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言の葉

2008.11.28 開設
2022.07.01 移設
sonnet wrote.

北陸駆け足旅 養浩館

2015年08月10日 | 

7月4日午前、福井市内にある「養浩館」に行った。
「福井に行くなら養浩館に行った方がいいよ。」と以前行って気に入った夫が薦めてくれた所だが、前日も仕事の後に行ったらしい。
福井藩主松平家の別邸で、パンフレットを引用すると「数寄屋造りの屋敷をそなえる回遊式林泉庭園で、江戸時代中期を代表する名園のひとつ」とある。
屋敷も庭園も華やかさとは違う落ち着いた美しさだった。
「御月見の間」ではお茶席が開催されていた。
     
       
「御月見の間」にあった「鶏鳴の板戸」と「螺鈿細工の棚」

       
ここでデジカメのバッテリーが切れてしまった。
なぜ? 昨夜ホテルでフルに充電したはずなのに…。
どうしよう。これから金沢に行ってまだまだ撮りたいのに。
そこでハタと思い出したことがあった。
ホテルの部屋にチェックイン後ずっとテレビは見なかったが、就寝前に点けたら点かなかった。
すぐにカードキーを差し込んでないことに気づいた。
デジカメの充電は電気が通じてない時にしていて、充分な時間が経ったのでランプを確認せずプラグを抜いていた。
疲れていたせいか、充電をやり直すことに思いが至らなかった。
スマホは就寝中に充電したので大丈夫だった。
この旅の2つめの失敗である。


お昼過ぎの北陸本線に乗って金沢に向かった。
お店に入っての昼食は時間がもったいないので、駅弁を買って車中で食べた。

北陸駆け足旅 丸岡城

2015年08月09日 | 

福井では永平寺と養浩館と丸岡城に行くことにしていた。
3日午後5時に福井駅で夫と落ち合うので、初日は永平寺観光後福井市に戻って市内にある養浩館。翌日金沢に向かう途中に芦原温泉駅下車して丸岡城に行くプランを立ててみたが、無駄に時間を使う気がした。
永平寺の後に丸岡城に行けないものかとネットで調べてみると、
永平寺 →(丸岡)城入口 → 芦原温泉駅 → 東尋坊
を結ぶ路線バスがあった。
しかも少ない運行本数が自分の観光に要する時間に合わせたかのように都合がいい。午後5時に福井駅に着くことも可能だ。
地方の路線バスの小さなバス停の発車時刻までわかるのだから、今さらながらインターネットの便利さを痛感する。
そういう訳で、永平寺観光の後は坂井市にある丸岡城へ行った。


          
丸岡城は天守閣だけが残っている小さな城だが、現存する天守閣の中で最も古い建築だそうだ。
以前国宝に指定されたものの福井大震災で損壊し、修復後の現在は重要文化財に指定されている。
天守へ上がる階段には補助ロープが付いていた。
急峻な上ステップの幅が狭く、段間も広くておそるおそる上った。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
これは戦国時代の武士が陣中から妻に宛てた短い手紙として中学校の歴史の時間に習ったが、この城に縁があるということで書簡碑があった。文中の「お仙」が後に6代目城主になったそうである。
実はこれまでずっと「お仙」というのは娘の名前だと思っていた。嫡子で幼名「仙千代」、本多成重だった。
縁といえばもうひとつ。
福井に戻る列車の中で、駅で手にした坂井市観光リーフレットを見ていたら、年間イベントの9月に「日向神楽」とあった。
どういうこと?と読んでみると「日向国延岡藩の有馬清純が丸岡に移封された際、一国鎮守・祖先慰霊のこの神楽も伝わったと言われています。」とあった。
歴代のお殿様の中にふるさと延岡から転勤した方が! そして日向神楽が毎年舞われている!初めて訪れた坂井市が近しく感じられた。

              
午後5時、福井駅の改札口で夫と合流した。
福井県は恐竜の化石が多く出土しているので、観光の最大目玉にしている。
恐竜博物館もあるが、駅舎の壁画も見事だった。


夕食は夫が仕事相手から薦められた「紋や」というお店だった。
旬の岩がきやのどぐろなどどれも美味しかった。
行動を共にしたのはその2時間半だけ。タクシーに乗って私はホテルで降り、夫は東京に帰るため福井駅に向かった。


北陸駆け足旅 永平寺

2015年08月06日 | 

7月3日、我が家を午前6時に出て品川駅発7時40分の新幹線に乗った。
米原下車なので乗り換えなしの「ひかり」にした。
東京は雨、しかも強い雨脚で傘をさしての観光かと思うと少し憂鬱だった。
だが車窓を叩いていた雨が静岡辺りでやみ、名古屋を過ぎた頃はこれから向かう右手前方の山並みに陽が差していた。


9時45分米原着。北陸本線L特急しらさぎ3号に乗り換え11時に福井駅に着いた。
福井は快晴だった。
荷物を駅のコインロッカーに入れ、身軽になってえちぜん鉄道に乗ること20分、「永平寺口」で下車。
さらに京福バスで15分、「永平寺門前」に着いた。
両側に土産物店や越前そばの店が並ぶ緩やかな坂を数分上り、道元禅師開祖の曹洞宗大本山「永平寺」に到着。
ちょうどお昼時だったが、お腹は空いてないし後のスケジュールがあるので迷わず見学へ。


勝手なもので、晴れたら晴れたで「ピーカンだと深山幽谷の永平寺のイメージが半減。撮影しても雰囲気がイマイチだなぁ…」と思ってしまう。
後で乗ったタクシーの運転手さんはカメラが趣味で、同様のことを云っていた。
「そうなんです。永平寺はやっぱり冬ですよ。水墨画の世界というか幽玄の世界というか。それに凍てつくような季節だと厳しい修行僧の生活もちょっとは体感できた気になりますしね。」

     
       
山の斜面に大小70余りの建物が配置され、館内も屋外も階段が多かった。そしてそのどれもが美しかった。
禅の精神は食事や入浴などの日常生活すべてに展開され、廻廊掃除などの作務は言わば「動の座禅」だそうである。

  法堂
      
156畳の大広間傘松閣は別名「絵天井の大広間」と呼ばれているそうで、天井一面が華麗な花鳥画で埋め尽くされていた。その数230枚。
 
僧堂。上がりがまちのような細長いスペースに、修行僧がずらりと並んで座禅を組んでいる動画を見たことがある。
               中雀門
         
山門とその両サイドにあった四天王。1体は鬼を踏みつけていた。


見学を終え、後で大失敗したことに気づいた。
永平寺が各媒体で紹介される時、必ずトップに出るのが唐門である。皇室の勅使が上山した時のみ開けられるので「勅使門」とも呼ばれている。パンフレットの表紙もそれだった。
そこを撮影していなかったのである!
館内見学の前に見たのだが正午の日差しで明るすぎ、帰りなら少しは翳っているだろうなどと生意気なことを思ったのが間違いだった。
それをすっかり忘れて永平寺を後にしてしまったのだ。
見たのだからいいと自分を納得させるが、やはり残念である。帰りのバスの時間が迫っていたこともあるがなんという失態!
「ぜひ冬にもう一度いらしてください。」
件の運転手さんの言葉が社交辞令に聞こえなかった。