記録されたようだ。
今回訪れた鳳来でも、天気こそ良かったものの、気温はかなり低かった。
鳳来湖のキャンプ場では、テントに付いた水滴が朝方凍っていた。



少しでも暖かい所という事で、山の南面に位置するパラダイスロックに出向いた。
ここは冬でも午前中なら日がよく当たり、明るい感じの岩場である。
おそらく今年最後となるであろう遠征クライミングを、このエリアでかみさんと行った

当初は、宿題となっている「ドルフィン」をやるつもりだった。
2日の朝このエリアに到着すると、既にこのルートに挑む先客のクライマーが数人いた。
しばらく様子をうかがっていたが、この中に混じって長時間のハングドックは気が引ける。
トライは又今度やればいい事だし、今回は遠慮することにする。
結果的に僕はこの二日間、触った事のないルート二本をトライする事になる。

双方とも5.11台で、がんばってオンサイトトライで登る。
でも、どれも持てそうに見えるここ特有のポケットホールドに翻弄されて、核心部でパンプしあえなくフォール。
2トライ目は気合い入れ直してそれぞれRP出来たが、自分のオンサイト能力の無さに今更ながらあきれる。

でも「クライマーの性」として、やっぱり登れればうれしい。
特に「狼煙」は20m近いルートで、中間部の核心を越えてからも粘りのクライミングとなる。
こんな長くて「楽しい」ルートが、今年の「まとめ」のクライミングとなった。
そして「うれしい」という気持ちで、この遠征を終える事が出来た。

帰路の車中では、全身に疲れや筋肉の痛みを感じる。
でも、ちっとも苦痛と感じない。
これも「クライマーの性」なのだろうか。

記録
 日時   2006年12月2・3日
 場所   鳳来(愛知県)
 メンバー かみさんとbigover、計2人

2日(土)晴れ後小雨
 エリア  パラダイスロック 
 ルート(★はbigoverのきまぐれ評価) 
      ○ ジャストミート 5.10b RP×1 
      ○ シャムロック  5.11a T×1   ★
      ○ 花鳥山水    5.11b T×1、RP×1 ★
                   計 4本

3日(日)晴れ時々くもり
 エリア  パラダイスロック 
 ルート(★はbigoverのきまぐれ評価) 
      ○ シャムロック  5.11a T×1 ★
      ○ 狼煙      5.11b/c T×1、RP×1 ★★
                   計 3本

鳳来(パラダイス)より

2006年12月02日 | Portable Weblog
12/2(土曜日)、カミさんと二人で鳳来にクライミングに来た。
早朝四時半に彦根を出て、八時半に到着。
目指すエリアは、日当たりの良いパラダイスロック。
岩場では、五人のおじさん達がすでに登っていた。

今日は11bを一本ゲットして、三時に撤収。
日が陰るとやっぱり冷える。
明日も天気にな~れ!

パラダイス

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