先週の土曜日、小学校の土曜教室から帰宅して、夕刻近くに自転車で市内にある歴史博物館を見学に行ってきた。その折、そこの近くの、昔の武家屋敷を見学した。江戸時代末期にこの街で生まれ、晩年をも過ごしていた、という武士の邸宅で、藁葺きの屋根の家である。
この武士は、江戸幕府から命じられて、幕末に起こった大塩の乱を平定し、この功績により幕府の家老にまでなった、といわれている鷹見泉石という人物である。
思えば、江戸末期に、大阪の飢民を救助せんが為に、富豪の横暴に激して大塩平八郎が起こした、この米騒動の乱。ひと月もの間、隠れていた首謀者の大塩平八郎を探し回って、とうとう自刃に追い込んだ鷹見泉石の行為は、幕府への忠誠心として評価できるものの、一方で私としては、正義感を貫く大塩平八郎へのなにかしらの温情措置が取れなかったものか、ちょっぴり心に引っ掛かるものを感じている。
さて、この鷹見泉石の邸宅には広い庭もあって、そこには大木に成長した、高さ3メートルもあるような「どうだんツツジ」も植えられていた。今の時期、紅葉の見ごろを過ぎた頃と思われるのだが、それにしても真っ赤に色づいた無数の葉っぱが夕陽にキラキラと輝いて、実に美しかった。うっとり見惚れてしまった。
そして、綺麗に手入れされた庭の中を時間を忘れて散策してきた。
この武士は、江戸幕府から命じられて、幕末に起こった大塩の乱を平定し、この功績により幕府の家老にまでなった、といわれている鷹見泉石という人物である。
思えば、江戸末期に、大阪の飢民を救助せんが為に、富豪の横暴に激して大塩平八郎が起こした、この米騒動の乱。ひと月もの間、隠れていた首謀者の大塩平八郎を探し回って、とうとう自刃に追い込んだ鷹見泉石の行為は、幕府への忠誠心として評価できるものの、一方で私としては、正義感を貫く大塩平八郎へのなにかしらの温情措置が取れなかったものか、ちょっぴり心に引っ掛かるものを感じている。
さて、この鷹見泉石の邸宅には広い庭もあって、そこには大木に成長した、高さ3メートルもあるような「どうだんツツジ」も植えられていた。今の時期、紅葉の見ごろを過ぎた頃と思われるのだが、それにしても真っ赤に色づいた無数の葉っぱが夕陽にキラキラと輝いて、実に美しかった。うっとり見惚れてしまった。
