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言の葉

2008.11.28 開設
2022.07.01 移設
sonnet wrote.

漫画で読むひむかの神話と伝説

2012年05月28日 | ノンジャンル

宮崎県日之影町出身の漫画家赤星たみこさんが「漫画で読む ひむかの神話と伝説」を作成。

県北9市町村に残る神話と伝説を漫画で紹介したもので、是非とも読みたくて延岡市役所に2冊申し込み、先週末届いた。
A4判64ページオールカラーの素晴らしい本で、これが送料負担のみで無料配布!?と驚き。
県外の方にも是非とも読んでいただきたい。
入手方法の詳細は、ご本人赤星たみこさんブログで。

G.W. かつてそこは列車が走っていた

2012年05月28日 | 

 
6日のお昼過ぎ、同級生のKさんから電話があった。
「よかったらお茶でも喫まない?」
彼女とは同窓会で会っていたが、ゆっくり話していなかったのでもちろんOK。
車で迎えに来てくれ、バイパス沿いのカフェ ルジェトアに行く。
こちらの店主は以前東京にいて、定年を機にUターンしカフェをオープンされた。
関東町人会最後の出席の時、スメタナの「モルダウ」を歌ったのが印象に残っている。
それ以来の再会で、変わらぬ柔和な笑顔で歓待していただいた。
友達はハーブティー、私はコーヒー、昼食を済ませていたが二人できのこのパスタをひとつオーダーした。
他にも手作りのクッキーやケーキをサービスでいただき、どれも美味しかった。
バルコニーからは緑滴る中に五ヶ瀬川の清流が望め、居心地が良くて2時間近くもいた。

バイパスを下りて日向八戸(ひゅうがやと)の友達の家に行き、そこから吾味とのひと駅間の遊歩道を二人で往復した。
遊歩道…。かつてそこは列車が走っていたのだ。
線路はまだ残っていたが歩きやすいように片側舗装されていたり、上の写真の鉄橋はアスファルトで固められていた。
複雑な思いでダム湖を歩いて渡った。
かつてそこは列車で渡っていたのだ。
   
   
無人駅だった吾味の駅舎はきれいに保存され、近所のご婦人が周囲の雑草を刈っている最中だった。
駅舎の壁には往時の時刻表がそのまま残っていた。
かつてこの駅に列車が停まり、人の乗降があったのだ。

G.W. 茶摘み今昔

2012年05月26日 | 
5日は実家のお茶摘みで、数十年ぶりに兄夫婦と共に母を手伝った。
上の写真は地元の茶園一心園 の茶畑。
我が家は身内が飲むだけの10畝程度のささやかな畑である。
幼い頃の記憶のまま、籠を腰に括りつけての茶摘みかと思っていたら、正確には「茶刈り」だった。
オイルタンク付きのモーターを背負って、そのパワーで動く巨大なバリカン状の刈り機で刈っていく。
バリカンには鯉のぼりのような長い袋が付いていて、刈った茶葉を吸い込んでいく。
袋の底は空いていて、収穫の時は紐で縛り、溜まってきたら底を開けて別の袋にまとめる方法である。
母と兄が交替で刈り、義姉と私は袋を抱えて尾いて行く役回りしかできなかった。

この辺りのお茶の製法は「釜炒り」が主流である。
昔、納屋にすり鉢状の大きな釜があり、薪をくべ、摘んだ茶葉を祖母が炒っていた。
柿渋を塗った大きな団扇をフライ返しにして丁寧に炒り、それをムシロに広げて揉んでいた。
もちろん今はそんなことはしない。向かいに加工所があり、摘んだお茶を持って行き加工代を払ってやってもらう。
許可をもらって見学、撮影させてもらった。
かつて家族総出の手作業の工程がすべて機械でオートメーション化されていた。
しかし、漂う香りは昔と変わらない。

午後、一心園に挨拶に伺うと新茶での釜炒り茶「月の雫」がすでに商品になっていたのでお土産用に購入した。
そのパッケージを見ると昔の製法が挿絵になっていた。
   
もうひとつお土産で欠かせないのが福田酒造所の「田舎味噌」である。
それを買いに青雲橋横の道の駅「村おこし屋」へ行った。
 
昨日京都に行った夫が、ペットボトルでお馴染みの福寿園の煎茶「伊右衛門」を買って来た。龍角散みたいなパッケージが面白いのでついでにアップ。

G.W. ふるさと 同窓会

2012年05月24日 | 

5月4日、同窓会は「日之影温泉駅」2階の広間を借り切って行われた。
すでに高千穂線は廃線となって列車は走ってないが「駅」という呼び名はしっかり残っている。
ホームには車両を利用した「TR列車の宿」があり、同級生が借りた一人部屋の内部を見せてもらった。
好評のようで、特に運転席や計器がそのまま残っている部屋は鉄道オタクにはたまらないらしい。 

会は正午からだったが、午前10時出発の「日之影三大橋・新旧中学校をめぐるバスツアー」(希望者のみ)があり、参加した。
久々の帰郷で町の変貌をちゃんと見ていない人もいるのだ。
地元在住の実行委員の方々の企画力に脱帽。
添乗員ももちろん同級生で、S君だった。
案内の合間に刈干切り唄でも唄わせようと「添乗員さん、この辺りで有名な唄はありますか?」と尋ねると、「男はつらいよ」の替え歌で自分の心情を面白切なく歌い上げ、大いにウケた。

会場に戻るとおおかたの参加者が来ていて、あちこちで再会を喜ぶ声が上がっていた。
164名の仲間が45年を経て72名も出席、幹事の皆さんのご努力の賜である。
お世話になった先生もお二人ご出席くださった。
実行委員長T君の挨拶の後、里神楽をしているH君の「荒神の舞」で幕は切って落とされ、怒濤の同窓会になだれ込んでいった。
先生お二人のお言葉、全員での記念撮影があり、Sさんが日本舞踊を、Mさんが三線演奏を披露し、やんやの喝采を受けた。
窓の下を流れる五ヶ瀬川、対岸の新緑は今が最も美しい頃で、まさに「山は碧きふるさと 水は清きふるさと」である。
席を移動していろんな人と話し、少年少女の頃と同じ笑顔で写真を撮りあいし、時間はあっという間に過ぎていった。
校歌斉唱して午後4時で一旦中締め、引き続き同会場で二次会という形になったが、ほとんどの人が残った。
3年時のクラスごとの撮影では、添乗員S君が上着とズボンを脱いで中に着ていた赤シャツ赤パンツ姿になった。
K君がスパイダーマンのマスクを持っていたので「貸して」と言って烏帽子風に被せ、還暦の翁の出来上がり camera
出身小学校ごとの撮影、次は部活ごとの撮影と、みんなが入れ替わり立ち変わり壇上に上がった。

午後6時にようやくお開きとなった。
実行委員の皆さんの細やかな配慮と企画で素晴らしい同窓会だった。
全員が高千穂・荒立神社の御守りをいただき、厄払いをしてもらった。
国東半島で陶芸窯を持って本格的に焼き物をしているTさんは、全員に湯呑み・タンブラーの作品をプレゼントしてくれた。
それをくるんだ紙には相田みつをばりの言葉が添えられてあった。
恐らく全員異なるメッセージだったのだろう、私には「いのちいっぱい じぶんの花を」だった。
画像をアップしていたE君のは「こつこつこつこつ 積み上げる。 毎日毎日 少しづつ少しづつ。」。
みんなに読み上げてもらうんだった…。

6時間でも名残惜しくて近くのスナックで三次会。狭い店内に30人ほどが移動した。
カラオケで盛り上がっている時、突然店のドアが開いて入ってきたのはTo君だった!
小・中一緒で卒業以来の再会! 興奮して気づいたら思い切りハグしていた。
仕事の途中に立ち寄り、短時間いてまた車で高千穂方面に走り去っていった。

Y君が亦紅を唄った。
とても上手で、聴き入っているうちにモニターが涙でぼやけてきた。
このような歌が琴線を引っ掻く年齢になったということか。

午後11時の閉店で今度こそお開き。
強者数名は次の店に行ったが、Fさんの車で私を含め3人が送ってもらい帰宅した。
午前10時のバスツアーからなんと13時間の濃密な一日だった。
山峡の町はすでに寝静まっていた。

G.W. 熊本

2012年05月20日 | 

計画では熊本市内観光一日半のつもりだったが、前日鹿児島で過ごしたので一日になった。
いや、ホテルをチェックアウト後駅に行って荷物をロッカーに入れたのが10時半、延岡行きのバスに乗るため午後3時には戻って来なければならないので実質半日しかない。
駆け足で廻れば2~3カ所行けなくもないが、じっくり熊本城だけ観ようと決めて市電に乗った。

加藤清正公の銅像に挨拶して櫨方門(はぜかたもん)から入った。
まずは石垣の美しさに目を奪われる。青葉の間に見える櫓や天守閣はまだまだ先の高みにあり、行きつ戻りつしながら石垣をカメラに収めた。

とりわけ左画像の石垣は二様の石垣(にようのいしがき)と呼ばれ、熊本城ならではのもので一見の価値あり。以下そばにあった案内板から引用。
ここの石垣は隅部の反り(勾配)や積み方が著しく異なっている姿が同時に観られることから「二様の石垣」と云われている。
向かって右手、隅部の勾配が緩やかな石垣が築城当初の加藤時代のものと考えられ、左手は細川時代になって増築されたもので勾配が急になっている。
隅部の石の形や積み方にも違いが観られ、重ね積みから算木積みへと時代による石積み技術の進歩が解る貴重な資料となっている。
また、不揃いの石を使っている加藤時代の積み方(乱れ積み)と、比較的同じ大きさに加工した石を使い整然と積み上げる(布積み)細川時代との違いも平部において観ることができる。

ロンブーの淳さんは城が好きで、見学する時は攻め入る軍の足軽目線で観るのだと何かで云っていたが、なるほどそうして観ると配置や設計などさらに興味深くなる。
   
宇土櫓(うどやぐら)と大天守閣・小天守閣のいずれも最上階まで上がり、急な階段を降りる時は膝がガクガクした。闇り御門(くらがりごもん)も圧巻。
   
帰りの石段を下り、須戸口門(すどぐちもん)近くまで来てでハタと気づいた。本丸御殿に行っていないではないか!
でも引き返す気力はもうなかった。それにバスの時間も迫っている。
もう一度おいでということだ、などと自分に言い訳しながら駅に向かった(こういうケースはあまり実現しない)。

さあバスに揺られて3時間、実家へ。