10月3日、金秋戦決勝戦が放送された。
今回は「自分で撮った写真」を題材にしての俳句ということだった。
普段どれだけ周りの景色に意識を向けているか? どんな時に俳句を作ろうと思うか?
そういうのを見せていただきたいと夏井先生の弁。
結果は以下の通りだった。
1位 三日月や 真朱(まそほ)の隠岐に 藍の波 的場浩司(特待生3段)
【自 解】1ヶ月ほど前に島根県の隠岐諸島にロケに行った時、美しい夕景を見た。
三日月が出ていて、暮色をただ夕焼けとか赤とかで表現したくなかった。
三日月と空と海の三色で、隠岐の美しさが俳句を読んだ人に伝わればと思った。
【解 説】上五を「や」の切れ字でなんと美しい三日月だろう!と詠嘆している。
隠岐という島は、その昔後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流刑となった歴史的な場所。
これに対して「真朱」とはくすんだ朱色で日本の伝統的な色。「藍」もまたそうである。
美意識が言葉に入っていて、破綻せずに言葉だけでスケッチしているのは誉めなければいけない。
一言一句置くべき位置に選び抜かれた言葉が置かれている。
2位 灯台の周期 星月夜の無辺 千賀健永(名人9段)
【自 解】宮古島に旅行に行った時の夜空の写真を選んだ。
「星月夜」はゴッホの絵画から取った。星が月のように明るい夜という意味の季語である。
果てしなく広がる夜空の美しさに感動して作った俳句。
【解 説】対句表現の型になっている。作者はこの型をしっかりできるようになっている。
灯台は人工的なもので、一定のリズム光を放つ。星月夜は宇宙とつながる広大な自然。何億光年の光を放っている。この対比がいい。
1位との微かな差になったのが「無辺」。他の言葉が見つからずに使った消極的な感がある。
広さより静けさの方に持っていってはどうか。
添削 灯台の周期 星月夜の深閑

3位 長き夜や 絵本の丸き 角を拭く 村上健志(永世名人)
【自 解】子どもが生まれ、最近は子どもの写真しか撮っていない。
その中で、リビングに設置したベビーサークルの写真を選んだ。
まだ0歳だが、絵本を見せたりして遊んであげている。
その角は痛くないように丸くなっている。
子どもが舐めてよだれが付いた絵本を拭いてあげたことを句にした。
【解 説】中七下五だけだと、保育園や幼稚園で先生が拭いているとうい解釈もあるが、上五の季語「長き夜」で、これは家庭の風景に違いないと分かる。
真っすぐ自分の表現したい方向に読者を誘導できていて、その点は確かなもの。
なぜ3位かというと、「長き夜」と「絵本」の取り合わせにやや類想感がある。
しかし読んであげるのではなく、きれいに拭いてあげるというのに工夫が見られた。

4位 銀杏の実 剥き終え自由に なる十指 藤本敏史(永世名人)
【自 解】自宅の近所のこの店の前をよく通るが、陳列されている野菜や果物の移り変わりで季節を感じている。
子どもの頃、よく母に銀杏の殻剥きを手伝わされていた。
当時ファミコンが出た頃で、早く遊びたくて仕方なかった。
ようやく剥き終えて、さあ遊ぶぞという俳句である。
【解 説】季語を「銀杏(ぎんなん)」ではなく「銀杏(いちょう)の実」としたのを好意的に解釈した。つまりあの銀杏の木になっていた実というのを意識して表現したのではないかと。
だが、自解を聞くとそうではないようなので「ぎんなん」にしては。
そして「自由に」の「に」はない方がよい。
今、自由な10本の指があるという臨場感が高くなる。
添削 銀杏を 剥き終え 自由なる十指
5位 外苑はさやか 孤食のカチョエペぺ 横尾渉(永世名人)
【自 解】このスカジャンは、メンバーの藤ヶ谷と二人でMCの浜田さんに贈り、三人お揃いにしたので、どうしてもこの写真を使いたかった。
一人の外食でパスタを食べに行った。一人だと食べることに専念して味がしっかり分かる。
カチョエペぺとは、チーズと胡椒だけのシンプルなパスタで、その店の美味しさの基準になるというものらしい。
【解 説】季語「さやか」と「カチョエペぺ」という言葉の響き合いは面白い。
問題は「孤食」で、作者はポジティブな意味合いで選んだようだが、読者の何割かはそうは受け取らないだろう。
マイナスの評価を少しでも避けたいなら、普通に「一人」の方が一人の食事を楽しんでいる感が出る。
添削
外苑はさやか 一人のカチョエペぺ
6位 師が逝き ひぐらし 号泣しております 立川志らく(名人7段)
【自 解】スマホに4,000枚ほどの写真があるが、そのほとんどが子どもを撮ったものである。
これは唯一あった風景写真で、師匠立川談志の訃報を聞いた時の夕景と似ていると思って、のちに撮ったものだった。
訃報は予期していなかったので、涙も出なかった。
しかしその時鳴いていたひぐらしの弱々しい声が号泣しているように聞こえた。
自分の心、他の弟子たち、ファンの悲しみのように聞こえた。
師に対して詠んでいるので敬語にした。
【解 説】ひぐらしは静かにカナカナとはるかな感じで鳴く。
その鳴き方に対して「号泣」は強引ではないだろうか?
しづかなる号泣として季語との相性を近づけておく。
そして「師」と書かず、ひぐらしの中に亡くなった人がいるという追悼句にしてはどうか。
添削 しづかなる号泣 ひぐらしに逝きぬ
7位 待宵のジャングル 細切れのラジオ 森迫永依(特待生1級)
【自 解】つい最近インドネシア旅行に行ってきた。
カリマンタン島を二泊三日で周り、水上ボートで宿泊する旅だった。
夜になるとエンジンを切って真っ暗な中、聴いていたラジオの電波が入ったり入らなかったりした情景を詠んだ。
【解 説】季語は「待宵」。中秋の名月の前の夜のこと。
実はこの句はちゃんとした工夫で3位が取れていた。
どこが損しているかというと、ジャングルの中のラジオだから電波が届きにくいという因果関係が出てきてしまっている点。それはそうだろうと読者は思う。
言い方を変えてはどうか。
添削 待宵のジャングル 瀕死なるラジオ

8位 稲穂波 合掌屋根を 登りけり 千原ジュニア(永世名人)
【自 解】2週間ほど前に他局番組のロケで白川郷に行った。
稲穂が黄色く実って、風が吹くとまさしく波のように奥にある合掌造りの屋根までも吹き上がっていくように見えた。
【解 説】表現したいことは想像できる。稲穂を渡る風が合掌造りの屋根までも届くかのように拭いている。
ただ、書き方の点で損をしている。
これは合掌造りの屋根のアップから引いていくと良い。
添削 合掌の 屋根を登らむ 稲穂波

9位 芝居小屋 奈落の闇を 虫時雨 梅沢富美男(特別永世名人)
【自 解】公演が終わった後の劇場を撮った写真を選んだ。
今は近代的になっているが、昔の芝居小屋の奈落の底は土間だった。
秋口になると暗がりから虫の声が聴こえ、もの寂しい思いがした。
【解 説】奈落は暗い場所なので「闇」はいらない。
上五を「芝居小屋」としたら、今まさに芝居をしていると解釈する読者もいる。
ここは終わっているとはっきり書いた方が得。
五音の「芝居果て」は終演したばかりで賑わいが残っている印象なので、六音になるが「芝居果てし」と過去形にした方がいい。
添削 芝居果てし 奈落の土間や 虫の闇
10位 方向音痴ぐるぐる ぐるぐる秋思 森口瑤子(名人8段)
【自 解】写真は撮るのも撮られるのも好きではなく、数少ない中から選んだ。
ロケ現場に向かっていた時の行き止まりの路地の写真。
方向音痴で、その昔携帯電話のなかった頃にロケ現場に行くのが大変だった。
とにかく迷って、連絡のしようもなく不安になった時の心持ちを詠んだ。
【解 説】意図は分かる。ただし分かりすぎるというので損をしている。
ではどうするか。
「行く方(ゆくかた)」という言葉がある。
これは「進んでいく方向」という意味の他に、「心を晴れやかにする方法」という意味もある。
これを使い、進んでいく方向を失いつつ心を晴らす方法も失っているという、二つの意味がかかるだけで、少し詩の方に舵取りができる。
添削 行く方を失い ぐるぐるぐる秋思