手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

コンピューターのソフトって使用者に奴隷になることを強要する

2007-09-06 18:31:20 | Weblog
私は常々、パソコンなどコンピューターのソフトを使う、ということは、そのソフトの奴隷にならざるを得ないことだ、と思っている。もっと詳しく言えば、ソフトを使うってことは、そのソフトを作った人や制作メーカーの奴隷になることだ、と思う。例えば、パソコンのソフトを使って、ある作業操作をしたいと思うとき、キーボードのCtrlボタンとShiftボタンを同時に押す、なんていう約束事なんかにしょっちゅう出くわすのだが、この約束事って、ソフト制作者の意思で勝手に決めているものだ。私たちユーザーが、CtrlボタンとShiftボタンを同時に押すのは不便に感じても、そうしないことには希望する作業操作が実行できないので、仕方なくこのようなキーボード操作をしているわけだ。
このように、ソフトを使う、ということは、ユーザーの自由意志が束縛され、自由な意思が奪われることに他ならないわけで、ユーザーにとっはストレスにもなり、非常に不便な困った問題だ。
それに加えて、同じような文章作成ソフトでも、その制作メーカーが違えば、同じ作業操作をするのに、違ったキーボード操作が必要になる、なんてこともしょっちゅうあって、これまた不便極まりない。
その上、ソフトメーカーは時々、ソフトのアップグレードやバージョンアップと称して、今までのソフトの改変をごく普通に行っている。その場合、新しい便利な機能が付け加えられたり、不便だった操作が改良されたりする、こと自体は良いのだが、時として、今まで慣れ親しんできた操作方法が無効になっていて使えなくなっていたりする場合もあって、ユーザーの頭の中が混乱して、これまたストレス、不便を感じる。そこで、この不便を避けて、どうしても今まで慣れ親しんできた操作方法に固執したい場合は、古いバージョンのままのソフトを使えばいい、ということになる。しかし、そうすると今度はソフトメーカーが、後になって、古いバージョンのソフトのサポートを打ち切ったり、あるいは古いバージョンのソフトが最新式のパソコンではインストールできない、という深刻な事態が発生する。
以上はソフトに関する不便さ、問題点を述べたが、似たような問題はハードについても言える。
技術の進歩によって、ソフトもハードも、時代とともにより便利なように、今後も改変されていくのであろうが、ということになると、上述したように、ユーザーは、今後も永遠に、制作メーカーの言いなりに、奴隷であり続けることになるのであろうか?考えただけでゾッとする。
過去を振り返ってみると、現在のようなパソコンが無かった昔には、不便ながらも上述したようなストレスは無く、ユッタリとした幸せ感に浸りながら、それなりに満足な日々を過ごしていた人々も結構多くいたのではないだろうか。
技術の進歩は、豊かな生活をもたらしてくれる一面を持ってはいるものの、その一方で、例えば上述したようなユーザーにストレスをもたらす、といった負の側面を持っていることに留意すべきだな、ということをしみじみ考えさせられている。


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