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言の葉

2008.11.28 開設
2022.07.01 移設
sonnet wrote.

2009年02月22日 | 宮崎縣かるた

 紙は穂北か日南パルプ (かみは ほきたか にちなんぱるぷ)

 

西都市穂北地区は、かるた発行当時は児湯郡西都町だった。
近くの米良の山々に紙の原料であるミツマタ・コウゾの木が多く自生していたため、古くから和紙作りが盛んに行われてきた。
また手漉きに欠かせない水は、一ツ瀬川の清流が利用された。

和紙は洋紙に比べて強靭で寿命、風合いの点で優れている。
洋紙が100年ほどでボロボロになるのに対し、和紙は正倉院に残る書物が示すように、1000年以上を経てもなおしっかりしている。
この優れた耐久性は、繊維の長い原料を使っていること、原料の叩解が丁寧な手仕事で処理されるために損傷が少なく、繊維の切断もほとんどなく、自然のままの丈夫さを保っているからだそうである。
しかし手漉きの和紙は手間がかかるため生産性が低く、価格も高くならざるを得ない。また現代社会では需要も限られ、年々希少価値的存在になりつつある。

旧暦8月1日、同市南方神社で奉納される「下水流(しもづる)臼太鼓踊り」は、長い竿に和紙の花飾りを付けた幟を背負い、胸の太鼓を打ち鳴らしながら踊るが、この花輪は今も変わらず穂北紙で作られている。

日南パルプは、旧日本パルプ工業株式会社が昭和13年に日南工場の操業を開始。
昭和54年に王子製紙株式会社と合併し、現在に至っている。


2009年02月11日 | 宮崎縣かるた

 飫肥杉植えた金右ヱ門 (おびすぎうえた きんえもん)

 

日南市の中心地区飫肥(おび)は、古くは飫肥藩伊東氏5万1000石の城下町だった。
今日でも江戸時代の武家屋敷が数多く保存され、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けている武家屋敷は、山口県の萩市に次ぐ規模である。
「九州の小京都」と呼ばれ、また明治の外交官小村寿太郎の出身地としても知られ、以前から県内有数の観光地だったが、2004年秋のNHK連続ドラマ「わかば」の舞台となり、さらに脚光を浴びて多くの観光客が訪れている。

宮崎県は杉の生産量日本一を誇っているが、とりわけこの地域の「飫肥杉」は上質な建材として有名。
南国特有の高温多湿の気候と肥沃な土壌に育ち、樹脂分が多く粘りがあり、水に強く腐りにくいため、曲げ加工して造船材としても利用されてきた。
他の杉より赤みが多いのが見た目の特徴である。
飫肥林業の歴史は古く、当時窮乏していた藩の財政を立て直すため、1623年頃から植林を行ったのが始まりと言われている。
かるたに詠まれている野中金右ヱ門は、18世紀後半に植林事業を精力的に行った藩士で、杉の安定的な育成に貢献した。
飫肥城の大手門は飫肥杉を使用し、釘を一切使用せず作られている。

現代ひむかかるたの『お』で、飫肥の町が詠まれている。
http://www.miyazaki-c.ed.jp/himukagaku/karuta/o/index.html


2009年01月27日 | 宮崎縣かるた

 煙突ならぶ旭化成(えんとつならぶ あさひかせい)

 

延岡市は、かつては内藤家七万石として栄えた城下町である。
城跡は市の中心地の小高い丘にあり、現在城山公園として市民の憩いの場になっている。
ここでは毎年10月上旬、二の丸広場・通称「千人殺し」の石垣を背景に「のべおか天下一薪能」が開催される。

近代になると旭化成の創業地として東九州一の工業都市に発展し、以来宮崎県北部の中心都市の役割を担ってきた。
かるたの発行された昭和30年代は、まさに「煙突並ぶ」と形容されるような工業都市の印象だったが、現在は豊かな自然と共存し、五ヶ瀬川・大瀬川・祝子川などの河川が日向灘に注ぎ、「水の郷百選」にも選ばれ、「水郷のべおか」と言われている。

 ベンベルグ工場跡の煙突

また延岡市は「アスリートタウン」としても有名。
旭化成がマラソンを始めとした各スポーツ選手の育成に尽力し、これまでオリンピック出場のトップアスリートを多数輩出してきた。
その影響で年間を通してさまざまなスポーツイベントが開催されている。
中でも最も盛り上がりを見せる「延岡西日本マラソン」は、「福岡国際マラソン」「別府大分マラソン」とともに九州三大マラソン大会のひとつとして知られており、今年は2月15日(日)に実施される。

 延岡駅前のモニュメント

延岡市ホームページ
http://www.city.nobeoka.miyazaki.jp/index.html

延岡観光協会ホームページ
http://www.nobekan.jp/


2008年12月31日 | 宮崎縣かるた

 鵜戸神宮へシャンシャン馬(うどじんぐうへ しゃんしゃんうま)

  

地元の人々から親しみを込めて「鵜戸さん」と呼ばれている鵜戸神宮は、日南市宮浦地区、日向灘に面した鵜戸崎という岬にある。
規模、知名度ともに宮崎県南屈指の神社で、岬全体が境内になっており、参道を海の方へ下って行くと断崖の海蝕洞の中に朱塗りの本殿が建っている。
ここは縁結び・夫婦和合・子授け・安産などのご利益があるとされ、明治初期頃まで新婚の夫婦がお参りをする風習があった。
花嫁を馬にのせ、花婿が手綱を取り、当時「七浦七峠」と呼ばれた険しい道程を経ての参詣で、馬の首にかけられた鈴の音シャンシャンと鳴ることからこの名がある。
現在では宮崎神宮大祭での「ミス・シャンシャン馬」のイベントなどで、当時の様子をうかがうことができる。
道路が整備されて後、昭和40年代に宮崎が新婚旅行ブームで賑わった時代に鵜戸神宮参拝が欠かせなかったも、同様の思いからだったのだろう。
もちろん今も全国から観光客が大勢訪れる人気の観光スポットである。
ことにお正月には海からの初日の出が見られることもあり、多くの人たちが初詣でに訪れる。
折りしも今日は大晦日、深夜から明朝にかけてさぞ賑わうことだろう。

また、そこでお奨めしたいのが「運玉投げ」。
本殿そばの欄干から、前方にある「霊石亀石(れいせきかめいし)」の窪みに「運玉」を投げ入れることで願いがかなうと言われ、男性は左手、女性は右手で投げるのが決まり。

願いがかなうなら、世界全体が平和な2009年でありますよう。

現代ひむかかるたでは『ね』で詠まれている。
http://www.miyazaki-c.ed.jp/himukagaku/karuta/ne/index.html


2008年12月22日 | 宮崎縣かるた

 岩戸神楽に夜を明かす (いわとかぐらに よをあかす)

  

神様に舞いを奉納する神楽は全国各地にあるが、神話のふるさと宮崎県はことに多く、県下の約350ヶ所で行われているそうである。
なかでも高千穂神楽は有名で、米良(めら)神楽、椎葉(しいば)神楽とともに国指定重要無形文化財に指定されている。

かるたに詠まれでいる「岩戸」は高千穂町の一地区名で、集落ごとに行われているためこうした呼び方もされる。
現在は観光向けに一年を通して観られるダイジェスト版神楽もあるが、農閑期の11月~2月に一般家庭が神楽宿になって舞われる夜神楽がやはり趣きがある。
農家の座敷に彫物(えりもの)が張られると、そこはたちまち神聖な神庭(こうにわ)に変わり、近在の主婦たちはのり巻きやいなり寿司、お煮しめなどのごちそうを大量にこしらえる。
舞い手は普段農業やお勤めに従事している一般人。そしてこの伝統を受け継ごうとしている子供たちの舞いもある。
内容は、古事記や日本書紀に描かれた岩戸隠れなどの33番から構成され、夕方から夜を徹して舞われる。

さらに興味のある方は以下のサイトへ。
「高千穂の夜神楽」見聞録~高千穂神楽の夜は永く
http://homepage3.nifty.com/muzina-press/kagura/t-kagura.htm
そこには、『神楽は「見世物」ではなく「神事」である。見物人は「賓客」ではなく「参列者」である』と記してある。

ちなみに現代ひむかかるたでは『よ』で詠まれている。
http://www.miyazaki-c.ed.jp/himukagaku/karuta/yo/index.html

神楽舞い


彫物