min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

映画『一命』

2011-10-18 17:55:16 | ノンジャンル
物語のあらすじは

Cinema cafeより引用

「戦国の世は終わり、平和が訪れたかのようにみえた江戸時代初頭。徳川の治世のもと、大名の御家取り潰しが相次ぎ、仕事も家も無くし生活に困った浪人たちが続出していた。そして、困窮した彼らの間で、裕福な大名屋敷に押しかけ、庭先で切腹を申し出ると面倒を避けたい屋敷側から職や金銭を与えられることを利用した「狂言切腹」が流行していた。そんな中、名門・井伊家の門前に津雲半四郎(市川海老蔵)と名乗る浪人が現れる。家老・斎藤勘解由(役所広司)は、数ヶ月前にも同じように訪ねてきた若浪人・千々岩求女(ちぢいわ もとめ/瑛太)の起こした狂言切腹の顛末を話して聞かせる。すると半四郎は、自分が切腹に至るまでの驚くべき事実を語り始め…。」


中世の封建社会が矛盾に満ち満ちていることは古今東西の歴史をみれば明らかなことではある。
また勝者が敗者を支配するのは動物社会同様、人類においてもジュングル・ルールが厳格に適用されてきた。ただその適用の仕方がサムライ社会においては現代よりもより厳格に行われてきたのは事実。
本作を撮るにあたり三池崇史監督が目指したものは何だったのであろう?
単なる武士社会の矛盾と欺瞞を暴き、虐げられ侍の最後の“矜持”の発露か!?もちろんそれもあるだろう。だが何故今古臭い映画『切腹』のリメイクを行ったのか?

本編を観ながら僕の頭の中に浮かんだのは現在の日本、そして現在の世界であった。
それは時が経ても変わらぬ「格差社会」の現状である。
勝ち組と負け組の鮮やかでかつ残酷なまでの差違。負け組が一生かけても決して浮上できないシステムは正に現代も中世のまま。
竹みつで井伊家の侍達に切り結ぶ津雲半四郎の最後の叫びは、「それがしどもは単に生きたかっただけなのだ。おぬしらに憐憫の情というものはないのか!」であったが、このセリフは300年後の日本の政治屋、官僚ども、そして自らの利益しか追求しない大企業に向かって投げつけるべきかも知れない。

<余談>

本編の配役は市川海老蔵、瑛太、満島ひかり、役所広司ほかであるが、市川海老蔵に関しては彼が根っからの歌舞伎役者であることを認識させてもらった。が、あの事件を忘れることは出来ないが故に心の隅でシラケさせる部分があったことは否定しようがない。
瑛太は正嫌いな役者のひとりであるが、今回の演技に関しては大いに評価したい。
役所広司は日本の時代劇にあける重鎮とも言える存在になりつつある。お見事。
満島ひかり・・・・・




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