手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

美味しいお米は、美人と関係あるのかな!

2007-09-08 21:31:44 | Weblog
今日のお昼、TVを見てるとき、その中でタレントが、秋田と新潟は美人が多い、と話していた。私は、昔から秋田美人という言葉はよく聞いていたが、新潟については知らなかった。実は、秋田へは去年に旅行しており、一方、「こしひかり」など米の産地で有名な新潟へは、つい最近旅行したばかりだ。新潟への旅は今回がはじめてだったが、電車に乗ってるとき、車窓には、いたる所で広大な緑一面の田んぼが目について、さすが「米の産地 新潟」だな、って思ったものだった。
このお米について考えてみると、新潟の「こしひかり」に対して、秋田と言えば、「秋田こまち」という有名なブランド米があって、これらはともに美味しいことで全国的に知れ渡っているものだ。そして、このことと、TVタレントが話していた、「秋田と新潟は美人が多い」、と言うのを重ね合わせると、どうやら、美味しいお米と美人とは関係がある、ということが言えそうだ。どうでもいい、と言えばそれまでだが、私には、理屈はわからないながら、真っ白いふっくらとした見るからに美味しそうなご飯と、一方で、美人の真っ白い透き通ったような素肌、やはり、大いに関係がある、と思えてきた。
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便利なインターネットを使った地図・航空写真の閲覧

2007-09-07 21:25:16 | Weblog
先日、友人に聞いた話によると、彼はときどきインターネットを使って世界中の国々のいろんな場所の地図や写真を見て楽しんでいる、という。彼は世界中の名所旧跡などの地図や写真をパソコン画面上に出して、ちょっとした世界旅行を楽しんでいるそうだ。私もそれを、「神の眼-衛星写真で見る世界-」
http://www.kaminome.net/
というサイトで、試みてみた。確かに使い易い。世界中好きな場所の地図及びその写真が即座に表示され、しかも簡単に拡大/縮小などズーミングが出来て、非常に便利だ。表示させたい場所の移動もマウスのドラッグだけでできるのも便利だ。試しに、自分の住む街とか我が家はもちろん、道路などあらゆるものが、地図や写真で鮮明に表示されているのにはビックリ。インターネットの威力をつくづく思い知らされた。私は、かねてからインターネットの発明は、イギリスの産業革命に匹敵するものでは、と思っているのだが、ますますその思いを強くした。今後ともインターネットを応用してのいろんな用途が拓かれていくことだろう。ただ、この便利なインターネットを悪用して、ウイルスをばらまいたりするなど犯罪が出現しており、この面の法整備が急務ではないかな、と思う。
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コンピューターのソフトって使用者に奴隷になることを強要する

2007-09-06 18:31:20 | Weblog
私は常々、パソコンなどコンピューターのソフトを使う、ということは、そのソフトの奴隷にならざるを得ないことだ、と思っている。もっと詳しく言えば、ソフトを使うってことは、そのソフトを作った人や制作メーカーの奴隷になることだ、と思う。例えば、パソコンのソフトを使って、ある作業操作をしたいと思うとき、キーボードのCtrlボタンとShiftボタンを同時に押す、なんていう約束事なんかにしょっちゅう出くわすのだが、この約束事って、ソフト制作者の意思で勝手に決めているものだ。私たちユーザーが、CtrlボタンとShiftボタンを同時に押すのは不便に感じても、そうしないことには希望する作業操作が実行できないので、仕方なくこのようなキーボード操作をしているわけだ。
このように、ソフトを使う、ということは、ユーザーの自由意志が束縛され、自由な意思が奪われることに他ならないわけで、ユーザーにとっはストレスにもなり、非常に不便な困った問題だ。
それに加えて、同じような文章作成ソフトでも、その制作メーカーが違えば、同じ作業操作をするのに、違ったキーボード操作が必要になる、なんてこともしょっちゅうあって、これまた不便極まりない。
その上、ソフトメーカーは時々、ソフトのアップグレードやバージョンアップと称して、今までのソフトの改変をごく普通に行っている。その場合、新しい便利な機能が付け加えられたり、不便だった操作が改良されたりする、こと自体は良いのだが、時として、今まで慣れ親しんできた操作方法が無効になっていて使えなくなっていたりする場合もあって、ユーザーの頭の中が混乱して、これまたストレス、不便を感じる。そこで、この不便を避けて、どうしても今まで慣れ親しんできた操作方法に固執したい場合は、古いバージョンのままのソフトを使えばいい、ということになる。しかし、そうすると今度はソフトメーカーが、後になって、古いバージョンのソフトのサポートを打ち切ったり、あるいは古いバージョンのソフトが最新式のパソコンではインストールできない、という深刻な事態が発生する。
以上はソフトに関する不便さ、問題点を述べたが、似たような問題はハードについても言える。
技術の進歩によって、ソフトもハードも、時代とともにより便利なように、今後も改変されていくのであろうが、ということになると、上述したように、ユーザーは、今後も永遠に、制作メーカーの言いなりに、奴隷であり続けることになるのであろうか?考えただけでゾッとする。
過去を振り返ってみると、現在のようなパソコンが無かった昔には、不便ながらも上述したようなストレスは無く、ユッタリとした幸せ感に浸りながら、それなりに満足な日々を過ごしていた人々も結構多くいたのではないだろうか。
技術の進歩は、豊かな生活をもたらしてくれる一面を持ってはいるものの、その一方で、例えば上述したようなユーザーにストレスをもたらす、といった負の側面を持っていることに留意すべきだな、ということをしみじみ考えさせられている。
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最近の数日間、アメリカからの賓客を迎えて過ごした

2007-09-05 14:52:38 | Weblog
去る8月31日の金曜日から、9月3日までの間、我が家にはアメリカから賓客が来ていた。彼は、私の妹がアメリカで米国人と結婚して誕生した青年で、日本語は話せず、また、ほとんど日本語も通じない。今回は、35歳になる彼が仕事で香港に出張した帰途に、日本に立ち寄ったものだ。私はブロークン・イングリッシュながら、彼の日本での滞在期間中、ほとんどを彼と共に過ごした。8月31日の午後には、私は3歳の孫娘と家内、それに娘の夫とで、成田空港に出かけて彼を出迎え、その晩は、彼が好きだ、という麻婆豆腐をご馳走した。彼の滞在期間中は、父の墓参りをしたり、お寺に参拝したり、弟と会ったり結構いそがしく過ごした。夜は、彼を居間に招いて、家内とともに最近私が旅行した佐渡のビデオを鑑賞するなど、リラックスして楽しく過ごしてもらった。
彼が帰国した後で、アメリカに住む妹からかかってきた電話によると、日本での滞在を楽しかった、と興奮して喜んでいたそうだ。その電話で、彼の滞在期間中に私が気になっていたことを彼が残念がっていた、ことを知った。というのは、彼は、帰国してからすぐに彼の母(私の妹)に、今回の日本滞在中に私の手打ち蕎麦を食べるのを忘れていて、「いますぐ蕎麦を食べたい」と、言い出したそうだ。そこで、妹は仕方なく、すぐに乾麺のそばを茹でて彼に食べさせた、という。-----この話を妹から聞いて、以前彼が日本に来た時に、彼にご馳走した私の手打ち蕎麦を、彼が美味しく感じていたからなのかな、と私なりに解釈している。実は、今回、彼に手打ち蕎麦をご馳走しようとは思っていたのだが、彼のスケジュールの都合でそのヒマが無く、私は気になっていたのだ。
とにかく、数年ぶりに久しぶりで日本に来た彼が、日本滞在を楽しんで喜んでいた、という妹からの報告を聞いて、私も家内も心から嬉しく、喜んでいる。
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