min-minの読書メモ

冒険小説を主体に読書してますがその他ジャンルでも読んだ本を紹介します。最近、気に入った映画やDVDの感想も載せてます。

湊かなえ著『告白』

2011-11-10 23:51:54 | 「マ行」の作家
湊かなえ著『告白』双葉文庫 2010.4.11 第1刷 619円+tax

おススメ度:★★★★☆

我が娘を殺された中学の女教師の「愛美は死にました。このクラスの生徒に殺されたのです」という生徒を前にした衝撃的な「告白」からこの物語は始まる。
次に殺した側の生徒、その母親、クラスの学級委員、それぞれのモノローグを通して事件の真相が語られる、というやや特殊な形態をとった小説である。
我が子を殺された母親が選んだのは、犯人を警察の手に渡すことなく、直接彼らに復讐する、それも手のこんだ最も効果的な手段をもって復讐することであり、その衝撃的結末は読者の中で賛否両論が巻き起こったことは想像に難くない。

我が子を殺されてその復讐を自らの手で行った小説で記憶に残るのは東野圭吾著『さまよう刃』である。
この小説の場合、殺された我が子の父親の復讐は、相手を直裁に暴力的な手段をもって行われたのであるが、本編の女教師は直接的暴力に訴えるのではなく徹底的な心理作戦でもって犯人の少年を追い込む。
いずれのケースも警察沙汰にすれば、“未成年犯罪者”は「少年法」という極めて過剰に保護された法律により、実質的な刑罰を受けずに再び社会に戻されることが予測された。
「更正」など望むべくもなく、場合によっては2、3年で社会復帰を果たし、再び同様な犯罪が他の人々に行われることは明々白々であることが分かった場合、あなたは一体どうするであろうか?

本編は中島哲也監督、松たか子主演により映画化され大ヒットした。
映画を先に観てその原作を読む、というケースは自分にとって稀なことであるが、今原作を読んでみて思うのはほとんど映画を観ての感想と違和感がなかったことだ。これは極めて珍しいことである。
それほどかの映画の出来栄えが素晴らしかった!ということだろう。特に松たか子演ずる教師森口裕子は恐ろしかった。改めて松たか子の演技力に瞠目する作品であった。

本編は昨今頻発する“少年犯罪”に対し、未成年である一点をもって過剰なまでに彼らを保護する立場を取る「司法」と一部マスコミおよび世論に対する強烈なアンチテーゼではなかろうか。




森 詠著『燃える波濤 第1~3巻』

2011-01-03 13:04:24 | 「マ行」の作家
森 詠著『燃える波濤 第1~3巻』徳間書店 1982.7 第一刷 

オススメ度:★★★★★

「燃える波濤」の第一部~三部が刊行されたのは1982年である。その後第四部が1988年、第五部が翌年の89年、そして1990年に第六部が出たものの、物語は未完である。
その後続編が何時出るか何時出るかと首を長くして待ったが、著者である森詠氏は未だに続編を書いてくれない。
あまりにも物語が壮大になったため、収拾がつかなくなったのであろうか。
いや、第六部で余韻を残して終えたのであろう。

本編は過去2度読んでいる。何故3度目を読もうとしたのかという理由は、世界情勢は変わったものの、日本の置かれた状況は当時と何も変わっていないし、この作品で起こりうる事態は極めて今日的な要素を含んでいるからだ。
この壮大なドラマのメイン・テーマは日本の、日本人の目指す国家、社会のあり様と日本人の生き様なのである。

この物語の時代背景は1980年の初頭である。
ホメイニが死去した後にイラン国内で内戦が勃発し米ソが介入して一触即発の危機に瀕したり、中国国内で現共産党に反旗を翻した新たな革命軍が出現して内乱になったとか、その後の世界情勢とは大きく異なる舞台設定をしているものの、日本を取り巻く基本的な状況は今日と大して変わっていない。
それは日本が相変わらず米国の核の傘に依存した“半独立国家”であり、旧ソ連の脅威が消滅したものの新たに台頭した中国の脅威に晒されるという事態にあり、米ソが米中に取って変わっただけで両陣営のはざ間で右往左往する構図に変わりはない。

このような政治、経済、軍事において閉塞された日本が活路を見出すのはきわめて難しい中、自衛隊の中に密かに結成された“新桜会”と称する右翼グループが右よりの政治家及び経済界の一部と結託しクーデターを起こした。
その手法は極めて巧妙で、いきなりのクーデターを敢行するのではなく、日本のタンカーがロンボク沖で攻撃されたり、海上ガス油田が攻撃されたりといった「自作自演」を行いながら日本国内の愛国心を扇動し国民の右傾化をうながす。その上で軍事クーデターを起こしその後文民政府に移行するというもの。
最終的には日本の核武装化を果たし、未完に終わった先の「大東亜共栄圏」を目指すというもの。
この状況は荒唐無稽な空絵事とばかりは言えず、昨年発生した「尖閣諸島問題」やロシア大統領の北方領土訪問時に見せた日本国民の愛国心の高まり具合をみれば可能性は否定できないものがある。

この反動勢力に抗して立ち上がる抵抗勢力の戦いが壮大なスケールで描かれるところが本編のミソであろう。

抵抗勢力側の主たる思想(共和党の結成)にかなり共鳴するところがあり、ここに紹介しておきたい。
長い引用となるがご容赦願いたい。

<以下引用>

「自由民権運動から生まれ、その系譜を持つはずの現在の自由民主党は、権力の座に就くことがあまり長きに過ぎ、根底から金権政治に腐敗堕落した。
すでに、彼らに自由民権の主張はない。しかも、明治自由民権運動最大の弱点は、何であったろうか?」

「天皇制を否定できなかったことです。」

「その通り。“天は人の上に人を造らず、人の下人を造らず”。それこそが、自由民権の根幹にあった精神だったはずだ。これはそれまで、数百年にわたり、差別構造の中であえぎ苦しんできた人民を目覚めさせた天賦人権の思想だった。
だが、その自由平等の大儀を推し進めれば、明治政府が創りあげようとしていた天皇制に真っ向から挑戦せざるを得なくなる。
憲法制定を求める運動の最中、たしかに各地の自由民権運動は、独自に主権在民と民権意識の高い憲法草案を創り、人民に訴えた。
だが、天皇制権力を背景にした明治政府は、そうした民権運動に弾圧に弾圧を加え、結局は、民権論者の天皇制批判を封じ込めてしまった。
民権論者は、政治構造としての天皇制には、拒否の態度をとることができた。天皇を頂点とする身分序列としては比較的に見えたからだ。
だが、天皇制の恐ろしさは、そうした見かけの政治構造だけではない。
天皇制の最も恐ろしい点はその精神構造にあった。天皇の下で、万民は平等である、とする考えに、有効な反論を、民権論者は用意できなかった。
そこで天皇の下での民主主義、天皇の下での自由民権という考えにからめとられていったのだ。」

「天皇制の本質は無限の差別構造だ。天皇を頂点として、その最下層に被差別民を配して、人民を分裂支配したのだ。朝鮮人、琉球人、中国人などをその差別構造にくみこんでいった。
天皇制は一方において、そうした差別構造作り出しておきながら、他方で天皇は、それら階層序列や身分序列を超越したシンボルとして位置づけられ、被差別民を救済するものと考えられた。“天皇の下での民主主義”“天皇の下での自由平等”という精神構造がそれだ。
人民は、このまやかしと幻想に乗せられ、天皇制を真から批判できなかった。それが結局は、あの大東亜戦争の際に、天皇陛下万歳と叫んで、死んでいく民衆を作り出す結果を生んだ。」

そこで共和党は、

「共和の精神は、天皇制を認めない。王権を廃し、真の人民の代表である大統領を選び、日本を民主的な共和国家に改造することを目指していく。
それこそが、ルソーが掲げ、中江兆民が唱えた自由民権の本道の精神だ。明治の自由民権運動、自由党は、国民主権論を唱えつつも、ついに『共和制』までは主張できなかった。敗戦後、ようやく日本は明治憲法を廃し、現在の民主的な平和憲法をかちとった。だが、戦前のような政治構造としての天皇制は無くなったが、依然として、差別構造は無くなっていない。
精神構造としての天皇制が生き続けているからだ。この天皇制を利用して、再び、日本を帝国主義的な差別主義国家として作り変えようとしている輩がいる。
わしは、かっての自由民権運動を復活させるべきだと思っている。差別の精神構造としての天皇制を廃絶することなしには、日本がまたアジア、第三世界への侵略の道を歩みだすことを阻止し得ないではないか、と思うのだ。」

以上、引用終わり。

話を現在に戻すが、日本の現政権が自民党より民主党に変わったとて、日本の政治状況は全く変わらない。
日本国民が上述のような「共和制」に基づく国家をつくろう、と思わない限り、この国の政治は変わらない。
田母神元自衛隊空幕長のような人物が声高に叫んでいるのも上述の精神構造から一歩も脱していないではないか。
日本が米国との安保同盟から離れ、政治的、経済的、軍事的な独立独歩の道を歩むには日本国民の意識が根本的に変わらない限り、実現しないのではなかろうか。
日本が独自の軍隊を持ち、自らの国を自ら守るのは大いに賛成するが、いたずらに強力な軍隊を持てば、田母神元自衛隊空幕長やそのバックにいる右翼勢力にやたら扇動されかねない。
日本国民の現在の意識、認識では軍隊の文民コントロールは不可能であろう。



コーディ・マクファーディン著『戦慄 上・下』

2010-11-11 19:53:34 | 「マ行」の作家
コーディ・マクファーディン著『戦慄 上・下』(原題:The Face of Death)ヴィレッジブックス 2007.11.20初版 

オススメ度:★★★★★

FBI特別捜査官スモーキー・バレットシリーズの第二弾。
前作「傷跡」で心も身体もズタズタに傷ついたスモーキーは殺害された親友の愛娘ボニーを結局引き取った。事件後全く口をきかなくなったボニーではあるが、ボニーの存在が今のスモーキーを支えていると言っても過言ではなかった。
もちろんボニーにとってもスモーキーはなくてはならない存在であった。
二人は過去の忌まわしい記憶を乗り越えて何とか前向きに生きようと努力をしていた。
そんな時、スモーキーの携帯電話に入ってきた事件は戦慄すべき事件発生の予感を持たせるには十分すぎるものであった。
16才の美少女が自らの頭部に拳銃をつきつけ、スモーキーを名指しで呼んでいるというのだ。更に彼女のそばには殺害され腸を抜かれた血みどろの両親が死体となっている。
一体、何が起きているのか?スモーキーは部下のキャリーと共に現場へ急行するのだが、これはその後起きる事件の端緒にすぎなかった。

人間はいったいどこまで残虐になれるのか?を読者に問う著者の発想は我々の想像を簡単に飛び越えてしまう。
悪魔でも(我々が知り得る通常の悪魔?)ここまでしないだろう、と思われるほどの残虐さで、要は肉体的な残酷さに加え徹底的に人間の魂を焼き尽くすような残虐さは、かってどのような映画でも小説でも経験した例がない。
犯人像が全く見えてこない。犯人の目的は?動機は?どんな人物像?ほとんど霧の中だ。
作品中、被害者の美少女サラの手記がその手掛かりを与えてくれるのだが、この日記の内容そして使われ方がなんとも効果的なのである。
これほど残虐なホラー・ミステリーでありながら読後感にカタルシスがあるのは、残虐さに対抗するように描かれるスモーキーたちの人への“思いやり”と“やさしさ”のせいであろう。
著者の執筆テーマではなかろうが、本作を読むにつれキリスト教というものが、実は神の敬虔な愛の裏側には“憎悪”と“復讐”が歴然と存在するということに気づかされる。
仏教的な“慈悲”の世界に多少でも触れることが出来る我々の世界とは大きな隔たりがある。
著者は前述のスモーキーと仲間たちの“思いやり”と“やさしさ”で何とか打ち勝とうとするのであるが、やはり儚さを感じざるを得ない。
新人の第二作目はなかなか第一作目を超えられないものと相場は決まっているが、これは珍しくも例外的作品である。著者のコーディ・マクファーディンは類稀な本物の実力派ミステリー作家と言えるだろう。


コーマック・マッカーシー著『ブラッド・メリディアン』

2010-10-24 16:25:23 | 「マ行」の作家

コーマック・マッカーシー著『ブラッド・メリディアン』(原題:Blood Meridian)早川書房発行 2009.12.25初版 2,200円+tax

マッカーシーが1985年に書いた彼の代表作とも言える書だそうだ。ならば代表作といわれる本書が何故に今の時期になって翻訳されたのか。
「血と暴力の国」が邦題「ノーカントリー」として映画化され日本でも一躍有名になった同作家の本を初めて読んだのは「ザ・ロード」であった。
本書の帯には【この衝撃度は『ザ・ロード』を超える】と書かれ、その謳い文句に惹かれ購入し読んだ。確かに“衝撃度”はかの作品を超えるのであるが、正直な読後感としては“戸惑い”しか残らなかった。
この作品をどのように理解、解釈してよいのか自分にはわからない。したがって恒例のオススメ度もつけようがない。

内容は14才の少年が飲んだくれの父親(片親である。母は少年が幼いときになくなった)の元から家出をし、ひとり荒野へ彷徨い出るところから物語は始まる。
旅の途中出会った“判事”と呼ばれる男の誘いでグラントン大尉率いるインディアン討伐隊に加わり、彼らが行く荒野は血と暴力と殺戮の修羅場と化す。
この討伐隊は私設の軍隊のようなもので、最初はインディアンの頭皮をはぎ、それを州知事に売っていたものが、やがて町を襲い、旅人から強奪する強盗集団と化していく。
グループの智謀で参謀役である前述の“判事”は何の判事かは不明であるが、二メートル近い巨人で、数ヶ国語を操り、考古学、地学、化学の知識を有し、更にはフィドルという楽器の名手であり舞踏も極めて旨いという才人である。
そんな彼が一端殺戮の場面になると容赦ない殺戮者と変貌し、女、子供を殺すことにも躊躇しない。そもそも人間を殺すことと、犬や馬を殺すことの境目すら持たない男だ。
訳者の解説によれば、彼のキャラ造形の源泉はコンラッドの『闇の奥』のクルツから取っているのでは?というが、僕なんぞ知る由もない。
単純な反戦小説ではないことが解かるものの、作者が真に表現しようとする深遠な哲学的世界は僕の理解を遥かに超えた地点にあるようだ。

“超絶技巧的文体”といわれるコンマを使わない長い一文は慣れるまでに相当苦労する。読了まで10日ほど費やしてしまった。正直、疲れる作品であった。



コーディ・マクファーディン著『傷痕 上・下』

2010-10-16 00:49:58 | 「マ行」の作家
コーディ・マクファーディン著『傷痕 上・下』ヴィレッジブックス発行 2006.11.20 初版 
オススメ度:★★★★☆


スモーキー・バレット、身長わずか148cmの女性FBI特別捜査官で射撃の名手である。クワンティコを主席で卒業した後、いくつもの難事件を解決し、若くしてFBIロス支局の主任となった彼女。
順風満帆かに思えた彼女の身に降って湧いたような悲劇が訪れた。ある日彼女の自宅が襲われ最愛の夫と幼い娘が捜査中の連続殺人鬼に惨殺され自らも大怪我を負ったが、奇跡的に彼女だけが生き残った。
スモーキーはかろうじて生き残ったものの凄まじい精神的な後遺症に悩み、FBI指定の精神科医のカウンセリングを受けていた。
拳銃の名手が自分の銃にも触れないほどダメージは大きく現職復帰に難儀していた。そんな彼女に今度は高校時代からの親友アニーが殺されたという連絡が彼女の同僚からもたらされた。休職中のスモーキー宛にEメールが送りつけられ、ジャック・ジュニアと称する送り主はかって英国中を震撼させた切り裂きジャック同様に娼婦の連続殺人を予告してきたのだ。
かくして現職復帰を強制的に強いられたようなかたちでスモーキーはかってのチームメイトと共に凶悪かつ極めて狡猾な連続殺人鬼と対峙することになる。

上巻は最愛の夫と娘を目の前で殺されて絶望の淵に立たされたスモーキーが生きる気力を失い、毎晩のように悪夢にうなされ自殺することしか考えない日々が続く。
そんな重苦しい場面が続きページをくる速度も鈍りがちになるのだが、下巻に入って犯人解明の糸口を見つけ出してから怒涛のエンディングに向け物語りは一挙に走り出す。
ヒロインのスモーキーだけではなく、彼女のかっての同僚、部下、上司のキャラクター設定が秀逸だ。
また一方の主役、ジャック・ジュニアであるが、自らを“切り裂きジャック”の末裔であることを公言してはばからない。
この“切り裂きジャック”という存在は欧米人にとってはよほどサイコ・スリラーの原点的存在なのであろうか。
あるいは、“切り裂きジャック”を持ち出すという発想自体がこの作品が陳腐たることを証明しているのであろうか。
ともあれ本作におけるスプラッター度合いは自分が過去読んだどんな作品をも凌駕するもので、もはや人間というより悪魔の所業をかくもリアルに描くのは日本人的感覚では無理であろう。心底心が凍るような場面に面食らう。

もう一点正直に述べさせてもらうと、この手のFBI捜査官、特に女性捜査官に今まで感情移入する例はほとんどなかった。
J.ディーヴァーのリンカーン・ライムシリーズに登場するライムの相方の女性捜査員を例外として。
だが、このスモーキーは類稀な精神の強靭さだけではなく、極めて愛情に溢れた感情を併せ持ちそのバランスが絶妙である。
最後の最後にみせる彼女の強靭さには目を見張らせるものがある。

著者のコーディ・マクファーディンは本作で作家デビューした新人で、米国での評価はJ.ディーヴァーやM.コナリーと並ぶ作家になるであろう、との絶賛を浴びたようであるが、次回作(本編の続編)を読まねばその評価はわからないと思われる。



望月三起也著コミック『二世部隊物語1最前線』

2010-09-24 21:33:19 | 「マ行」の作家
望月三起也著コミック『二世部隊物語1最前線』ホーム社発行 2001.2.21 第1刷 
オススメ度:★★★★☆

本作は1963年から1964年にかけ「少年画報」にて連載されたものを文庫サイズの復刻版として発刊されたもの。

これは僕が小学生であった頃読んだ記憶がある。当時、アメリカの日系二世部隊が第二次世界大戦に出兵していたなんていう事実は全く知らなかったと思われる。
でも子供心に“かっこいい!”と思った鮮烈な記憶がある。あの頃の遊びの中心は、チャンバラごっこと戦争ごっこであった。

その後、二世部隊(第442連隊戦闘団)が実在したこと、そしてヨーロッパ戦線でドイツ軍に包囲され孤立した「テキサス大隊」を部隊の半数を失いながらも救出し、やっとアメリカ軍内部でその存在を認められたことを知った。

今回、幼い頃の記憶もあったがひょんな事から本作を見つけ出し読むこととなった。元々望月三起也氏のファンでもある。特に「ワイルド7」その後の「新ワイルド7」に熱狂した時代があった。

さて、本作であるが、正直、あくまでも子供向けに創作された戦争アクションもので、当時テレビで流行っていた「コンバット」を強く意識して作られたと思われる。
だが、作中で簡単ではあるが二世部隊が誕生した背景が説明され、主人公ミッキー熊本伍長(後に軍曹)のセリフを借りて彼らが戦う理由を謳っている。
「俺は本国の収容所に居る母さんのために戦うんだ。俺たちがけっして裏切り者じゃないことを証明して母さんが出てこれるために!」と。

彼ら二世部隊が敵ドイツ兵と戦う過酷さ以上の苦しみは、味方アメリカ軍白人から受ける“人種差別”という攻撃であったことが描かれる。

アメリカで生を受け、アメリカで育ったにもかかわらず、ハワイの真珠湾攻撃を境に“敵性民族”として扱われる自分たちの生き残る道は、自分たちの流す血で母国への忠誠を証明するしかなかったのだ。

グレン・ミード著『亡国のゲーム(上・下)』

2010-07-25 16:54:25 | 「マ行」の作家
グレン・ミード著『亡国のゲーム(上・下)』(原題:RESURCTION DAY) 2003.12.25 初版 各952円+tax


オススメ度:★★★☆☆

イスラム過激派がアメリカ本土にテロをかけようとし、それを米国機関が総力を上げて阻止する、といういつものスタイル。
ただし、著者はあとがきで、本作の第一稿が出来上がったのが2001年の8月末で、更に推敲するつもりであったという。
その翌月の9月11日、あの忘れもしない9.11テロが世界に衝撃を与えた。
著者はこの時点で本作の発表は出来なくなったと認識した。
確かに本作の内容が内容だけに(アル・カイーダの組織が首都ワシントンにて超強力な神経ガス弾を爆発させる、と米国大統領を脅す)無理と思われた。
だが、その後出版社の編集者による粘り強い努力の結果、本書は日の目を見ることになった。
テロの企画者は明らかにアル・カイーダのオサマ・ビンラーディンであり、その反米志向の激烈さは読者にも十分に伝わってくる。
テロ実行犯はステレオタイプなイスラム狂信者だけを起用するのではなく、アラブ人以外の男女をうまく配置して物語に重みを増すことに成功した。
また、阻止する側も単にFBIや警察だけではなく、ロシアの連邦保安局の少佐を加えて活躍させている。
結末は読む前から解かっており、その間の被害のシュミレーションとか枝葉末節的なサブ・ストーリーがやや冗長して続く。後半数十ページだけが見せ場だ。

ところで、現在の中東情勢をイスラム勢力側から変えようというのはほぼ無理であろう。ここで描かれるような“決定的な手段”でも取らない限り、中東から米軍が撤退することもなければ、パレスチナには永久に国土が戻る可能性もない。
確かにオサマ・ビンラーディンのやり口は全世界から非難を浴びることになるであろうが、現状米国に立ち向かう手立てはない。
したがって、この種の危機がまだ続くのは確実で、米国が根本的に中東政策を変えない限りテロリズムの芽は残るということだ。

非常に不謹慎かもしれないが、いつも小説上でこの種の陰謀が阻止され、めでたいめでたしのエンディングを迎えるのであるが、だれか真っ向からこの種の厄災がもたらされる現実を描いてほしい。たとえ無辜の米国市民数十万人が一瞬のうちに殺される結果になろうとも。
原爆投下によって二十万人以上の無辜の市民を殺しておいて、「あれは米国によって必要な処置であった」と公言してはばからなかった米国の政治屋や市民がなおも現存する限り、かの国の人達は他民族の痛みはけっして理解しようとしないのだから。

グレン・ミード著『すべてが罠(上下)』

2010-05-05 16:27:29 | 「マ行」の作家
グレン・ミード著『すべてが罠(上下)』[原題:Web of Deceit] 二見文庫 2005.11.25 初版 733円+tax

オススメ度:★★★☆☆


NY近郊のロングアイランドの自宅でジェニファーは嵐の夜にふとめを覚ます。
枕元には全身黒ずくめで目だし帽をかぶった男が立っていた。手には血塗られたナイフが。
あやうくレイプされかけたジェニファーはからくも逃げ出すのであったが、この夜彼女の母親は惨殺され、弟は銃弾を撃ち込まれ瀕死の重傷を負った。
この夜を境にヨーロッパへ出張した父親は行方不明となった。
こんな衝撃的なシーンからこの物語は始まる。

心身ともに傷ついたジェニファーはその後なんとか立ち直り、大学の法科を卒業し現在は弁護士になっていた。しかし、銃弾を浴びた弟はかろうじて一命はとりとめたものの脊髄にダメージを受け、言語能力も奪われ車椅子生活を強いられていた。
二年経ったある日、彼女の元に父親らしき男性の死体がアルプスの山中の氷河で発見された、という知らせが入った。
幼馴染でなにくれとなく相談に乗ってもらえる仲であるNY警察の刑事マーク・ライアンは同行を申し出たが彼女に拒まれた。
そんなマークにCIAを名乗るケルソーという男が接近し、ジェニファーの後を追え、それも彼女に知らせずに、という指示を与えた。
事情は明らかにされなかったものの、マークは彼女の安否が心配でその申し入れに乗った。
かくして舞台はスイスとイタリアの国境にまたがる氷河へと移るのだが、ここでジェニファーを待ち受けていたのは謎の暗殺者による襲撃と、想像すらしなかった事実が明らかとなる。
だが謎はさらに謎をよび、彼女には一体何を、誰を信じてよいのか皆目見当のつかない事態に陥る。
果たしてジェニファーは、そして幼馴染のマークは事件の真相を突き止めることが出来るのであろうか!
といったストーリー。

確かに国際的な謀略サスペンスとして一定の水準にあり面白いのだが、なんか重みがないというか心から楽しめない。
ひとつは主人公であるジェニファーに対し今一つ共感できないことと、最大の不満は失踪した彼女の父親に関するくだり。
書くとネタバレになってしまい明らかに出来ないのであるが、父親のディテールを描かなければどうにも納得できない内容となっている。それで★3つになってしまった。


グレン・ミード著『ブランデンブルクの誓約(上下)』

2010-04-11 00:29:51 | 「マ行」の作家
グレン・ミード著『ブランデンブルクの誓約(上下)』 二見書房文庫 1999.6.15 初版 790円+tax

オススメ度:★★★★☆

グレン・ミードといえばあの『雪の狼』を思い起こす方が多いと思う。第二次大戦下、蜜名を帯びた男女のスナイパーとスパイが繰り広げる逃避行は何ともスリリングであった。この作品を読んでの通り、著者は本格的冒険小説の作家で、同作品において大いに期待された作家である。
本書『ブランデンブルクの誓約』は同作家の邦訳第二弾であるのだが、これがデビュー作とのことである。
題名から推察される通り、ナチス・ドイツの陰謀(もちろん戦後の)を描いたものである。
上巻はいくつもの難解なジグソーパズルをやっているようで読者はイラつくのであるが、下巻に至ってモザイク画像が鮮明になるように「彼ら」の陰謀が浮き上がってくる。
その内容はもちろんここで明かすことは出来ないのであるが、とにかく内容と規模といい想像を絶するもので、驚愕の結末に向かってなだれ込む。
とうていデビュー作とは思えない仕上がりで、この作家の他の作品を今一度追っかけてみたくなった。
ちなみに『熱砂の絆』は読んだが、『亡国のゲーム』、『すべてが罠』、『地獄の使徒』などは未読。




ボブ・メイヤー著『抹殺』

2010-03-08 22:38:48 | 「マ行」の作家
ボブ・メイヤー著『抹殺』(原題:CUT-OUT) 二見文庫 1996.6.25 初版 690+tax

オススメ度:★★★☆☆


実は前回読んだ「チャイナ・ウォー13」の次に「バイオ・ソルジャー」というのがあって、本作はライリー・シリーズの第三弾ということである。
「バイオ・ソルジャー」が見付からないので飛ばしてしまった。本編で登場するドナ・ジャニーニというシカゴ市警の女性警部補はこの「バイオ・ソルジャー」でライリーと出会い、ライリーの命の恩人となったということだから、本当はこれも読むべきであったろう。
とはいえ、物語の連続性はない模様なので大した問題ではない。

さて、物語の内容は、犯罪組織のボスを裏切り、法廷にてボスの有罪を確定させた不動産業者のコップ。彼は更にボスの金まで着服していたようだ。
妻のリサと共に政府の証言者保護プログラムで身を隠そうとしたのだが、彼らの前に現れたのは謎の暗殺者たち。
コップは殺され、からくも逃れたリサが助けを求めたのは前述のシカゴ市警の女性警部補ジャニーニであった。
事の重大さを察知したジャニーニはライリーの助けが必要と感じて彼に連絡したのであった。
彼らは犯罪組織と謎の暗殺者集団の双方から追われる状況となり、徐々に追い詰められていく。
彼らが最後の決戦場に選んだのはかってライニーがジャニーニを連れてトラッキングしたグレート・スモーキー山系の深い山中であった。ここで生き残りをかけた壮絶な銃撃戦を繰り広げる。
今回は軍のミッションではなく、個人的な事件、それも米国内の事案ではあるが、使用する武器及び戦闘の派手さは国内とは思えない代物。
最後に究極のドンデン返しが待っているのであるが、ちょっとこれは説得力にかけるところがあるか。
ライリーのプロの軍人としての強靭さの中に、シャイで献身的なストイックさが際立つ一遍である。