西江雅之著『異郷日記』青土社 2008.5.9 2,200円+tax
オススメ度★★★★☆
文化人類学者であり言語学者である西江雅之氏がかって現役の学者として足を踏み入れたフィールド・ワークではなく、現役を引退して20年あまり経った今、ふと思い立って行った場所や何かの縁で再び行った所、また会った人々のことを綴る旅行記である。
西江氏は語る。『物心がついた頃から、自分は異郷にいるのだという感覚が、わたしにはいつも付きまとっている。「わたしにとって、自分の皮膚の外側はすべて異郷だ」と、こんな言葉を機会あるごとに口にしてきた。』
こんなことをのたまう学者殿は他に存在するであろうか?同氏こそ文化人類学的アプローチを行い、“学術調査”すべき対象と言っても過言ではない(笑)。
本編では氏の知的好奇心の結果として紹介される世界のいろいろな場所が何の脈絡も無く我々には思えるのであるが、同氏の中では全てが繋がっているのであろう。
同氏の精神世界、興味のある世界の拡がりは我々凡人の考える範疇を軽々と超え、的確に把握することは難しいのであるが、同氏の持つ「言語能力」については更に驚愕させられる。
その一例が作品中でこんな具合に紹介されている。
『タミル文字は、ヒンディー語の文字と歴史的には同じ系統に属す。ただ、字体が少々異なるだけである。わたしは、ヒンディー語で使用されているデーヴァナーガリー文字ならば読むことができる。その気になれば、原理的には同じ根拠に基づいているタミル文字も、一日二日あれば、看板くらいはよめるはずだ。』などと。
かって、私は同氏は“スワヒリ語”や“クレオール語”を専門とされる学者で、その習得の為にはもちろん英語を解す方であり、周辺言語としてアラビア語にも通じる、程度の語学力の持ち主だと思っていた。
しかし、本書を読むにつれ、最初の習得した(ほぼ独学で)言語はフランス語でその時はまだ中学生程度であり、他にも並行して何ヶ国語か勉強していたようだというのが分かってくる。そして前述のヒンディー語云々である。
この方の言語能力については計り知れないものがあるが、これらの状況がさらりと語られるところが彼の魅力である。
本編中で「ソマリアへ」のみが過去の旅について語られているのだが、私の唯一の“嫉妬”はまさにこのソマリア行であった。
今にしてはもう不可能な旅(同国は現在、完全な無政府状態下にあるため)であるわけで、私もかってケニアに住んでいた時代に行くべきであったと忸怩たる思いで同氏の「ソマリア行」を読んだのであった。
オススメ度★★★★☆
文化人類学者であり言語学者である西江雅之氏がかって現役の学者として足を踏み入れたフィールド・ワークではなく、現役を引退して20年あまり経った今、ふと思い立って行った場所や何かの縁で再び行った所、また会った人々のことを綴る旅行記である。
西江氏は語る。『物心がついた頃から、自分は異郷にいるのだという感覚が、わたしにはいつも付きまとっている。「わたしにとって、自分の皮膚の外側はすべて異郷だ」と、こんな言葉を機会あるごとに口にしてきた。』
こんなことをのたまう学者殿は他に存在するであろうか?同氏こそ文化人類学的アプローチを行い、“学術調査”すべき対象と言っても過言ではない(笑)。
本編では氏の知的好奇心の結果として紹介される世界のいろいろな場所が何の脈絡も無く我々には思えるのであるが、同氏の中では全てが繋がっているのであろう。
同氏の精神世界、興味のある世界の拡がりは我々凡人の考える範疇を軽々と超え、的確に把握することは難しいのであるが、同氏の持つ「言語能力」については更に驚愕させられる。
その一例が作品中でこんな具合に紹介されている。
『タミル文字は、ヒンディー語の文字と歴史的には同じ系統に属す。ただ、字体が少々異なるだけである。わたしは、ヒンディー語で使用されているデーヴァナーガリー文字ならば読むことができる。その気になれば、原理的には同じ根拠に基づいているタミル文字も、一日二日あれば、看板くらいはよめるはずだ。』などと。
かって、私は同氏は“スワヒリ語”や“クレオール語”を専門とされる学者で、その習得の為にはもちろん英語を解す方であり、周辺言語としてアラビア語にも通じる、程度の語学力の持ち主だと思っていた。
しかし、本書を読むにつれ、最初の習得した(ほぼ独学で)言語はフランス語でその時はまだ中学生程度であり、他にも並行して何ヶ国語か勉強していたようだというのが分かってくる。そして前述のヒンディー語云々である。
この方の言語能力については計り知れないものがあるが、これらの状況がさらりと語られるところが彼の魅力である。
本編中で「ソマリアへ」のみが過去の旅について語られているのだが、私の唯一の“嫉妬”はまさにこのソマリア行であった。
今にしてはもう不可能な旅(同国は現在、完全な無政府状態下にあるため)であるわけで、私もかってケニアに住んでいた時代に行くべきであったと忸怩たる思いで同氏の「ソマリア行」を読んだのであった。