先日用事があって仙川に行った。
用事を済ませ、駅中心にいつもより徒歩半径を広げて散策した。
いつ行っても活気のある町である、
以前は各駅停車駅だったが、いつ頃からか「区間急行」が停車するようになった。
「区間急行」がよくわからないが、急行のうちの何本かがそれで、この駅にも停車している。
私の最寄り駅は急行が停車するが、残念ながら仙川の繁華さ、充実度とはほど遠い。
桐朋学園、白百合女子大、都立高校もあり、学生たちが闊歩しているのも大きな要因だろう。
彼らをターゲットにしたブティックやカフェがひしめいている。
南の方は成城と隣接している。

スーパーは「京王ストア」、「西友」、「クィーンズ伊勢丹」が徒歩5分圏内にある。
以前は「丸正」もあった。
「無印良品」、「ユニクロ」、「スターバックス」、「カルディ」もある。
昔よく行っていた手芸店は残念ながらなくなっていた。
駅からちょっと離れているが、南口に「ホームセンター島忠」、北口には甲州街道の先に「いなげや」「しまむら」もある。


劇場、ミュージアム、保育園、マンション等々が統一されたデザインで、洗練された景観になっている。
歩数計は7,000歩近かった。
先日ルームソックスを編み、毛糸の入った段ボール箱を出したままにしている。
この冬も毛糸を減らしていこうと思っていたが、どうも気乗りがしない。
種類はいろいろあるがどれも中途半端な余り糸で、セーターはもちろんベストも編めない。
そしてもう好みの色がほとんどなく、創作意欲が湧かない。
若い頃にシックだと思って買った色が、今はただ地味にしか見えない。
それでも何とか形にしようと、またもや二重巻きのスヌードを編んだ。
一昨年グレーの毛糸で編んだスヌードは、息子がもらってくれた。
(2021年11月10日投稿 「棒針に替えてまたスヌード」)
それと同じ形で、縄編み部分をを変えて編んだ。

表メリヤス3目、裏メリヤス3目の繰り返しで70センチ編み、1目ゴム編みに変える。

二重に巻いて、表面に見える部分を変えられる。


昨日は節分だった。
文字通り季節の分かれ目である。
俳句の季語「節分」の傍題に「節変わり」という言葉もある。
節分には毎年豆まきをしている。
子どもが成長し、夫婦二人になって今さらの感もあるが、夫の好物である。
炒った大豆などこの時期にしか売っていない。
なので「鬼は外」の玄関やベランダには数粒まいて、「福は内」の室内も少しだけ。
室内にまいたものはもちろん拾って食べる。
不衛生だからと殻付き落花生をまく家庭もあるそうだが、何のこれしき。
残したほとんどを夫が酒のおつまみに食べている。
年の数だけ食べると言われているが、ゆうに100粒は超えているだろう。
いつ頃からか風習として定着した恵方巻きは、食べたり食べなかったりである。
当初は海苔1枚で巻いた長さ20センチほどの太巻きを、恵方を向いて無言で食べきるのが正式な作法とされていたと思う。
が、これは大変で、昨今は細めのやハーフカットの海苔巻きも販売され、中の具も様々である。
それほど厳格な決まり事ではないということか、販売商戦の勝利か。
金華サバを巻いたハーフカットが美味しそうだったので買い、これをさらに夫と半分こにしておやつに食べた。
今年の恵方は南南東だったらしいが、私はテレビを見ながら、夫は自室でパソコンに向かいながら。
別々で会話なしなので、無言は守っている。
これもまた鏡開きのお汁粉同様、風習にかこつけて食べたかっただけで、ご利益は望むべくもない。
明けて今日は立春だが、あくまで暦の上のことで冬の寒さである。
毎年この頃、唱歌の一節「春は名のみの風の寒さや〜♪」を口ずさむ。
早春賦
春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず
氷融け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ(芽吹く)
さては時ぞと 思うあやにく(あいにく)
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か