
5月4日、同窓会は「日之影温泉駅」2階の広間を借り切って行われた。
すでに高千穂線は廃線となって列車は走ってないが「駅」という呼び名はしっかり残っている。
ホームには車両を利用した「TR列車の宿」があり、同級生が借りた一人部屋の内部を見せてもらった。
好評のようで、特に運転席や計器がそのまま残っている部屋は鉄道オタクにはたまらないらしい。

会は正午からだったが、午前10時出発の「日之影三大橋・新旧中学校をめぐるバスツアー」(希望者のみ)があり、参加した。
久々の帰郷で町の変貌をちゃんと見ていない人もいるのだ。
地元在住の実行委員の方々の企画力に脱帽。
添乗員ももちろん同級生で、S君だった。
案内の合間に刈干切り唄でも唄わせようと「添乗員さん、この辺りで有名な唄はありますか?」と尋ねると、「男はつらいよ」の替え歌で自分の心情を面白切なく歌い上げ、大いにウケた。
会場に戻るとおおかたの参加者が来ていて、あちこちで再会を喜ぶ声が上がっていた。
164名の仲間が45年を経て72名も出席、幹事の皆さんのご努力の賜である。
お世話になった先生もお二人ご出席くださった。
実行委員長T君の挨拶の後、里神楽をしているH君の「荒神の舞」で幕は切って落とされ、怒濤の同窓会になだれ込んでいった。
先生お二人のお言葉、全員での記念撮影があり、Sさんが日本舞踊を、Mさんが三線演奏を披露し、やんやの喝采を受けた。
窓の下を流れる五ヶ瀬川、対岸の新緑は今が最も美しい頃で、まさに「山は碧きふるさと 水は清きふるさと」である。
席を移動していろんな人と話し、少年少女の頃と同じ笑顔で写真を撮りあいし、時間はあっという間に過ぎていった。
校歌斉唱して午後4時で一旦中締め、引き続き同会場で二次会という形になったが、ほとんどの人が残った。
3年時のクラスごとの撮影では、添乗員S君が上着とズボンを脱いで中に着ていた赤シャツ赤パンツ姿になった。
K君がスパイダーマンのマスクを持っていたので「貸して」と言って烏帽子風に被せ、還暦の翁の出来上がり

出身小学校ごとの撮影、次は部活ごとの撮影と、みんなが入れ替わり立ち変わり壇上に上がった。

午後6時にようやくお開きとなった。
実行委員の皆さんの細やかな配慮と企画で素晴らしい同窓会だった。
全員が高千穂・荒立神社の御守りをいただき、厄払いをしてもらった。
国東半島で陶芸窯を持って本格的に焼き物をしているTさんは、全員に湯呑み・タンブラーの作品をプレゼントしてくれた。
それをくるんだ紙には相田みつをばりの言葉が添えられてあった。
恐らく全員異なるメッセージだったのだろう、私には「いのちいっぱい じぶんの花を」だった。
画像をアップしていたE君のは「こつこつこつこつ 積み上げる。 毎日毎日 少しづつ少しづつ。」。
みんなに読み上げてもらうんだった…。
6時間でも名残惜しくて近くのスナックで三次会。狭い店内に30人ほどが移動した。
カラオケで盛り上がっている時、突然店のドアが開いて入ってきたのはTo君だった!
小・中一緒で卒業以来の再会! 興奮して気づいたら思い切りハグしていた。
仕事の途中に立ち寄り、短時間いてまた車で高千穂方面に走り去っていった。
Y君が
吾亦紅を唄った。
とても上手で、聴き入っているうちにモニターが涙でぼやけてきた。
このような歌が琴線を引っ掻く年齢になったということか。
午後11時の閉店で今度こそお開き。
強者数名は次の店に行ったが、Fさんの車で私を含め3人が送ってもらい帰宅した。
午前10時のバスツアーからなんと13時間の濃密な一日だった。
山峡の町はすでに寝静まっていた。