姑は若い頃からおしゃれが大好きで、米寿を過ぎた今もその気持ちは衰えていない。
一昨年剥離骨折で入院したが、退院に付き添った時衣類の荷物の多さに驚いた。
入院中は起床後私服に着替えたらしく(病状や部位にもよるのだろうが)、セーターやブラウスを詰め込んだ大きな手提げ袋が3個もあった。
「あれを持ってきて、あれも着たいから持ってきてと頼まれて、こんなに増えたのよ。」
近在でケアをしてくれた叔母がそう言った。
「3~4パターンを着回しすればいいのにねぇ。退院日が決まって少しずつ持って帰ろうとしたら、『どれを着たくなるかわからないから全部置いておいて』と言われて…。」
「女優さんの海外ロケみたいですね。」私も思わず言ってしまった。
姑は「いくつになっても身だしなみは大事よ。こんな時こそちゃんとしてなきゃ。」と言った。
もっともである。すでに無頓着になりつつある自分を省みて、見習わなくてはと思った。
が、その骨折以来脚力が弱くなって外出する機会もめっきり減り「洋服もそんなにいらないわね」と叔母たちに少しずつ譲っている。
昨秋帰省した時、私が室内で羽織っていたカ-ディガンを見て「それいいわねぇ。色もデザインも。私そんなのが欲しいけどなかなかないのよね。」と言われた。
そばにいた夫が「気に入ってるならあげたら?」と言った。
アニエスbのもので元は悪くないが、バザーで500円で買った古着である。色褪せくたびれていて、気に入って買った自分も室内専用にしている。
「誰が着ていたかわからない古着で、お母さんには失礼じゃない?」
「本人が気に入ってるからいいんじゃない。」
「それじゃあ帰京したらクリーニングして送りましょうか。」
「本当?うれしい。ありがとう。」
こんなもので喜んで貰って恐縮してしまう。
そして「じゃあ、あなたが前から欲しがっていたあのコート、持って帰っていいわよ。」と言われた。
これまで私も「これはあなたに似合うと思うからあげるわ。」と洋服ダンスを物色しながら何点かいただいている。
それらは正直なところ好みとは微妙にずれるが、着れなくはなく、また数年後に着るかもしれないと思い、ご好意なのでいただいていた。
そんな時、ずっと前から1着だけ目を惹いていたコートがあった。
いつだったか思い切って「これをお下がりであげてもいい時になったら、是非私にお願いします。」と言っておいた。
そして帰省のたびに姑が忘れないようにうっかり叔母たちに譲らないようにそのコートを褒めていた。
それを姑は忘れないでいたのだ。そしてもう持って帰っていいというのだ。
「そのカーディガンと交換しましょう。」
交換というには落差がありすぎるが、遠慮している時ではない
「ありがとうございます!いただいて帰ります!」
ダウンが主流の今、このようなクラシカルなウールのコートがかえって新鮮でエレガントに見える。
古いシネマでジャンヌ・モローやアン・バンクロフトあたりが、こんな感じのコートを着ていたような…。
でも考えてみれば、ファッションチェックして憧れていた年上の女優とはいえ、スクリーンの中の役どころはとっくに追い越しているんだなぁ…

新しい年が明けた。
年々月日の経つのが速くなり、たいしたこともできずに過ぎた昨年だった。
今年はそうならないようにしなくては!
と思いながら、三が日ダラダラと過ごしている
新春にふさわしい画像を探して、昨年暮れに帰省したとき飛行機から撮った富士山をアップ。
快晴で素晴らしい眺めだった。
富士とか桜とかを観てしみじみとした想いになるのも年々強くなっている。
松の内にまた齢を重ねる…。