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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

暑い・・・

2015-08-15 | Weblog
暑いのの何が嫌か、よく考えると、汗、につきます。
べたべた気持ち悪いし、肌荒れしてぶすになるし、髪ももしゃもしゃになる。
髪がなければ、かなり楽になると思う。汗かかない人は、
汗が出た方が体温調節できて新陳代謝もよくていいねとか言うけど
全然違うからねそれ。
汗滝のようにかく人が、じわっとしか汗かかない人より涼しいわけないやん。
汗でシャワー浴びたみたいにびしょびしょの髪の人が、
炎天下でもさらさらと髪が風になびく人より涼しいわけないやん。
気持ち悪いし、髪乾かないし、べとべとねちねち暑苦しいに決まってるやん。

なのに
汗かくと、新陳代謝がいいのね~健康ね~だからお肌がきれいなのね~と、
かなり頻繁に言われる。。。全部違うからね!
汗で暑いのに冷えて、いつも体調悪いからね。
汗かかない時期の方がずっと、お肌はきれいだしね!

そして、
冷えが、女性によくないのはわかるんですけど、
普通の体力のある人はいいんだろうけど、
わたしくらい暑さに弱くて虚弱だと、体温めたら死にます・・・。

夏に、冷たいものばかり飲み食いしてるとお腹壊すけど、
この時期に温かいものを食べると汗に溺れそうになります。
ぽたぽたしたたって、拭いても拭いても、シャワー直後のような髪が乾かず、
汗で頭も体の表面も冷え、肩こり、頭痛、吐き気がコンボできます。
熱中症でなくてもこれ。

暑い時にも、からだを冷やさないように、
温かいものを食べたりエアコンをつかわなかったりできる、
まともな人が心底羨ましい・・・。
涼しい部屋で、常温のものをのろのろ食べるしか生きる道がない。。。

わたしがどんなに暑さに弱いか、これだけ言ってもわかってもらえない。
夜だからちょっと涼しくなってるよ~と誘ってくれる人は、
これを本当に涼しいと思うのか、問いただしたい。
ポニーテールがぐっしょりの汗。
帰ってシャンプーすることしか考えられない。
汗かかない元気な人は、いいなぁ。

大きなクッキー

2015-08-14 | こども
子供が小さな頃、クアラルンプールに住んでたんだけど、
そこにはスターバックスみたいなコーヒーチェーンがありました。
コーヒービーンという店で、日本にも最近1店舗目ができたとかできるとか聞いた。
そこで、よくカフェラテや、甘いコーヒードリンクで生クリームがのってる
フラペチーノなどを買って飲みました。
(フラペチーノの子供用はベビチーノという名前で、
 甘いミルクに生クリームが載ってて、かわいかったです。)

その時に小さかった息子がいつも食べてたのは大きなクッキー。
チョコチップ入りのものが好きで、口のまわりをチョコで汚しながら食べてた。
何度も食べたので、ずいぶん記憶に残っていたようで
あの大きなクッキー懐かしい、とよく言ってたんだけど、
去年だったか10年ぶりくらいにクアラルンプールのこの店に行って
そこでコーヒーとクッキーを買った息子は
あれ、こんなに小さかったっけ?と思ったそうです。
記憶の中でクッキーがどんどん大きくなってしまっていた上に、
息子自体がずいぶん成長して大きくなってしまったために、
(9歳で日本に戻った息子は、今180センチ近い身長の21歳ですから)
実際のクッキーは記憶の中のものより、ずいぶん小さく感じたようです。

実際はどれくらいの大きさだったのかな。直径10センチくらいかな・・・。

それで、先日、息子がうちに帰省してた時、
わたしの知ってる中で一番大きなクッキーをおやつに買って帰りました。
それは14、5センチくらいかな。
息子は、おおーっ!と言いながらにこにこ食べながら、
コーヒービーンのクッキーはもっと小さかったかもしれないけど、
でも自分にとってはこれくらいだったんだよと言って
両手で顔くらいの大きさの丸を作ってました。

肩こり

2015-08-13 | Weblog
昔からひどい肩こりです。
痛くなって頭痛がして吐き気がすることも。
肩が凝りすぎて眠れないとか、よくある。
冬は普通に冷えるので、温めるとラクになるのですが
夏はどうにもならない。
冷やすと冷えて痛いし、温めると汗かいて余計冷える。

湿布は匂いが好きじゃないし、肌がかぶれたりするし
塗るタイプも母はいつも使ってるけど、あまり好きじゃない。
で、肩こりに泣きながら生きてきたんですけど
(本当にしんどいときは、ロキソニン湿布貼りますけど)
先日薬局でなんとなく見かけて買ったのが乳液タイプのもの。

これかなり好きです。
匂いが、奥の方にほんのりメントール系の匂いもあるけど
基本的にふわりとしたラベンダーの控えめな香り。
そして乳液で肌も荒れないし、軽くもみながら塗るとひんやりして
少し楽になります。
塗る手の方も、いやなにおいがつかないのが助かる。
でも多分、こういうものの中では効果は薄い方かな。
すーっとするけど、じんじんしたりはしないので
やっぱりマッサージと組み合わせて使うのが良さそうです。

もうひとつは、スティック状のロールオンタイプ。
これはグレープフルーツの香りって書いてあるけど、
ミント系の香りも結構する。
これは細めなので塗るときに頼りない感じはするけど
スースー、じんじん、来ます。こっちの方が即効性ありそう。

いままでこういうもの何も使ってこなかったので、なんか楽しい。笑
でも運動不足と姿勢の悪さも、直さないとね。

映画:セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター

2015-08-12 | 映画


地球へのラブレターと言う言葉は映画の中でも出てくるけど
本当の原題は「地の塩」(英:The Salt of The Earth/仏:Le sel de la terre)
こっちの方が好きですが、日本では馴染みがないのかもしれない、
新約聖書中のイエス・キリストの言葉ですね。
映画の中で、最初の方で、人間は結局地の塩である、というところがあって、
これは希望の感じられる言葉で、一度絶望にうちのめされたサルガドが
最後のプロジェクトでまた希望を見出したことを表しているのでしょうか。

ストーリーより、そこに写されている写真のひとつひとつの出来事に
大いに心動かされるドキュメンタリーです。
特に前半の、報道写真家時代の写真は、目を背けたくなるような
凄惨な場面がたくさん出てきます。
死体もゴロゴロ出てくる。子供も大人も男も女も。
この辺はかなりきつくて、サルガドの絶望がわかります。
そして、すでに有名だった報道写真家から
自然を撮る写真家に方向転換したわけだけど、
それを「逃げたのだ」とは誰も言わず、
新たな希望を探して、と周りも言い本人も思うところは
彼の人徳だろうか、あるいは有無を言わせない才能だろうか、
どっちにしてもポジティブだなぁと、個人的には思う。
そもそも途方もなく運のいい男だなと、わたしは思いました。
ジャングルでも戦場でも出向いてサバイバルできる屈強な身体と
強い意志と好奇心、使命感を持ち、それらを遺憾なく発揮して撮った写真は
美しく力強く静かで雄弁。

もうひとつ思ったことは、サルガドってひとりの天才写真家というより、
優れたパートナーとのユニットだな、むしろ、ということ。
彼が15歳で都会に出て出会った、一目惚れの初恋の女性が
彼の生涯のパートナーとなったのですが、
それが、生涯尊敬し、助け合い高め合い続ける相手になったなんて
やっぱり運がいいと思ってしまう。
天才はそれに見合った人と出会う、という運命的なものだと思ってしまう。
(わたしあんまり運命論者ではないんだけど。笑)
写真家になるきっかけも妻のカメラだったし、
その後安定した仕事を捨てて写真家になった時も、そのあともずっと、
ふたりで一緒にプロジェクトを考え達成してきたようです。
家族を置いての長い旅の数々も、それによって撮れた写真も、
その写真集や写真展などあらゆる企画が
彼女なしには別のものになってしまったことだろうと思う。
そういえばブラジルの、サルガドの育った、父の森を再生させたのも、
彼女の一言が発端だった。
聡明で、忍耐力、行動力があり、現実的な問題処理能力にも優れる一方
柔軟で愛情、感性豊かな素晴らしい女性なんだろうな。
サルガド自身も、ただの天才肌の芸術家ではなく
バランス感覚を持った大人の部分のある人ですが。

まあとにかく、写真が本当に素晴らしいですから
できれば、映画館で大きなスクリーンで見てください。

・・・・・・・・・・・・・・・・
以下ストーリー。ネタバレありますが、まあドキュメンタリーだし、
ストーリーを追う映画ではないけど、でも嫌な方は読まないで。笑

セバスチャン・サルガドはブラジルで15歳まで生まれ育ちます。
姉妹が7人いる中の唯一の男子だったようで、きっと大事にされたことでしょう。
家は、当時かなり余裕のある家だったようで、高校からは都会に出ます。
父親は法律家にしたかったのですが、とりあえず経済学を納めて大学を出て
エコノミストとしてパリやロンドンで働き始めます。
報道写真家としての彼の世界の問題を見る目、テーマを選ぶ力は
あまり気が進まなかった?経済学の基礎が役になったようです。
その後、カメラに夢中になり、写真家となり、世界を旅します。
世界の悲惨な現実、飢餓や病気や内紛や虐殺の現場に飛び込み
素晴らしい写真を撮りますが、エチオピアやルワンダでの
現実のあまりの悲惨さに、もう絶望しかないと感じます。
人間の歴史は戦争の歴史だ、というナレーションは
監督のヴェンダースのものだったかサルガドのものだったか
覚えていないけど、そういう気持ちになるでしょうね。
そこで、サルガドが新たにスタートさせたプロジェクトが「ジェネシス」
これがタイトルにもなっている地球へのラブレター的な写真たちです。
地球に残されている森や砂漠や氷原や、そこの動物達、少数民族たち。
一方では、干ばつですっかり荒地になった父親の広大な土地に
200万本もの木を植え森を再び生き返らせます。
そうして自然の偉大さに触れることで、希望を取り戻していく、
と、そういう感じのドキュメンタリー。

月記:2015年7月

2015-08-11 | 月記
7月は、5年やったお店の閉店の作業をこつこつしてた月で、
落ち着かないし、暑くなってくるしで、体調が悪いままだったなぁ。
週に2、3回は片付け、掃除、ゴミ出しに行ってて
あんまりいろんなことしてないし、映画も見てなかった月。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・うさぎのはてな、10歳になる。
・膀胱炎になったり喘息出たり胃腸炎なったりものもらいとか不調だらけ。
・横浜の友達が遊びに来てお好み焼き食べる。
・花火の撮り方と報道写真のこtれからなどのお話。神戸新聞の方より。
・蔦屋書店で飲む会2回目
・自然光ポートレート写真撮影会
・柳家喬太郎・柳亭一馬二人会@トリイホールで最後の。
 大好きな喬太郎さんと写真撮ってもらった!
・閉店。30日に不動産屋さんに鍵も返して、バイバイわたしの場所。


・映画館で観た映画「グローリー」「マッドマックス」「海街diary」
・DVDで観た映画「男と女」

コウモリ騒動

2015-08-10 | Weblog
最近ひどい夕立が降ることが多いです。先日の午後も、集中豪雨で
ベランダに干してた服がびしょ濡れになってましたが、それはどうでもいい。
豪雨の置き土産か、小さなコウモリさんが、なぜか羽を広げた姿で
ベランダの端っこの方にぺたっと伸びてまして・・・

きゃーーーーーっ!

トカゲやヤモリは怖くないけどコウモリは怖いです。
それと、死んだ動物がすごく怖い。
しばらくしたら羽が半分になってて、生きてて起き上がりかけてるのか、
それとも死んじゃってて雨の後の熱風で乾いてひからびて縮んじゃったのか?
部屋の中から見てるだけなのに、ひとりしばらくパニックになったあと、
あー明日の朝までいたら、管理人さん呼んで片付けてもらおう、と思いついて、
ちょっとほっとしたとたんに、動き出した!
羽をばたばたさせながら、なんとか飛び上がろうとしてるみたい。
ベランダを、だーっと、ばたばた斜めに横切って、
わたしはまた、部屋の中から叫んじゃった。
そして、なかなか上手く飛べないみたいなんだけど、
飛べなくていいから、下の階に落ちていいから、
とにかくうちのベランダからはお帰りください!と必死で祈る、自分本位のわたし。
そうこうしてるうちに日が暮れて、
ベランダの端にいるのかどうか、よく見えなくなって、
でも部屋からベランダに出て確かめる勇気はない。
明日の朝まで、忘れていよう・・・。

翌朝、落ち着かない気分で、そーっと見たらいなくなってました。
小さいコウモリだった。
コウモリの写真、撮ったけど苦手な人もいるかもしれないので
アップしませんでした。笑

映画:サイの季節

2015-08-08 | 映画


実話を元にと書かれているけど、
この映画、映画そのものだけで十分素晴らしく、実話がどうのとかどうでもいい。
それに映画が表層的なストーリーを追うものではないので
実話が元になってるかどうか、どの程度実話かとか
あまり意味ないと思います。
とにかくただ素晴らしい。
詩的で豊潤で濃く力強くとにかく美しい映画。
約90分と短いんだけど、世界を一つ飲み込んだみたいに疲れた。
今年のわたしのトップ5に必ず入ります。

監督は「ペルシャ猫を誰も知らない」のバフマン・ゴバディ。
「ペルシャ猫」はドキュメンタリータッチの映画で
イランで、音楽に文字通り人生を賭ける人たちを描いてたけど
音楽や自由に対するメッセージなどより何よりも、イランの若者や風景が
イランの音楽とともに、とても印象的な名作でした。
これは一昨年、宝塚映画祭で見たんだった。→その時の感想ブログ
そしてこれを無許可撮影したあと、トルコに亡命した監督が
次に撮ったのが、この「サイの季節」みたいです。
前作と雰囲気は変わって、大人の濃厚な愛の物語、
いや愛と人生の喪失の物語、いや、どっちだろう。

お話は、
1979年のイラン・イスラム革命で反体制詩人として国家転覆罪に問われ
捕らえられた詩人サヘルと、その妻ミナが主人公。
ミナの父親は革命前王政下の軍の大佐ではあったが、
彼らの逮捕の陰には、ふたりの運転手だったアクバルによる陰謀が絡んでいた。
アクバルはミナを一方的に愛し、深く執着し、激しい嫉妬に苦しんでいたのだった。
2009年、拘束から約30年後に釈放されたサヘルは、ミナを探す旅に出る。
サヘルは死んだと知らされていたミナは、
刑務所で産んだ双子とともにイスタンブールにいた。そして・・・

この運転手のアクバル、最初の方で少し同情したことを後で悔やむほど
嫌な男です。人によっては最初から、ダメかも。
でもわたしは最初の方で、なんて切ないんだろうと同情しかけた。
密かに愛するミナが夫であるサヘルと仲睦まじくしているのを、
じっと見ながら嫉妬に苦しむアクバル。
ミナが車に落とした口紅を、恍惚とした表情で咥え舐め、自分の唇に塗る。
こういうねっとりしたシーン、ヨーロッパの映画にはたまにありますね。
アルモドバル監督の「トーク・トゥ・ハー」や
パトリス・ルコントの「仕立て屋の恋」
ガルシア=マルケス原作の映画「コレラの時代の愛」
これらはどれも、愛を返してはくれない女性を
一方的に愛し、時に深すぎる執着をするお話です。
気持ち悪い、セクハラだ、異常だ、と思われる部分も多いし
愛と執着はあまり一緒になってはいけないものだと思うし不快感もあるけど
報われない愛を過剰に貫く様子には切なさもある。
そういう感じで見ていたんだけど、アクバルは現実的でずるい男でした。
上記の映画の男たちは、異常に行きすぎたところは多々あっても、
相手の女性を傷つけることも無理に力や暴力で支配することもしなかった。
それをしたのがアクバルで、わたしのわずかな同情もふっとんでしまった。
ただ、ラストまで見ると、結局どんな暴力や権力の無理強いをしても
永遠に愛されることなく、憎まれさえせず、
報われないままだったこの汚い男の悲しさが、少し胸に迫る感じはした。
このうす汚い男でさえ、悲しいあわれな人間のひとりにしかすぎない。
なんか、そういう、悲しさの果ての無常感で包み込まれるような気持ちになる、
そういう映画でした。

後半、ミナの娘が出てきて、サヘルは娘と知らずに関わることになります。
そして娘は、タトゥーで詩を彫る仕事をしてをしているミナを
サヘルのところに連れてきて、ミナはサヘルの背中にタトゥーを彫ります。
サヘルは最初からずっとうつ伏せでいるので、
ふたりは顔を見ることも言葉を交わすこともなく
無言のまま彫って、そのあとミナは無言で出て行きます。
何十年ぶりの再会の場面のはずですが、なぜ娘はミナを連れてきたのか
なぜサヘルは顔を見せずにいるのか、なぜふたりは言葉を交わさないのか、
ふたりは気づいているのかどうか、わからないままのシーン。
このシーンに限らず、現実か幻か夢か、過去か現在か、わかりにくい場面ばかりです。
サイや亀の出て来るシーンも何かのメタファーなのか(過去に作った映画?)、
そもそも全体にセリフが少なく、最低限の状況説明さえないくらいなので
理詰めで分かりたい人には難しいかもしれませんね。
でも、冷たく重い湿度高そうなしっとりした画面の美しさや、
イスタンブールの海辺の暗い空、揺れる水面、
モニカ・ベルッチの美しい横顔、などが
不思議な幻想的なシーンとも、何の違和感もなく馴染んでいるし、
どんなシーンも思わせぶりさは全然なくて、ただ美しく悲しく、
緊張感を持って最初から最後まで息を詰めて画面に見入ってしまいました。

ミナがサヘルの背中に彫ったのは
クルドの詩文「国境に生きる者だけが新たな祖国を創る」でした。
政治的な状況なしに語れない物語でありながら
個人的な視点を中心にした愛の物語として読めますが、
やはり全編通して異邦人の、亡命者の、悲しみを忘れさせない映画で、
国境に生きるものの苦難と恩寵について考えさせられますね。

そしてラストはもう、悲しいのかどうかもわかりません。
不在の年月が長すぎ、取り戻せないことばかりの人生、
それを生きながらえたとして何になるのか。
何が残されているのか。何も残されていないのか。
一体、これからの時間になにか意味があるのか。

映画の中に、サヘルの詩集「サイの最後の詩集」から?の詩がいくつか出て来ます。
「大地は硬い塩の塊 
 サイは頭を垂れて大地を舐め 
 空っぽの口を動かし噛む 
 さらに噛む 
 やがて季節の残り滓を吐き出す 
 そこや少し離れたところに 
 サイの季節には 肌が厚みを増す」

大好きなモニカ・ベルッチですが、若いシーンも30年後のシーンも
うまく演じています。
若いシーンは少し違和感あるけど大丈夫。
老け役の方は、すごく自然です。自然に老いているのに美しい。
モニカは、これだけ美しく完璧に整ったゴージャスなルックスなのに
どこかに、あどけなさ、頼りなさ、無垢さがあるのです。
目かな?
そしてモニカのペルシャ語も素敵でした。

この映画に対する柳美里さんのコメントがよかった。
>生だけでなく死をも奪われてしまった主人公の、
>声なき絶叫が溶けている映像作品。
>私は、渦のような痛みと美しさに引き込まれた。
>逢いたくても逢えない人がいる人、
>帰りたくても帰れない場所がある人に見てほしい。

なぞかけ

2015-08-07 | こども
息子がさっき帰ってきて、読んでた本から俳句の話になって、
「俳句作るの?」と言われ、
いや、月に一つくらいふっと浮かぶやん?というと
「3ヶ月に1個くらい謎かけは浮かぶけどな」と言う。
たとえば?

「葬式とかけて新聞ととく」「その心は」
「今朝来て今日読む(袈裟着て経読む)」

息子がしゃべり続けるので、書きかけのブログの続きが書けません。。。

映画:海街diary

2015-08-06 | 映画


見た後に1時間も2時間もいろいろしゃべった映画。
とても面白かった。

ゆるふわ系の映画は、嫌いじゃないものもあるけど
あー無理、と思うものもあるので、この映画はそういうのじゃないよね?
是枝監督だし大丈夫よね?と心配しながら見に行ったけど
全然大丈夫だった。
原作が吉田秋生で、わたしはまだこれは読んでいないんだけど、
というか漫画自体もう長い間読んでないんだけど、
この作者は若い頃とても好きだった漫画家です。
友達の中にも、この原作が大好きという人は多い名作のようです。

まず冒頭、ベッドで眠る長澤まさみの長くてきれいな脚を下からゆっくりと
映していくところから始まります。
となりには男の子が寝てて、長澤まさみをうしろから抱くようにして眠ってる。
でも全く色っぽいシーンではなく、この映画全体に色っぽいところはないんだけど
この導入で、とりあえずふわふわゆるふわ映画ではなさそう、と安心。笑

鎌倉の古い一軒家で暮らす3人姉妹が、浮気や借金で家を出た父の葬式に赴く。
そこで、残された中学生の異母妹と出会い、
引き取って鎌倉で一緒に暮らすことにする・・・。

そんな4人の物語なのですが
鈍いわたしは1時間くらいたって初めて、あ、これ、diary、日記なんだなぁ、
日常を淡々と描いてある話なんだなぁと、気づきました。
だから一つのドラマとして見ると、物足りないように感じたり
散漫とした印象を持つかもしれません。
でも、日常の日記だから、これで、こういう感じでいいと思いました。

姉妹に引き取られる異母妹すずちゃんは、姉妹の父親が再婚した相手との間の子。
でもすずちゃんの母親は死に、その後父親は再々婚したので、
再々婚相手である義母とすずちゃんは血が繋がってない。
お葬式での、この義母の、ちょっと嫌な感じ、うまく描かれています。
頼りない悲劇のヒロイン風になよなよしながら、自分の権利はしっかり守る
実のない女の雰囲気がよく出てるし、よくわかるエピソードです。
そして、その母の元で、自分を押し殺し、我慢して生きている少女の役、
すごくうまいし、かわいいです。

鎌倉での生活で、姉妹それぞれの恋愛や、彼女らに関わる人々との
いろいろなエピソードが綴られていくのですが、
キャスティングの良さにうなりますね。
父が出て行った後、娘たちを捨てて出て行った
どこかいい加減でわがままな感じの母親役が大竹しのぶ。
大竹しのぶの叔母役が樹木希林。
どちらも絶妙。
そして、やさしい食堂のおばちゃん役の風吹ジュンと
それを支えるリリーフランキー。
リリーフランキーはいつも通りの感じで、この辺のキャスティングは
面白みがないほど、ハマりすぎだけど、やっぱりいい。笑

全体的に、やさしくてほっとするのは
映像の気持ち良さや、四姉妹の魅力、古い家のリアリティはもちろんだけど
(古いけど微妙にセンス良くてきれい、なのではなく
 本当に古い家で、壁紙や障子から全部、古さやほどほどのよごれ方、
 ずっと置きっぱなしのものが、なんとなくそのままあるような、
 美意識のなさそうなものの選ばれかたなどにリアリティがある)
何より、女性だけで住んで充足してる、女性だけの世界だからだなぁと思う。
恋人や友達や、男性はいるけど、全部外側。
それが、とても心地よく見える。
四女を引き取ったときに、大叔母役の樹木希林が、
犬や猫じゃないのよ、あんたたちだっていずれは結婚して
ここを出て行くんだし、いつまでもここでに一緒に住んでるわけじゃないし、
みたいな忠告をするんだけど
なんで?ずっと一緒にいたらいいやん、って思った。
平安時代の通い婚?の逆バージョンみたいで、すごくいいと思う。
女たちはそれぞれ仕事してて自立してるし、
姉妹一緒に暮らせば生活の心配はない。
男のいない小さな世界は、暴力や権力の影もなく、ものすごく穏やかで
ほっとする場所と時間です。
みんなずっとそこに暮らして、男の人は外に作ればいいんじゃないの?
実際3人姉妹はそれぞれ恋人や恋人的な人がいるんだけど
家には連れてこないし、恋人が家族公認で出入りしてる感じもない。
恋人はいつも外側にいるのです。
外側にいて、会えるときに会いに行く。通い妻っぽく。それ、いいやん~!
(長女カップルで、長女が恋人の家へ行く時、いそいそと買い物して
料理して洗い物するシーンだけはちょっとがっかりしましたが。
なんでそんな昭和の演歌の尽くす女みたいなのだ?)
誰にも支配されず、好きなように付き合って、自分の生活はそのままあって、
赤ちゃんできたら姉妹で育てればいい。
わたしの見てきた狭い経験からですが、大体の場合育児ってものは、
男と育てるより、女ばかり4人で育てるほうがずっと楽だと思う。
お父さんとも自由に会わせればいいけど、基本的に姉妹の家で育てる。
ラクだし、楽しそうだよ。わたしなら、そうしたいなぁ。

そういえば、「マッドマックス」で砂漠の生き残り女性戦士たちが現れた時に
ものすごくほっとした気分になったことを思い出しました。
男の作る世界が、あまりに安易に暴力や支配と服従や権力争いなどに
染まってしまうからでしょうか、それに比べて
自立した女たちの世界は、やっぱりほっとするものがある。
そういうことを思い出しました。全く違う世界の映画だけど。

女優たちに関して、
長女、綾瀬はるかの美肌力はすごい。うんと若い広瀬すずちゃんより
はるかに繊細で滑らかで透き通るような肌。
次女、長澤まさみはスタイル力と笑顔力。手足がすらりと長くかっこいいけど
にっこり笑った顔のかわいさは格別。
四女、広瀬すずちゃんは文句ない美少女で、本当にきれいでかわいいです。
三女、夏帆ちゃんの、のんびりとした癒し力は
ここには不可欠なものだなぁと思わせます。
こうやって四姉妹見るだけでも楽しめる映画だけど、
映画自体、かなり好きな感じだったので、ロングヒットになってるのも納得。

あと、どうでもいいけど気になったところ、
やたらと「あれ」という言い方が出てたとこ。
いや、きょうはそれは、あれだから、とか、
ちょっとあの、あれ、してて遅れちゃったのよとか、
まあそういうことは、あれだから仕方ないわね、とか、
そうなの、やっぱりちょっとあれしちゃうもんだからさ、とか
そういう使い方の「あれ」。
軽く違和感あるほど多かったけど、これは原作がそうなのかな?

それともひとつ感想、
ちくわカレーとジャコチーズトーストは作ってみようと思いました。

運動もします。

2015-08-02 | Weblog
5年ちょっと前、お店を始めた時に通う暇がなくなってやめたスポーツクラブ。
マレーシアに住んでた時も近所のところに通ってたし
日本に帰国後もなんだかんだと一応通ってたのをやめて
5年間、本当に運動をしていませんでした。
日常生活で、こまごまとマメに動けばいいのでしょうけど
なにしろ基礎体力がそもそも全然なくなってて
どんどん運動不足のダメな体になりそうで、
閉店したら、また通おうと決めていました。
それで、お店の鍵を返した翌日に入会手続きを済ませてきた。
痩せるとうれしいけど、なにより、健康増進が目的ですね、今は。
そういう年になりました。

5年ぶりに行くと、入会手続きはタブレットでさくさくと進み
5年前はこれ、なかったよねぇ、と時代のスピードに感慨。
久しぶりなので最初にカウンセリングと体内組成?チェックみたいなのをしました。
だいたい思ってた通りだけど、まあ5キロくらい痩せたほうがいいですね。笑
あとは筋力のなさは絶望的で
普段も洗濯干すだけで筋肉痛になる非力なわたしなので
マシン系は軒並み、一番軽い負荷でもひーひー言ってます。
でも、久しぶりなので、ちょっと楽しい。

プールに入るのも5年ぶり。
軽く泳ごうとしたら、息継ぎがうまくできなくてむせました。
自転車や、泳ぎって、一度覚えたらずっと忘れないものだと思ってたのに
忘れるのね~。
まあ、少ししたら思い出すでしょうけどね。

外は40度近い猛暑で、プールの水もぬるくて、お湯みたいです。
みんな、水がぬるすぎて、しんどいわ、と言ってた。
でも、水の中は楽しいね。

「休む」をする

2015-08-01 | Weblog
わたしのまわりには、活動的な人が多くて面白いんだけど、
自分自身は怠け者の休みたがりです。
しかもやや体が弱くて、夏は虚弱の域に。

それで休める日には、家で休んでる、ということをしたいのですけど、
「家で休んでる」ということをしているのに、
何もしない、予定がない、と変換されることがとても多い。
違う。
「家で休む」をしているんです。
大事な予定なんです。