旅の最終日18日、午前5時半に目覚めた。
10時30分にはホテルを出発してヒースロー空港に向かうので寝ているのがもったいない。
KさんとMさんの3人で近くにあるケンジントン公園へ散歩に行った。
ジョギングや犬の散歩をする人がちらほらいるだけだった。雲ひとつない青空で芝生と木々の緑が鮮やか。早朝の空気は清々しくてとても気持ちよかった。
広大な敷地の一画にはダイアナ元妃が住んでいたことで知られるケンジントン・パレスがあり、KさんとMさんは邸宅のゲートに掴まって朝のストレッチをした。
後で調べたら園内にはピーター・パンの像もあったらしい。というのもピーター・パンはこの公園で乳母車から落ち、ベビーシッターに見つけられずに迷子になって年を取らなくなったそうだ。
公園を出るとロイヤル・アルバート・ホールがあった。赤レンガと美しい装飾が施された素晴らしい外観で、気になって後日調べると、クラシックからボブ・ディランのコンサートまで、また相撲のイギリス巡業もここで開催されたという由緒ある建物だった。内部はさらに豪華な作りで見学もできるらしい。
……どうも全日程を通して「後で調べたら」を連発している気がする。
これが「事前に調べて」だったら、もっと違った見方ができたに違いない。

午前10時30分、タクシーでホテルを出発した。シャトルバスが予約いっぱいでBさんが手配してくれていたのだ。
最後の最後までお世話になった。
ホテル前で見送るBさん夫妻に手を振りながらちょっと胸が詰まった。どうもありがとうございました!
手続き開始まで1時間以上あるので、重いスーツケースを持ったままカフェに入った。
その後リパック・エリアを見つけ、念のためそれぞれスーツケースの重さを計ってみる。
「ちょっと見て!」Zさんが言った。
預ける荷物の重量制限20㎏に対して、彼女のスーツケースは19.9㎏だった



●ヒースロー空港ターミナル4(最終回なので4人も後ろ姿で小さく)●見よ!このパッキング術

午後3時05分、QR4便は予定通り離陸した。
座席は乗り換え便ともに全員通路側である。
これはZさんとTさんが36時間前にホテルの部屋でインターネットを駆使して予約してくれたのだった。お陰で就寝時にトイレに立つ時など気を遣わなくてすむ。
往路と同じく、食事したり読書したり映画を見て過ごした。
そういえばMさんはクロスワード、Kさんは数独の切り抜きを持参していた。
余談だが、15日に立ち寄ったサービスエリアの売店に数独の本があった。その名も「SUDOKU」。
Bさんに聞いてみると「こっちではスドクって読んで愛好者が多いのよ。」ということだった。
映画は「エージェント・ライアン」が面白かった。
ケビン・コスナーが若手にアクションを譲って上官としてアシストする役だった。誰もみんな確実に年を取っているんだなぁ…と妙な感想を持った。キーラ・ナイトレイが綺麗だった。

6時間後ドーハに到着。腕時計の針を2時間進めて現地時間午後11時に合わせた。
カタールは往復とも深夜の数時間を空港内で過ごしただけ。
せめて象徴的な風景だけでもと、空港に貼ってあったポスターを写真に収めた。
日付が替わった19日午前1時45分、ドーハを出発した。
ここからが長いが就寝時なので苦にはならない。
眠れない時はゲームにチェスがあったのでやってみた。が、コントローラーの操作がまどろっこしく、画面が小さいのでクィーンとポーンが判別しづらく散々の戦績だった。
最後の機内食は和洋の2種があり、和食をお願いした。
うな丼、冷やしうどん、サーモンの握り、きんぴらだった。久しぶりの和食は美味しかった!
通路を挟んで座っていたイラン人が食べ方を尋ねてきた。
「そのスープ(つゆ)を全部ヌードルにかけて。それからワサビは知ってますか?」 「Yes, spicy.」
「そう。だからそれは多いです。半分カットして」と拙い英語で教えてあげた。
それを聞いていたZさん「そこは『全部使う』って言うとこでしょ。」と、笑いのチャンスを逃したボケ芸人の失敗を指摘するツッコミ芸人の如き呟きをもらした
いよいよ成田が近づいてきた。ドーハで2時間進めた腕時計をさらに6時間進めた。
日本時間19日午後5時55分、全員無事に帰国した。
今回の旅行ではSさんBさんご夫妻に本当にお世話になり、ありがとうございました。
同行メンバーのZさん、Kさん、Mさん、Tさん、お世話になりありがとうございました。
そして旅行を快諾、留守番してくれた夫にも感謝。