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min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

西江雅之著『異郷日記』

2009-02-11 16:36:38 | ノンフィクション
西江雅之著『異郷日記』青土社 2008.5.9 2,200円+tax

オススメ度★★★★☆

文化人類学者であり言語学者である西江雅之氏がかって現役の学者として足を踏み入れたフィールド・ワークではなく、現役を引退して20年あまり経った今、ふと思い立って行った場所や何かの縁で再び行った所、また会った人々のことを綴る旅行記である。
西江氏は語る。『物心がついた頃から、自分は異郷にいるのだという感覚が、わたしにはいつも付きまとっている。「わたしにとって、自分の皮膚の外側はすべて異郷だ」と、こんな言葉を機会あるごとに口にしてきた。』
こんなことをのたまう学者殿は他に存在するであろうか?同氏こそ文化人類学的アプローチを行い、“学術調査”すべき対象と言っても過言ではない(笑)。

本編では氏の知的好奇心の結果として紹介される世界のいろいろな場所が何の脈絡も無く我々には思えるのであるが、同氏の中では全てが繋がっているのであろう。
同氏の精神世界、興味のある世界の拡がりは我々凡人の考える範疇を軽々と超え、的確に把握することは難しいのであるが、同氏の持つ「言語能力」については更に驚愕させられる。
その一例が作品中でこんな具合に紹介されている。
『タミル文字は、ヒンディー語の文字と歴史的には同じ系統に属す。ただ、字体が少々異なるだけである。わたしは、ヒンディー語で使用されているデーヴァナーガリー文字ならば読むことができる。その気になれば、原理的には同じ根拠に基づいているタミル文字も、一日二日あれば、看板くらいはよめるはずだ。』などと。
かって、私は同氏は“スワヒリ語”や“クレオール語”を専門とされる学者で、その習得の為にはもちろん英語を解す方であり、周辺言語としてアラビア語にも通じる、程度の語学力の持ち主だと思っていた。
しかし、本書を読むにつれ、最初の習得した(ほぼ独学で)言語はフランス語でその時はまだ中学生程度であり、他にも並行して何ヶ国語か勉強していたようだというのが分かってくる。そして前述のヒンディー語云々である。
この方の言語能力については計り知れないものがあるが、これらの状況がさらりと語られるところが彼の魅力である。
本編中で「ソマリアへ」のみが過去の旅について語られているのだが、私の唯一の“嫉妬”はまさにこのソマリア行であった。
今にしてはもう不可能な旅(同国は現在、完全な無政府状態下にあるため)であるわけで、私もかってケニアに住んでいた時代に行くべきであったと忸怩たる思いで同氏の「ソマリア行」を読んだのであった。



「昭和」を点検する

2008-12-08 08:48:03 | ノンフィクション
『「昭和」を点検する』 講談社現代新書2008.7.20 各720円+tax
保坂正康+半藤一利 対談集
オススメ度★★★★★

本書は2007年夏に催された「第76回新宿セミナー@kinokuniya、昭和を点検する」を基に同年2月に開かれた「大人の休日倶楽部」プレゼンツ『「昭和史」10の謎――2人の昭和史研究家が語る』の内容を加えて再編集されたもの。

全体を通し極めて平易なキーワードをもって「昭和」を語っている。副題として「なぜ、無謀な戦争に突入していったのか」とある。
さて、そのキーワードは以下の5つである。

1. 世界の大勢――近代日本の呪文
2. この際だから――原則なき思考
3. ウチはウチ――国家的視野狭窄の悲喜劇
4. それはお前の仕事だろう――セクショナリズムと無責任という病痾
5. しかたなかった――既成事実への屈服

一般聴衆を意識した上での対談であることから、学者然とした難解な語句を用いてのスノッブな言い回しではなく誰もが理解できるような内容となっている。
リベラルな立場から「昭和」という時代の歴史の虚実が実例を多く用いて興味深く語られる。
教科書等で語られる通り一遍の歴史ではなく、ある種の「日本人論」ともいえる内容も含んでいる。
対談の主流からはずれてはいるのだが、雑談的に述べられている次の言葉が印象に残った。
「結局、薩長が創ったともいえる大日本帝国は、最後はやはり薩長が(薩長出身者の意)が滅ぼしたともいえますね」の部分。

本書では言及していないが、「昭和史」を語るのは当然その前の大正、明治、江戸末期から物事の歴史を掘り返さねばならない。
浦賀のペリー率いる4隻の蒸気船が現れて以来、我が国の歴史を振り返ると「なるべくしてなった戦争の歴史」となるわけで、我が国が近代国家になる為にはこのような道以外ありえなかったのか?そのことを今後ともじっくりと探っていきたい。


隷属国家 日本の岐路

2008-09-24 13:03:49 | ノンフィクション
北野 幸伯著『隷属国家 日本の岐路』ダイヤモンド社 2008.9.4第一冊 1,500円+tax

オススメ度 ★★★★☆

ロシア外務省付属「モスクワ国際関係大学」卒業生の半分は外交官に、半分はKGBになるといわれている。そんな大学を私は卒業した、と自ら本書の中で述べている。
更に、卒業と同時にカルムイキヤ自治共和国の大統領顧問に就任し、プーチン大統領のブレーンのひとりになった、とのこと。
このようなお方の著作となると普通は“どん引き”してしまうところであるが、ある筋?からの紹介があって読んでみることにした。

結論から言わせてもらうと、かつ何ら前もっての偏見を抜きにして言わせてもらうと、
『この方の書いている事はまさに正論だぁ!』ということ。
彼がロシアにいて周囲の言論、情報から判断し分析している“日本の姿”の大半は僕も感じ考えていたことに合致する。

特に「米国一辺倒の政治・経済路線の破綻」の後、行き着く先は「中国の天領になる」というのは100%正しいものの見方である。
「日本は自立しなければならない」という命題のもとに、

第一章 崩壊寸前の日本は大減税で復活する
第二章 移民労働者受け入れに反対!
第三章 平和ボケ 外交音痴 日本の行く末
第四章 食糧危機とエネルギー危機をどう乗り切る?
第五章 世界一教育熱心な国 日本が失った“教育”
第六章 脱アメリカ信仰! 日本は世界から愛されている

の内容が記されており、一応彼なりの「解決策」が提示されている。
特に第四章の食糧危機とエネルギー危機の問題提起は昨今の焦眉の課題でもあり、興味深い。食料危機については外国への依存体質を変えないと本当にヤバイことになる。これは国民一人一人がもっともっと自覚せねば。
「メタンハイドレート」の話、もしこれが実現したら日本は一挙に“資源大国”になるでないの!?そうなったら真に痛快!だ。


ロシア発の異色な「日本論」、大いに楽しませてもらった。同時に大いに賛同するところの多い著作である。

カラシニコフ II

2008-08-06 19:53:00 | ノンフィクション
松本仁一著『カラシニコフⅡ』朝日文庫 2008.7.30 第一刷 600円+tax

オススメ度★★★☆☆

第一巻ではアフリカ大陸のシオラレオネ、ソマリア、チャド、ザイール、南アフリカとカラシニコフを追って取材を続けたわけであるが、カラシニコフはアフリカだけに出回っているのか?といえばそうではない、今や全世界的に出回っているのだ。
著者である松本氏は朝日新聞の読者からの要望もあり、取材の旅を更に南北アメリカ大陸、中国、中東へと広げてゆく。
最初の取材地は南米のコロンビア、ここで奇怪なカラシニコフ銃に出会う。“ノリンコ”という本来スポーツ競技用として生産している中国の「北方工業公司」というメーカーの英語の略である。
ノリンコは本来競技用の銃でセミオートなのであるがここコロンビアではフルオートが可能な銃になっている。
一体何故このような銃がコロンビアに出回っているのか?搬入ルートを辿ると米国の銃器販売会社がからんでいることが判明する。中国→米国→パナマ→コロンビアというルートで米国以降は密輸である。密輸の代金はコカインだ。中国と米国の“死の商人”たちが送り込む銃と引き替えにこんどは米国に向かってコカインが持ち込まれるわけだ。

カラシニコフの拡散はとまらない。パキスタンのアフガニスタン国境に近いダリ村では堂々と銃器類が密造されている。中でもカラシニコフの需要が一番多く、ほとんどの密造屋はAK47を専門に作っている。製造元の刻印も本家旧ソ連から中国、ルーマニア製とお望み次第の生産国の刻印を押してしまうというのだから恐れ入る。
こんなコピー製品であってもそこそこの性能を有するカラシニコフ自動銃というのは、やはり構造がシンプルで故障しずらいということであろう。
次の章でアフガンやイラクのカラシニコフが取り上げられているのであるが、米軍侵攻後のアフガン政府そしてイラク政府の採用正式銃がこのカラシニコフであること、更に米軍お墨付きであることから分かることは、
・廉価であること
・構造が簡単で手入れしやすい。その割に性能も良い。
製造開始後60年経った今でもカラシニコフを超える自動小銃はない、ということである。

世界中の紛争地域に埋められた数百万個の地雷と共に、一億丁とも言われるこのカラシニコフという銃をこの世から払拭することは何時になったら可能なのであろうか?

「核の拡散」はもちろん恐ろしいが、この安価で手軽な殺人兵器が世界に蔓延してしまったのは米ソが残した人類の“負の遺産”以外の何物でもない。
今回、カラシニコフという銃からかいま見えた世界の矛盾というものが、一層重々しく読者にのしかかってくる優れたドキュメンタリーである。




カラシニコフⅠ

2008-07-21 11:20:54 | ノンフィクション
松本仁一著『カラシニコフⅠ』朝日文庫 2008.7.30 第一刷 600円+tax

オススメ度★★★★☆

カラシニコフ突撃銃、通称AK47と呼ばれる自動小銃である。
1947年に旧ソ連の設計技師ミハイル・カラシニコフが開発した銃で旧ソ連軍の正式自動小銃として採用された。その後中国や北朝鮮、旧ユーゴスラビアなどでライセンス生産され、旧ソ連製を含め冷戦時代には108カ国に輸出されその数たるや1億丁に達すると言われる。
AK47は廉価でかつ構造が簡単で故障しづらいということから、熱砂の砂漠から高温多湿のジャングル地帯まで世界のありとあらゆる紛争地帯の反政府勢力に愛用されてきた。
最近でもアフガニスタンやイラクなどのTV報道で見かける自動小銃といえば、ほとんどがAK47あるいは発展形のAKM、AK74である。
安価の上に故障が少ない(メンテ状態が悪くても使える)、取り扱いが簡単である、ということが実は大きな禍となった。要は誰でも使える簡単な銃は戦いのプロでなくとも、あまり訓練を受けない女、子供でも扱えたということだ。それは戦争における兵士の階層の拡がり、年齢の低下をもたらした。
西アフリカのシオラレオネ紛争の例を取り、彼の地で戦闘に加わった多くの少年少女兵士(実際は反政府ゲリラに拉致され訓練された)について語られる。あまりの惨状に読むのが苦痛になってくるほどだ。

著者である松本仁一氏は朝日新聞の記者で長きに渡りアフリカ・中東に駐在した経験を持っているお方であるが、ある日この銃の開発者であるカラシニコフ氏がまだ健在であることを知り彼に取材に出かけたのであった。
カラシニコフ氏は取材時には84歳で今でも民営化された銃器工場で現役として働いており、AK47の開発目的や開発秘話を披露してくれてその内容は極めて興味深い。

かって中国の毛沢東は「国家は銃口から生まれる」と言って中華人民共和国を創ったが、現在アフリカ諸国の多くが銃によって簡単に覆されかねない「失敗国家」になっていると同書では指摘する。
「失敗国家」とは、国づくりができていない国、政府に国家建設の意思がなく、統治の機能が働いていない国のことだ。そんな国の独裁者は当然国民から支持されておらず、護衛の軍隊が敗れれば簡単に崩壊する。
英国の作家フレデリック・フォーサイスに取材する機会を得て「失敗国家」の好例“赤道ギニア”の話題が取り上げられた。実は同氏の「戦争の犬たち」の想定舞台は赤道ギニアであって実際に傭兵たちによるクーデター計画があった。しかし結果的には失敗したのだが、一時期フォーサイス氏はこのクーデター計画の黒幕ではないか、とも英紙のサンデー・タイムズに報じられたこともあったという。
こうした「失敗国家」では実際、数十人の傭兵部隊でもクーデターが成功する可能性が大ということだ。そうした「失敗国家」が辿る先は無政府国家であり、その例をソマリアに見出すことが出来る。
米映画「ブラックホーク・ダウン」に描かれたソマリアの首都モガディシオは今でも無政府状態が続き、各部族の武装民兵組織が国内を群雄割拠している。無政府状態の恐ろしさを著者はその目で確認する。
だが希望はある。同じソマリア内で北に位置する「ソマリランド」は武器と暴力に満ち溢れたソマリアから独立宣言をし、自治区化に成功した。ここではほぼ完全に武器の管理に成功したかに見える。同じソマリ族の中で武器保有の廃止に成功したのは各部族の長老たちの努力であったといわれる。その後の武器回収、保管・登録制度の企画運営は国連のUNDPなどがあたり、現在は新しい国家作りに民衆ならびに政府が真剣に取り組んでいる。
銃に溢れたアフリカ大陸に一条の光明を見る思いであるが、「国家」として承認されていないため苦難の道を歩まねばならないだろう。

とても優れたルポルタージュだと思う、強くオススメ。


晴れ、ときどきサバンナ

2008-04-28 07:53:39 | ノンフィクション
滝田明日香著『晴れ、ときどきサバンナ』冬幻舎文庫 H19.2.10 533円+tax

オススメ度 ★★★★☆

本屋の店頭でこの文庫本を手にした時、「もしも安直な旅行記であれば、やめよう」と思い、中身をパラパラとめくってみた。
どうも無鉄砲な日本の女の子の旅行記ではなさそうだ。先ず、彼女の履歴に目がいった。
父親の仕事の関係で6才の頃からシンガポール、フィリピンと渡り歩き、この本の出だし部分はアメリカの北部の大学で、教室と図書館の往復を繰り返「猛勉強」の最中であった。
それが父親からの電話一本が彼女の人生の運命を大きく変えることになる。

彼女はアメリカの大学在学中に8ヶ月ほどアフリカ、ケニヤのマサイ・マラ国立公園のロッジ(ホテルと思えばよい)で働く機会を得た。
彼女は元々生物学、動物学に興味を持って勉強してきたのであるが、机上で学ぶことと現場で学ぶことの落差に驚く。
彼女はケニアのサバンナの中で、動物保護のあり方、地球環境の問題、などの難しさに触れるとともに、漠然と将来はアフリカの大地に住んでみたいと思う。
一時帰国し大学に戻ったものの「重度のアフリカ病」に罹患してしまったことを自覚。気がついたときはボツワナ行きの切符を手にしていた。

彼女は現在マサイ・マラにてマサイ族の人々のために獣医として活躍している。本編は彼女が再びケニアにたどり着くまでの4度に渡るアフリカ行について記されている。
浮ついた気持ちではなく、自分の目標をしっかりと見据えて人生に立ち向かう彼女の生き様は読んでいて気持ちがよい!


神なるオオカミ

2008-03-03 07:45:19 | ノンフィクション
姜戎著『神なるオオカミ 上・下』講談社 2007.11.28初版 各1,900円+tax
原題:『狼図騰』

オススメ度★★★★☆

中国の文化大革命のさなか、いわゆる「知識青年」と呼ばれる若者たちは中国大陸の奥地深くまで下放された。
内モンゴルの大草原の只中へ何十人かの華人青年たちが下放されたが、その中のひとり、陳陣の数奇な体験を通して草原オオカミと人間との関わりを綴る著者の自伝的小説である。

上巻においては陳陣が“父”とも仰ぐモンゴル人の古老“ピグリじいさん”の薫陶を受けながら草原の遊牧生活に徐々に慣れてゆくとともに、草原の民がオオカミ・トーテムを持つことに興味が引かれてゆく。
上巻で描かれる草原のオオカミたちと遊牧民の壮絶な戦いが圧倒的迫力で活写される。
白きボス・オオカミに率いられたオオカミの群れが黄羊(野生の羊)の群れに襲い掛かり、これを包囲殲滅する様の凄まじさはかってこのような描写を経験したことがない。
オオカミの攻撃は正しく軍隊のそれであり、いや並みの軍隊よりもはるかに勇猛果敢であり狡猾で激しいものである。
大昔から草原の民はオオカミから戦法を学んだのではなかろうか?と陳陣は考える。
更に人間に多くの子オオカミを狩られ殺されたオオカミの群れが、その復讐とも思われる軍馬への攻撃はこの本を読むものたちの魂をゆさぶり背筋を凍らせる。
草原のオオカミたちと人間の壮絶な戦いぶりをみながら、陳陣のオオカミへの興味は益々深まってゆく。
古老の“ピグリじいさん”の反対を押し切って陳陣と友人はオオカミの巣穴から7匹のオオカミの子どもを捕獲する。
自らの手で育てながら今尚神秘的な生態を持つオオカミをじっくり観察しその謎を知りたいと願う。
こうして前代未聞の華人とオオカミの子育て交流が始まった。
下巻では捕獲した子オオカミ(小狼と命名)を探しにやってくるオオカミの群れとの対峙やら大きくなるにつれパオの近くで野生のオオカミを飼うことの困難さが描かれる。
著者が訳者のインタビュウでも述べているが、やがて中国政府の方針で多くの華人や農民化した別のモンゴル人がオロン草原にやってくる。著者曰く
『1950年代から、漢民族の人口急増により食料が足りなくなって、徐々にモンゴル草原に進出して畑を開拓するようになった。一方、政府は牧畜業を発展させるためにオオカミ狩を奨励した。その結果、1970年代になると、草原にオオカミがほとんどいなくなった。オオカミの消失と草原の砂漠化は、ほぼ同時に進行した。いまの深刻な砂漠化はその報いだ』

下巻では更に著者が長年研究した「オオカミ・トーテムについての講座と対話」が連綿と披瀝されるが、この部分は正直ちょっと辟易するほどマニアックである。
これは蛇足だが、中国の華人の祖先もまた草原の民の血を継ぐもので、したがってオオカミの“獣性”を持っているはずだ。いわゆる中国病(具体的に何を指すのかは不明)を克服する為には今こそ“狼性”と“獣性”を取り戻すべきだ、と主張するのだが、いやいやこれはかんべんしてほしい。
今の中国大陸のお方たちが“狼性”なんぞもって元気?になられたら世界中が迷惑するというものだ。草原の民が最初に陳陣に言ったように
『お前たち華人は草を食む羊だ。おれたちモンゴル人は肉を喰らうオオカミだ』
そう、羊でいてもらったほうがありがたい気がする。

さて、日本オオカミやエゾオオカミも似たような経緯で我が国から絶滅したのではなかろうか。
ここ数年北海道、特に道東でのエゾシカの急増(一説では20万頭にも増えた)で農作物や森林への被害が問題となっている。
ふたたび野にオオカミを放とう、という議論すら出てきている。人間の身勝手によってオオカミは絶滅されたのだが、自然体系を壊したのは人間で、これを復活できるのも人間である。だが、今の北海道でオオカミに対する偏見と無知があるかぎり再びオオカミに対して過ちを犯すべきではない。
オオカミと人間はきっと共存できるものと信じるが、いまの人間にはその資格も能力もないのではなかろうか。


日本怪魚伝

2007-09-30 21:51:42 | ノンフィクション
柴田哲孝著『日本怪魚伝』角川学芸出版 H19.3.23 1,500円+tax

オススメ度 ★★★☆☆

第一話四万十川の伝説・アカメから第十二話鬼を彫る男・イトウまでの十二話にまとめた日本の怪魚たちに纏わる、著者のエッセイとも短編小説ともいえる作品。

釣り好きならずとも楽しめる幻想的作品内容に引き込まれる。個人的に、第四話河は眠らない・ニッコウイワナで、今は亡き開口健のエピソードが挿入されたこの作品が好きだ。

挑発者

2007-06-24 22:11:51 | ノンフィクション
東直己著『挑発者』角川春樹事務所刊 2007.6.8 1,900円+tax
★★☆☆☆

私立探偵・畝原シリーズの最新刊。冒頭からこんなことは書きたくないが、東先生は正直もうネタ切れしたと言わざるを得ない。この畝原シリーズばかりではなく俺シリーズにおいても感じたことであるが、もう札幌、いや北海道にはこの両シリーズにて語られるべき“巨悪”は存在しない。
東先生が最も忌み嫌い憎んだ「道警の腐敗・汚職」について書き込み、書き上げた時点で彼の怒りの最大の対象はなくなってしまったと言っても過言ではない。

今回のネタは脈絡があるようで実は無い3つのストーリーが並行して語られるのであるが、結末は最初からおぼろげに分かる気がすることから読むほうも力が入らない。
特に前半から中盤にかけて夜のホステス嬢のコンペティションに係わる饒舌な語り、描写は読む側からすればかなりの忍耐力を強要される。
地元の、男女にかかわらないのだが、会話における“北海道弁”にしても「今頃こんな方言使う連中はそうそういるもんじゃない!」と鼻についてしょうがない。

初期作品の「渇き」や「悲鳴」にみられる硬質なハードボイルドを期待するには、今の東先生自身が「たらふくメシを食いすぎている」ために無理な注文なのであろうか!?

新・マフィアの棲む街

2007-01-06 22:54:09 | ノンフィクション
吾妻博勝著『新・マフィアの棲む街』文春文庫 2006+.12.10 600円+tax

1990年代の初め、著者は『マフィアの棲む街』で余すことなく新宿歌舞伎町における外国人マフィア、なかんずく中国マフィアの実態にせまる優れたレポートを上梓した。
あれから10年、著者は再び新宿歌舞伎町を主体にその後の外国マフィア組織の変遷と実態を取材し週刊誌で連載、このほど本編を文庫化した。

僕が1992年当時の新宿歌舞伎町、特に区役所通りの風林会館やLee3ビル界隈の中国サロンに出入りしていた時には確かに上海勢が多くの店を牛耳っていた。
そこには北京や東北地方から出てきたホステスがポツリポツリ混じっていた。
しかし、上海人であらずんば人でなし、といった風潮があり上海出身ママはこれら上海人以外の中国小姐をまるで奴隷のように扱っていた。

それが今はどうなっているのか。上海も福建も北京もほとんどが東北マフィアに駆逐されてしまったという。10年前には一番田舎者として牛馬の如くあしらわれていた東北人(吉林省や黒龍江省など旧満州の地域)によって歌舞伎町はおろか都内及び周辺の中国マフィアの勢力図が書き換えられたという。
この背景には延辺と呼ばれる地域に住む中国系朝鮮族の台頭があり、彼等独特の結束力と中国語、朝鮮語双方を話せるという言語的な優位性が特記される。
他の中国マフィアや北朝鮮、韓国の犯罪組織とも意思疎通ができるわけだ。したがって組織犯罪がより国際化され分業化されることになった。
更にこの裏には中国からの残留孤児の2世、3世の犯罪社会への参入が大きな問題となっている。国籍を日本に移した残留孤児たちはけっして日本社会では浮上できない運命を悟り、流暢な中国語に日本語をいう武器を使い中国マフィアと日本のやくざの橋渡し役を行うようになったという。

一方福建省を主な根拠地とする蛇頭の動きも上述の状況の変化につれより活動が広域化しているという。以前は福建人を主に密航させていたものが今や中国東北部出身の中国人をも顧客にしている。
彼等は密航に際し日本円で300万円近くの金を蛇頭に支払い命がけで日本に向かってくる。そのほとんどが借金とのこと。日本に上陸した後その返済にせまられるわけだが、まともな家業では返済できるわけもなく厳しい取立てにたまらず犯罪に走るケースが目立つ。
金のためなら何でもするという彼等の犯行は今や首都圏に留まらず地方の資産家を狙うなど広域化している。その背後には上述のような犯罪の多国籍化、分業化が特徴となっている。つまり実行犯は各地出身の中国人に朝鮮人であり情報提供は日本人やくざがあたり盗品のさばきも坦務するという具合だ。
とにかく窃盗や強盗程度で捕まっても強制送還されるか刑に服すとしても死刑になるわけでもないので彼等はタカをくくっている。日本の法、刑罰をなめきっていると言える。

こうした状況を打開するにはどうすれば良いのか?
とにかく彼等の「日本神話」を打ち砕くしか方法がない。密航者は単に強制送還に留まらず厳罰主義で臨むしかないだろう。巨額な対価を払って日本に来てもけっして報われないのだ、ということを骨身に染みるほど分からせるしか方法はないのだ。
一時期彼等密航者の船は台湾に向かった。だが台湾当局の対処は極めて厳しく徹底的に取り締まった。結果彼等は更に北上して長崎へ向かった。台湾よりも日本は甘いと判断したわけだ。
まっとうに勉強するために来日し合法的に真面目に働く中国人には気の毒としかいいようがないがここまで中国人による犯罪が増えると座して眺めるわけにはいかない。
本書を読むと馳星周著『長恨歌―不夜城完結編』や大沢在昌著『狼花』の背景が鮮明になってくる。