手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

少年サッカーの想い出-試合では、勝っては飲み、また負けても飲んでいた

2007-07-07 19:48:04 | Weblog
今日の午後、私は家内の運転する車で埼玉県に住む息子の所に行ってきた。一週間前の頃、孫が自転車でころんで、腕の骨にヒビがはいってしまった、ということを息子のお嫁さんから聞いていたので、見舞うためだ。息子の家に行ったら、息子だけがいて、お嫁さんと2人の孫は外出していた。小学2年生になる長男の方の孫は、小学校にサッカーの練習に行っていて、小学1年生の孫は腕の治療に医者に行っている、という。そこで、私たちは、息子を誘って、小学校に行って孫のサッカーの練習を見学に行った。その小学校は息子も通った小学校であり、さらに、孫の所属するサッカーの少年団チームも息子が所属していたところと同じだった。
かつて父兄による息子や娘の授業参観のために訪れていたこの小学校、私と家内には思い出が一杯詰まっている。小学校に着いてすぐ、私たちは校舎の裏手にある運動場に行くと、大勢の仲間とサッカーの練習に励む孫を見つけた。孫の着ていた赤地に白抜きの背番号のユニフォームは、息子の当時とまったく同じだった。後で、家内が、私に「あの(孫の)ユニフォーム姿、息子とそっくりだね!」と言っていたが、そう言われてみると、体つきや身のこなし方など確かに息子そっくりだな、と思った。まさに孫は息子2世だ。
ほどなくして、腕に包帯を巻いた小学1年の孫が、お嫁さんとともに、運動場にやってきた。
孫の練習風景に目をやりながら、手持ち無沙汰の私は近くの鉄棒に挑戦してみた。簡単に出来ると思っていた"逆上がり"ができなくて、ショックだった。腕の力が落ちたかな?と思い、なんどもチャレンジしたが成功しなかった。--で、いづれまた、チャンスがあったら、こんどこそ成功させたい、と思っている。
ところで、息子が入っていた時代のサッカー少年団では、かつて私がその少年団の父兄会の会長を仰せつかっていたこともあって懐かしい。当時は、この少年団が結構、強豪で、選手たちの父兄が、しょっちゅう行われる対抗試合のため熱心な応援をしていたものだった。あの当時のサッカー少年団の団長やコーチの方たちは飲むのが好きで、試合に勝っても、また、負けても、飲み、その度に、ほとんど飲めないのに、私は、彼らにお付き合いしたものだったが、実に懐かしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする