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言の葉

2008.11.28 開設
2022.07.01 移設
sonnet wrote.

女五人イギリスの旅  14(最終回) 帰国の途  

2014年06月11日 | 


旅の最終日18日、午前5時半に目覚めた。
10時30分にはホテルを出発してヒースロー空港に向かうので寝ているのがもったいない。
KさんとMさんの3人で近くにあるケンジントン公園へ散歩に行った。
ジョギングや犬の散歩をする人がちらほらいるだけだった。雲ひとつない青空で芝生と木々の緑が鮮やか。早朝の空気は清々しくてとても気持ちよかった。
広大な敷地の一画にはダイアナ元妃が住んでいたことで知られるケンジントン・パレスがあり、KさんとMさんは邸宅のゲートに掴まって朝のストレッチをした。
後で調べたら園内にはピーター・パンの像もあったらしい。というのもピーター・パンはこの公園で乳母車から落ち、ベビーシッターに見つけられずに迷子になって年を取らなくなったそうだ。

公園を出るとロイヤル・アルバート・ホールがあった。赤レンガと美しい装飾が施された素晴らしい外観で、気になって後日調べると、クラシックからボブ・ディランのコンサートまで、また相撲のイギリス巡業もここで開催されたという由緒ある建物だった。内部はさらに豪華な作りで見学もできるらしい。

……どうも全日程を通して「後で調べたら」を連発している気がする。
これが「事前に調べて」だったら、もっと違った見方ができたに違いない。


●ケンジントン・パレス●ロイヤル・アルバート・ホール(最終回なので自分も小さく)●ホール外壁の装飾●ホールのドーム屋根とアルバート公(ヴィクトリア女王の夫)記念碑

午前10時30分、タクシーでホテルを出発した。シャトルバスが予約いっぱいでBさんが手配してくれていたのだ。
最後の最後までお世話になった。
ホテル前で見送るBさん夫妻に手を振りながらちょっと胸が詰まった。どうもありがとうございました!
 
空港までの道路は渋滞すると言われていたが、思いの外スムーズで30~40分ほどでヒースロー空港に着いた。
手続き開始まで1時間以上あるので、重いスーツケースを持ったままカフェに入った。
その後リパック・エリアを見つけ、念のためそれぞれスーツケースの重さを計ってみる。
「ちょっと見て!」Zさんが言った。
預ける荷物の重量制限20㎏に対して、彼女のスーツケースは19.9㎏だった

●ヒースロー空港ターミナル4(最終回なので4人も後ろ姿で小さく)●見よ!このパッキング術


午後3時05分、QR4便は予定通り離陸した。
座席は乗り換え便ともに全員通路側である。
これはZさんとTさんが36時間前にホテルの部屋でインターネットを駆使して予約してくれたのだった。お陰で就寝時にトイレに立つ時など気を遣わなくてすむ。
往路と同じく、食事したり読書したり映画を見て過ごした。
そういえばMさんはクロスワード、Kさんは数独の切り抜きを持参していた。
余談だが、15日に立ち寄ったサービスエリアの売店に数独の本があった。その名も「SUDOKU」。
Bさんに聞いてみると「こっちではスドクって読んで愛好者が多いのよ。」ということだった。
映画は「エージェント・ライアン」が面白かった。
ケビン・コスナーが若手にアクションを譲って上官としてアシストする役だった。誰もみんな確実に年を取っているんだなぁ…と妙な感想を持った。キーラ・ナイトレイが綺麗だった。

6時間後ドーハに到着。腕時計の針を2時間進めて現地時間午後11時に合わせた。
カタールは往復とも深夜の数時間を空港内で過ごしただけ。
せめて象徴的な風景だけでもと、空港に貼ってあったポスターを写真に収めた。
日付が替わった19日午前1時45分、ドーハを出発した。
ここからが長いが就寝時なので苦にはならない。
眠れない時はゲームにチェスがあったのでやってみた。が、コントローラーの操作がまどろっこしく、画面が小さいのでクィーンとポーンが判別しづらく散々の戦績だった。

最後の機内食は和洋の2種があり、和食をお願いした。
うな丼、冷やしうどん、サーモンの握り、きんぴらだった。久しぶりの和食は美味しかった!
通路を挟んで座っていたイラン人が食べ方を尋ねてきた。
「そのスープ(つゆ)を全部ヌードルにかけて。それからワサビは知ってますか?」 「Yes, spicy.」
「そう。だからそれは多いです。半分カットして」と拙い英語で教えてあげた。
それを聞いていたZさん「そこは『全部使う』って言うとこでしょ。」と、笑いのチャンスを逃したボケ芸人の失敗を指摘するツッコミ芸人の如き呟きをもらした

いよいよ成田が近づいてきた。ドーハで2時間進めた腕時計をさらに6時間進めた。
日本時間19日午後5時55分、全員無事に帰国した。

今回の旅行ではSさんBさんご夫妻に本当にお世話になり、ありがとうございました。
同行メンバーのZさん、Kさん、Mさん、Tさん、お世話になりありがとうございました。
そして旅行を快諾、留守番してくれた夫にも感謝。


女五人イギリスの旅  13 ロンドン市内バスツアー&ハロッズ

2014年06月09日 | 

17日午前8時20分、ホテルロビーに7人集合して近くにあるバス営業所に行き、そこからバスターミナルに向かった。
ターミナルはたくさんの人でごったがえしていた。
「ストーンヘンジに行く人~」「コッツウォルズに行く人~」各方面のアナウンスがあり、私たちは市内観光バスに乗り込んだ。昔の形そのままの赤い2階建てボンネットバスである。
肌寒かったが見晴らしのいい2階席に上がった。シートの横にはイヤホーン差し込み口があり、各国の言葉でのオーディオ説明が聴ける。ちなみに日本語は7チャンネルだった。
有名な建造物が右に左にめまぐるしく迫り、なかなかいい写真が撮れなかった。

●ウェストミンスター寺院●トラファルガー広場のネルソン記念柱●ナショナルギャラリー●ビッグベン●セントポール大聖堂
ロンドン塔ではバスを降りて女性ガイドの説明があった。
英語なので内容はほとんど分からなかったが、途中の「head chop chop」ははっきり聴き取れた。斬首刑の話でもしていたのだろうか。
ずいぶん昔に行った時は内部の見学もしたが、刑具の展示があったような気がする。
塔というより城塞であり、かつては牢獄でもあったのだ。

ロンドン塔のそばの桟橋からフェリーに乗った。テムズ川から眺めるタワー・ブリッジは「これぞロンドン」という感じだった。
   
●テムズ川桟橋から見たタワー・ブリッジ●橋をバスで通過した時の尖塔●ロンドン・アイ

30分ほどの遊覧後、下船したのは大観覧車「ロンドン・アイ」の真下だった。直径135mでひとつのカプセルに25人も乗られるそうである。カプセルはシースルーなので怖そうだが、さぞかし素晴らしい眺望だろう。
Zさん曰く。「観覧車はもういい。」
 

先回りしていたバスに再び乗って着いたのはバッキンガム宮殿だった。
まずは衛兵の駐屯所のような建物の前でスタート前の整列を見学し、行進の最後尾について宮殿に行った。
宮殿前は世界中からの観光客で溢れていた。
随分昔に家族で行った時の息子の画像もアップしておこう
衛兵交代を見た後、行進の真似をしているところ。あの頃は無邪気だった…。


正午近く、ヴィクトリア駅そばでバスツアーは終了解散になった。
Bさん夫妻を午後も付き合わせるのは申し訳ないので、「私たちだけで行動してみます。」と言って別れた。
まずは昼食。駅2階のフードコートに行った。マックやKFC、サブウェイなど日本でもお馴染みのファストフード店が並んでいた。
さて、残り半日どこへ行こうか?
大英博物館に行きたいが時間的に無理である。
相談の結果ハロッズに行くことにした。
ところがヴィクトリア駅構内でまごついてしまった。
後で調べてみると国鉄のプラットホーム19レーン、オリエント急行の始点、地下鉄3社乗り入れ、裏手には長距離バスセンターがあるという巨大ターミナルで無理からぬことだった。
地下鉄の券売機が見つからず、タクシーに変更して乗り場で並ぶもなかなか順番が来ず、結局バスにした。
かれこれ1時間はロスしただろうか。改めてSさんの運転とBさんのナビがあってこそ、広域の観光地巡りができたことを痛感、感謝した。
バスは間違わずに乗ることができ、間違わずに最寄り停留所で降り、午後2時半にハロッズに着いた。2時間後に集合を決めて自由行動に。
さすがイギリス最大の老舗高級デパート、ブランド品のオンパレードである。
夫と息子へのお土産にシャツでも買おうと思ったがなかなか見つからず(色・デザインよりプライスで)、もっぱら家具売り場や食器売り場で目の保養をした。
階段踊り場に人だかりがあったので行ってみると、ダイアナ元妃とドディ・アルファイド(ハロッズオーナーの子息)の追悼碑だった。

ハロッズからホテルへは地下鉄3~4駅の近さだった。実は途中乗り換えと思って降りたらそのまま1本でよかったというミスをしている。
「案内掲示板の表記の仕方がおかしい。日本の方が分かりやすい。」とみんなでブーイング。そのままホームで待って次の電車に乗れたので笑い話ですんだ。

夕食はレストランには行かず1室に集まってパジャマ・パーティーをすることにし、みんなで前夜行った食料品店に買い出しに出かけた。
明日はもう帰国。今夜のうちにパッキングしておかなくては…。
ロンドンの空はまだまだ暮れる気配はなかった。
                        To be Continued

女五人イギリスの旅  12 ロンドン一夜め

2014年06月07日 | 


ロンドンのホテルには2泊した。
部屋はツインとトリプルの2部屋で、今回はZさん・Mさん・Tさんがトリプルルーム、Kさんと私がツインルームの部屋割りになった。
長い道のりをずっと運転していただいたSさん、助手席でずっとナビしていたBさんのお二人を夕食まで拘束しては申し訳ないので、私たちだけで出かけることにした。

   

ホテルの周辺は大学や博物館のある一画だったので、見当をつけながらワンブロック先に行くとカフェやレストランが並んだ通りに出た。
いくつかの店の様子を見てイタリアンレストランに入った。料理も飲み物も美味しかったが残念ながら写真は撮っていない。
担当したウェイトレスの女性が綺麗で応対の感じもよく、Tさんが似顔絵を描いてチップと一緒に渡して喜ばれた。
食事を終えたのは午後10時近かった。表はようやく暮れてきたという感じだった。
 帰国するのは明後日。最終日は午前中に空港に向かうので、実質明日が最後の観光になる。
ホテル入り口に設置されてあったもの。靴底の泥を取る物か?
街で見かけたおしゃれな空き缶回収ワゴン。
                          To be Continued

女五人イギリスの旅  11 オックスフォード

2014年06月06日 | 


バイブリーを堪能した後オックスフォードに向かった。
景色が菜の花の丘陵から都市の家並みに変わっていった。
街外れの駐車場に車を停め、バスで市の中心部に着いたのは午後1時だった。
オックスフォードは大学の町、広場や通りは活気に満ちていた。
自由行動にし、Bさん夫妻と別れて私たち5人でランチ。その後シューズショップに入った。
実はバイブリーでのこと、Kさんが「見て見て」と自分の靴を指さした。見るとつま先の底が剥がれてしまっていた。
旅行には履き慣れた靴がいいがイギリスの石畳で酷使したか…。それで急遽新しい靴を買うことになったのである。
Zさんと私は三人を残して市内マップを見に行った。カレッジはあちこちに分散しているが、いかにもオックスフォード大学といった施設が見たかった。しかしバスに乗らなければならず、集合時間に戻れるかどうかわからない。
「じゃ、別々に散策しようか」と彼女とも別れて行動した。
通りの店をあちこち覗いたり、建物を写真で撮ったりして過ごした。
アジア系の学生もたくさん見かけた。その若さと世界に羽ばたいて学んでいる姿が眩しく羨ましい。
「ガンバレ!」オバサンは心の中でエールを送った。
集合場所に戻ると、Bさん夫妻、Zさんはクライスト・チャーチに行って来たという。もちろん徒歩で。
私は案内板を見た時バス利用とばかり思ってしまっていた。
Zさんはあの後「オックスフォードらしい所を教えてください。」と道行く人に尋ねたそうだ。
この辺りに会話力の差が出るのだなぁ…。彼女について行けばよかったと悔やまれる。

  
さあ、いよいよロンドンだ。建物がだんだん密集してきた。
窓から「Notting Hill Gate」の標識を見かけた。あっちの方角にヒュー・グラントの本屋さんがあるのか…。

ロンドンのホテルにチェックインしたのは午後5時だった。
                     To be Continued  

女五人イギリスの旅  10 バイブリー 

2014年06月05日 | 


16日。ホテルを早めにチェックアウトして、午前はバイブリーに行った。

コッツウォルズ地方にはいくつも観光スポットの町や村が点在しているが、バイブリーの「アーリントン・ロウ」の家並みこそ私がずっとイメージしていた「コッツウォルズ」だった。
14世紀当初に羊毛の保管庫として建てられ、17世紀に人が生活できるように改装されたそうである。
現在はナショナルトラストの管理下にあり、改造不可その他の厳しい規制の下で人が暮らしているらしい。
羊毛倉庫だったとはいえドアの丈が低く、高身長のイギリス人だと身をかがめて入らなければならないだろう。
ホビットは実在していたんじゃないだろうか…、いや今もいてこの家で暮らしているのでは…?
半分本気で期待しながらしばらくドアが開くのを待ってみたが開かなかった。

アーリントン・ローの家並み。前を流れているのはコルン川。

ドアや窓、壁や軒が垂直・平行ではなく微妙に曲がっている。それがなんとも言えずいい。
童話の挿絵のような温かみがある。

 

スワンホテル。マンチェスターからロンドンまでたくさんの煙突を見たが、煙が上っていたのはここだけだった。

    

コルン川でのんびり水浴びしていたカモと白鳥の親子。
牧草地の木陰にいた仔牛はパンダのような配色をしていた。
                         To be Continued