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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:セラフィーヌの庭

2011-03-16 | 映画
絵描きの映画を見てきました。
画家や作家音楽家の映画は興味深くて好きです。
中でも画家の映画は、映像とともに作品も確認できるので
好きな画家だと本当に面白いです。
古くはモディリアニの「モンマルトルの灯」(ホンマに古っ!)から
ゴッホやレンブラント、クリムト、フリーダ・カーロ、バスキア・・・。

でも今回見たのはそんな有名な画家ではなく
掃除婦をしながら独学で絵を描いた
20世紀初頭に実在した女性、セラフィーヌの映画です。

守護天使に描くように言われた無垢な彼女の絵は
ルソーを見いだし、ピカソやブラックと交遊のある
高名な評論家の目に止まり
彼女が自由に絵を描けるように援助されるのだけど・・・。

半映像の美しさに
セラフィーヌの貧しい生活も暗くは見えないほどで
実際、身を粉にして働きながら
誰にも認められず、嘲られながら絵を描いていたセラフィーヌも
実はそう不幸でもなかったんじゃないかな。
信仰があり、木や動物と話をし
風をたっぷり感じて味わうことのできる人だから。
泥や草や動物の血から独自の絵の具を作り
誰にも教わらず魂のままに描くセラフィーヌの絵は
ユニークではあるけど、ゴッホやルソーの絵には
及ばないように見える。
でも彼女を援助した評論家は、その絵だけじゃなく彼女自身の魂にも
何かを見いだしていたのかもしれないですね。
だけど、かたくなになった彼女の心はそれを受けつけなくなり
ついには壊れてしまう。
女流ゴッホと呼ばれることがあるらしく、
彼女の人生も、ゴッホのそれに似通っています。
彼女の心が壊れたのは
評論家のせいでもなく時代のせいでもなく
仕方のないことだったのでしょう。
無垢って危ないことです。
危ないし、切ない。

粗筋はしっていたし
セラフィーヌの絵に、特に惹かれなかったので
期待しないでみたのだけど
すごくいい映画でした。
続けて上映してた
イサム・ノグチの母の映画「レオニー」と
どっちを見ようか迷ったんだけど
こっちを見て良かったと思った。

ジャケ買い

2011-03-15 | お弁当や食べ物
LPやCDや写真集をジャケ買いすることも多いけど
食べ物も、つい可愛さに負けて買ってしまうことがあります。

このクッキーもパッケージはもちろん
箱の裏にあった、クッキーの写真の可愛さに負けて
買ってしまいました。
味は、期待してなかったのですが
とてもおいしかった。

ずっと風邪気味で喉の調子が悪く
コーヒーを飲みたい気分じゃないので、
朝のおやつの時間はこれとミルクティです。
こういうクッキーってホントにミルクティに会いますね。

テレビを見ない

2011-03-14 | Weblog
普通の生活をしようと思うし
そうしているけど、とにかく気持ちが落ち着きません。
そういう人は多いと思う。

うちは、元々普段からテレビをつけない家で
子供が好きで見る「笑点」と「相棒」以外は
週に10分も見てないと思うほどです。

でも地震のあった日は夜中までテレビにかじりついた。
だけど、それは不安になり悲しくなり眠れなくなっただけで
何一つ建設的なことに結びつかなかった。
だから、またテレビを見ないことにしました。
情報は新聞やネットニュースで1日数回見れば十分。

ツイッターで岡田斗司夫さんが同じような考えのツイートをしていたので
ちょっと長いけど、以下転載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず、ニュースは一日3回しか見ない。
新聞の朝刊と夕刊、あとは昼間にテレビのニュースを見るだけ。
これ以上の「事情や情況を知ろうとする気持ち」は、
自分自身のエゴだと思う。被災の当事者でもなく、
東京に住んでる僕はどんなに当事者風に心配してもやっぱり部外者だ。

ニュースを見ないのは、僕たちには固有の「悪い癖」があるから。
僕たちは「普段は知らなすぎ」「非常時はムキになって知りたがり」だ。
これ、逆であるべき。
平時は注意深くニュースを監視すべき。
非常時は思い切って専門家たちに任せるべき。
震や津波の被害、原発の情況を、
僕たち日本人の大半が知りすぎようとするのは、
どう考えても「負の連鎖」を生む。
テレビを見るために起きていては電力を消費するし、
僕たちが不安な気持ちになっても問題の解決に役立たない。

家族が被災地にいる人は、そうはいかないだろう。
でも僕たち大半の人間にとっては「知りたい欲求」
「不安な気持ち」は押さえられるはずだ。
それを「不安だから」「知る権利」と考えちゃいけない、と思う。

テレビ局の報道ヘリが爆音をたてて被災地を取材し、
その騒音で救出活動が妨げられるという。
この事実に僕は今日までの自分を恥ずかしく思う。
不安だから、知りたいから、リスク回避のために、
僕たちはいったいなにを要求してるんだ?

もちろん被災地の状況を知ることで義援金を送ったり、
ボランティアに行ったり「いいこと」もいっぱいあるだろう。
でもそれは「一日3回のニュース」で充分じゃないか?
それ以上、僕たちが全員で心配して不安になって
「いざというときのために備え」るのが、いいとは思えない。

「実は政府は隠してるけど」「実はこんな有害物質が」・・・
こんなデマが出回るのも「善意」があるからだ。
「自分の大事な人を、早く守ってあげよう」という善意。
しかしそれは、非常時には「情報テロ」になってしまう。

誤解を恐れずに、あえて僕は言う。
「もし、本当にダメな時が来たら、みんなで被害を分け合おう。
一人だけ助かろうと思えば、けっきょく自分も周囲も不幸になる」
すごく愚かなことを言ってるかも知れないけど、
理屈で考えたら、これが最適解ではないだろうか?

報道を信じて、政治家を信じて、専門家を信じようと思う。
自分たちのシステムが作った報道であり、選んだ政治家であり、
作った教育システムで育てた専門家だ。
彼らを信じて僕たちは普通に暮らすのでいいと思う。

行政の指示より早く動いて、
それでいくばくか「得」をしたと思うのは、もう沢山だ。
僕は「普通に」ニュースを見て、「普通に」買い物をして、
「普通に」被災地に義援金を送ったりする。
それ以上の行動を行政から求められたら、即座に動く。
みんなで助かるために、非常時には専門家に任せる。
非常時でない時には、専門家を監視して文句を言う。
僕たちはいつもこれを逆にしてしまう。

もう一つ、大事なこと。
僕が言ったやりかたを、人には強制しない。
これは「理屈っぽい」考え方だ。
いま、現に不安な人はこういう考え方をできない。
だから無理に説得はしない。自分だけのルールとして守ればそれでいい。

僕たちは「大人」だ。大人の役割は子どもたちに
「空手形」を発行することだと思う。
「地震や津波でたいへんだね。”でも”絶対に”大丈夫だよ」
「原子炉?ああ、絶対に大丈夫。でも政府が言ってるから避難しようか?」
子どもに空手形を発行して、「大丈夫!」と言い切るのは心が痛む。
だからと言って、子どもや冷静になれない情況の人に
「ますます大変になるぞ」と不安を届けてもなんにもならない。

アニメやドラマを見ていると、非常事態になったら
騒ぎ出して責任を追及する「ヒステリックな市民」というのが出てくるよね?
僕はああなりたくない。
普段は専門家にツッコミ入れようとも、
非常時には彼らを全面的に信用する。
でないと誰も責任者をやってくれなくなる。

もちろん僕にも子どもがいる。自分より大事な人もいる。
そんな人のためには、と思う気持ちは僕だって同じだ。
でも、みんなが「自分や、自分の大事な人のために」という
不安で行動したらどうなるのか、もうわかってる。
だからやめる。結果を世間と共有する。

というわけで、ツイートはここまで。
これを読んでくれたみんなに約束しました。
買いだめしない。必要以上に知ろうとしない。
専門家を疑わない。結果をみんなと共有する.
ニュースは一日3回まで。
できるだけ、今までどおりの暮らしを取り戻して、
復興の手助けをする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というわけで、
明日からはいつも通りのブログを書きますね。

被災地から遠く離れた場所で思うこと

2011-03-13 | Weblog
関電チェーンメール(関西の人も節電してください!ってヤツ)ですが、
わたしのケータイ、息子のケータイ、パソコンアドレス、ミクシィと
何通も善意の人から届いています、昨夜から。
善意のデマというのは、善意なだけに、悩ましい。
こちら、関西電力のホームページ。→関西電力
ここを見ると、チェーンメールへの注意と正確な情報が載っています。
関西で節電をしたからといって、それが即役に立つわけではない。
焦って無理な節電をしても、あまり意味がないようです。
が、そういう気持ちは悪いことじゃないし
そもそも普段から電気の無駄遣いはしないほうがいいので
善意の人をあまり責めるわけにもいかない。
でも、情報を鵜呑みにして広めるのは
やっぱりよくないと思いますが。

あと、善意の人の「救援物資を送ります!」というのも、よく見る。
「うちにはたくさんペットボトルの水があるからそれを送ります!」とか。
いや、個人で物資送るのはかえって迷惑な場合が多いようです。
落ち着いて、必要とされている行動は何かよく調べて考えてから動きましょう。

せっかくの善意が却って迷惑にならないようにしたいですね。



被災地じゃないところの人ができることは
今の時点で限られていると思います。
情報を少しでも早く手に入れたりするのも意味がない。
何かしたいはやる気持ちはおさえて、
できることがないのなら、自分の生活を続けることです。
楽しいこともすればいいし、遊んだり笑ったりしていい。
だって、焦ったって、泣いてたって、誰も喜ばないし助からない。
妙な自粛ムードで、楽しむのは悪、みたいな風潮はいやだなぁ。
もちろん、つらい気持ちの人がいるということを
いつも忘れずにいたいし
常に祈る気持ちも持っていたいですが。

阪神大震災のときだって
被災していない人が、みんな
不安な顔になったり日本中重苦しい雰囲気になってほしくなんかなかった。
それぞれのレベルできることをしてくれたら
あとはそれぞれの人生を満喫していてくれればよかった。
もっともこれも無事に生きていたから言えることで
もっとひどい被害に合われた方にはそんな余裕もなかったでしょうが。

昨日も仕事だったわたしが
昨夜考えたこと。
「仕事から帰宅後ずっと、ネットやテレビのニュースから目が離せないけど、
今夜、わたしにできることは何もないので早く寝ようと思う。
何もできないのに勝手にやきもきしても意味ないので、
早く寝て風邪を治す。
無事で安全な地域にいたわたしにできることは、
無駄に暗い顔することではない。
明日はわたしにも何かできることがあるだろうか。
状況は深刻だけど、わたしは深刻ぶってないで
風邪を治して元気になって、できること淡々とをしたいと思う。」

地震

2011-03-12 | Weblog
昨日、
こじらせている風邪を
さらにひどくして
頭痛、鼻、喉、寒気、首から肩のひどい凝り、に
愚痴をこぼしながら仕事をしていると
お店のラジオで地震の情報が。

この辺も揺れたかな。
揺れてないよねぇ、とお客様と呑気に話していたのだけど
帰宅後ツイッターを見ると大騒ぎで
あわててテレビをつけると津波の映像が。
・・・・!
すごい勢いで押し寄せる津波は
まるで生き物のようで
それは阪神大震災のときの部屋の揺れを思い出させました。
部屋がまるで生き物のように
大きく揺れ動いていたのでした。


余震の続いている地域もあるようですね。
わたしの知っているみんなは大丈夫なのだろうか。
無事に生きているわたしは
自分にできることを考えながら
今日も自分の仕事をしっかりやります。
被害がこれ以上大きくなりませんように。

駝鳥の足王国

2011-03-11 | 作り話
住宅地の間を走る私鉄沿線。
大阪から宝塚に近づくにつれ、急行電車も停車駅が多くなり
人の数もほどほどの、ゆったりした雰囲気になる。
通路を挟んで細長く向かい合う座席の車両で
わたしの斜め向かいに年配の女性が一人座った。
大きな黒い四分音符のような、二胡のケースらしいものを持った小柄な女性。
肩上までの黒髪は、毛先のカールしたボブで、
白に薄い小花模様のブラウス、濃いめのベージュのスカートを着ている。
黒い布のバッグを膝の上に置きレースの日傘を手にしている、
この沿線にたくさんいるお稽古帰りの普通の奥さん、に見えた。
その小柄なおばさんが、通路をはさんで、ななめ向かいの席から
バイオリンのケースを見て、わたしのと換えましょう、と言う。
断固とした口調で。
え?と周りを見回すが、わたし以外その女性との間には誰もいないので
わたしに話しかけたのだとわかる。
「それ、わたしのと換えましょう」

わたしのバイオリンは茶色くて四角い長方形のケースに入っている。
3年前に買ったお気に入りのバイオリンで
高価なものではないが、毎日弾いていて愛着もある大事な楽器だ。
「は?」ともう一度聞き返す。
「換えましょう。換えなくちゃ」

おかしい人かも。
大事なバイオリンに危険を感じてはっきり答えた。
「いえ、これはバイオリンでニ胡じゃないですから。」
いや、二胡だったとしても、知らない人と交換するわけにはいかないんだけど
とりあえず。

「いえ、これも二胡じゃないですから」
断固とした口調に似合わぬ朗らかな笑顔でそう言い、
四分音符のようなケースのふたを、そっとあけて
わたしに中身が見えるようにした。

二胡という楽器を生でちゃんと見たことがなかったので
それが本当にそうなのか自信はないけど、
それはわたしの知っている二胡のように見えた。
でも、向かいの席の女性は「ほらね」と微笑み
丁度わたしにだけ聞こえるような声でお経を読むような抑揚で続けた。

悪の駝鳥族に追われた、駝鳥の足王国の王。
小さな駝鳥の足に姿を変えて
中国経由でやってきた。
二胡のケースにぴったりの
子ども駝鳥の足の姿になって。

それに気付いた悪の駝鳥族の魔法使いに
呪いをかけられ、もとの姿に戻れなくなってしまって
でも、それを逆手に取り、逃げてきたの。
この宝塚の地まで。

やっぱりおかしな人かも。
わたしはしっかりと自分のバイオリンケースを抱え
二胡との交換を態度で拒否した。

でも、「それ、あなたのそれも本当にバイオリン?」
二胡のケースを閉じながらそう言う女性になぜか不安になり
長方形のバイオリンケースの短い辺のファスナーをそっと開けて
隙間から中を見た。
暗くてよく見えない。
ファスナーをもう少し開けて確かめた。
それはいつもと何の変わりもない、わたしの大事なバイオリンだった。
ほっとして顔を上げると
前の座席には二胡のケースを持った年配女性が3人いて
二胡の先生や練習の話を和やかにしていた。
3人の真ん中に、さっきわたしに話しかけた女性がいたけど
まるで何もなかったかのように談笑している。

呆気にとられるより、なんだか面白くない気持ちになって
その女性の二胡ケースをにらみつけているうちに
次の駅に着き、その3人の女性は揃って電車から降りていった。

ガーベラ

2011-03-10 | 小さいもの
ガーベラというのは、
チューリップの次に
子どもが何も見ないで描く花の絵、
そのままみたいな花ですが
その、奇をてらわない感じがいい花です。

どんな花も自分では奇をてらっているつもりはなく(笑)
それをそういう目で見る人間の側の問題だけどね。

ガーベラは
切り花でもすごく長持ちするし
茎はすっとまっすぐ伸びて気持ちいい。
香りはあまりなくて、
あまり長持ちすると作り物みたいに思うけど
よーく見ると、毎日変化しているのです。

写真のピンクのガーベラの、
花の真ん中のところを注意深く見ていると
最初は中心の黄色っぽい短い芝生のような部分が多いけど
外側から少しずつ立ち上がっていく部分が増えていくのです。
すっすっと黄色い芯のような物が立ち
ピンクのカールした小さな花びらのような物が
その合間に顔を出します。
この、立ち上がっている部分がどんどん増えていき
最後は中心までこの状態になる。
その頃から花びらの色は少し褪せて行きます。

ガーベラはどこにでもあるよく見る花だし
よく買う花だけど
そんなことも最近まで気付かなかった。
小さくてヒマなうちのお店の中でも
注意深く観察すると
いろんなことが起こっているのだなぁ。

2月後半の呟き

2011-03-09 | つぶやき
今日は、ずるりんとした森ガール風の服です。
ずるりん。ふわりん。
年とともに、ふわりんとした服が似合わなくなっているけど
たまに無理矢理着ます。
いぢわるばあさんになっても、たまに着よう。


かなり優しい方でしょう、って言われた。
え?みんな、そんなにひどい人ばかりなのー(笑)。
わたしはね、優しいんじゃなくて、甘いの。
すぐ人を甘やかしてしまう。
面倒くさいから、で、全然優しくないです。
息子は厳しく育てたけどね。


>世界の人口問題は後ろ向きに語られることがほとんど...
>「人口が多い」っていうのはチャンスでもあるはず。
>前向きに話しあってみても
・・・という呟きに対して
日本の人口減少は後ろ向きに語られることがほとんど。
でもそこに本当にチャンスはないのか?長所はないのか?
前向きに(以下略)


幸田文の短編「台所の音」を読んだなう。
幸田文は何か随筆の文庫を持っていて、
その文章も好ましいとは思っていたけど、
「台所の音」は、もろにわたしのツボ。
ハッピーな話ではないのに、うれしくなるほど好き。
文章がうますぎる、というだけでなく
この短編は中身も何もかも全部好き。大好き。


そういえば今朝、何してるのが一番好きかって聞かれて、
今の季節ならぬくぬくのお布団にくるまって
寝坊できる朝にだらだらすること、
と答えてしまった。つまんない答え。
でもホントだから仕方ないよね~


うさぎは個体差が大きく、うちのみたいに気が強いのもいれば、
おとなしくていつも震えてるような子もいる。
でもどんな性格も凌駕してしまう、
動くぬいぐるみとしかいえない姿のかわいさがある。
うさぎなんて見た目がかわいいだけやん、と息子は言うが、
これだけかわいかったらそれだけで天才やろ。

うさぎ、かわいいだけで生きていけるのは、うらやましい。
おばあさんになっても、あんまり変わらないからね、ルックス。
かわいいだけで天才とは、昔秋元康がおにゃんこか何かに言った科白。


素敵なお友達が変質者に怖い思いをした。
ムカついて眠れん。
普段何されても怒らないほうのわたしだけど、
女性を暴力や性的暴力で傷つける男たちだけは、
ぶっ殺していいと思ってしまう。むかむかー。

大学の授業で中高レベルの内容をやることについて
大学は義務教育じゃないし、そこで中学や高校を
やり直せばいいとは、やはり思えませんが
高校をもっと柔軟にしてもいいとは思います。
例えば飛び級や留年をもっと普通のことにできれば、
それぞれの速さで学べのにと思います。
そして大学は、やりたい勉強のできる場所としての大学であってほしい。

もっといろんな形があっていいと思います。
高卒後何年か働いて授業料をためてから大学に入学するとか、
他の経験をしてから大学へ行くような道が、
もっと開ければいいのにと思いますね。
確かに時間がかかりそうですが。


>大人やめたい
・・・と言う呟きに対して
でもわたしは大人で楽しいな。
子供に戻りたくなんかない。
大人ってなんでも自分の責任でできるやん。
やめたいのはつまらないしがらみと自意識であって、
大人でいるのはホンマに楽しーよ♪

息子見てると、16歳のこれからの可能性はうらやましいけど、
絶対、45歳のわたしの方がずっと自由だもんね。
こころもからだも、だ。ビバ大人!
ホンマに10代が10年しかなくて、感謝してるのよw。
40代は20年ほどほしいけど、無理か・・・w

息子よりいっぱい泣いてるし愚痴も多いくせに、
ビバ大人!とか思うってる能天気さは、武器でしょ。


車の付いてない、重い革の旅行鞄を
運転手やドアボーイ、ポーター達に持たせて(重くて自分では持てない)
ちゃんとしたホテルにステイする都市旅行がしたい。
したい。
いつからしてないだろう。

いい靴を履いて、いい服を来て、いい宝石をつけて、
当たり前にサービスを受ける旅行がしたい。
髪をアップにしてドレスを着てハイヒールで小さなバッグを持って
ショールをまとって夕食とコンサートに行く旅行がしたい。
バックパック旅行もいいけど。

たまには。


朝の4時半にやってる「3文の得」という番組が気になる息子。
いや、見たことはない。
テレビ欄でいつも見て、これ、どんな番組だろうと、悶々としている様子。
わたしも気になるじゃないか。
ちなみに息子の今のブームはジュリーのトキオ。家で踊りながら歌ってる。

男の人に尽くしたことはないと思うけど、
尽くしてもらったこともないと思ふ。
うさぎには尽くしています。

関西スタンプショウ

2011-03-08 | 小さいもの
切手のイベントに行ってきました。

切手は2年くらい前から集め始めたんだけど
さほど真剣でもなく
楽しくいい加減に集めています。
集めるというほどでもないな。

エアメール葉書の切手を水剥がししたり
たまにネットで買ったり、で
直に切手商を訪ねることはなかったけど
この休みの2日間、大阪で
関西スタンプショウというのがやってて
友人が行って楽しかったというので行って来たのです。

友人が行った日は土曜日で
女性客がひとりもいなくて
逆ハーレム状態だったとのことでしたが(笑)
わたしが行った日曜日はそれほどでもなく
わたし以外にも一人か二人、女性はいました。
でも、ほとんどが男性ですね、切手ファンは。

展示のリーフも興味深いけど
いくつか出店している切手商を
おそるおそる覗き
結局1時間以上かけて、額面切手をたくさん買ってしまいました。
収集用じゃなく、海外へのエアメールに貼る用なので
額面の古くてちょっときれいな切手が
たくさん買えて大満足です。
予定があったので切手商は2つしか回れなかったけど
次の機会には、もっと時間をかけて
本気でたくさん見ようと思いました。
外国の切手もじっくり見たいです。

あー楽しかった。

試し撮り中

2011-03-07 | 写真






というわけで
バッテリーをフル充電し
レンズをとりつけ
メモリカードを入れ
日時設定をして
近所お買い物がてら写真撮ってきました。

駅まで3分で着いてしまう街中の我が家、
撮るものって中々ないです。

しかも、やっぱり重い。
少しでも他の荷物があると、結構大変です。
でも、楽しいです。

お店にいる時間が長く
お店のモノや人を撮ることが多いだろうから
重さは、まあ何とかなるでしょう。
マニュアル冊子が、すごく分厚いんだけど
少しずつできることを増やしていきたいですね。

カメラ買ったー!

2011-03-06 | 写真
買うまでも散々逡巡した上に、
いざ決めて買いに行っても、
結局2台のカメラの前でもんもんと
1時間も悩んででいた、優柔不断なわたしです、が
今までこれだけ大騒ぎしてきて
買わないわけには行かない!と
えいっ!と
やっと買いましたよ!デジタル一眼レフ。

ニコン最新のD7000が1万円キャッシュバックと週末割引で
D300sより4万円前後安かったので、かなり心揺れた。
D7000は最新機能満載なのに、コンパクトでとてもいいカメラ。
スペック的にD300sを上回ってる部分が多い。
しかも安い、となると
頭ではD7000を買うしかない!という結論になります。
差額でほしい単焦点のレンズがもう一つ買える。
なのに、もんもんと悩み続け
結局、より高くて重いのに機能は最新じゃないD300sを買った!
(16-85mmレンズキット)

もし値段が同じだったらどっちを買うか、
あるいはタダでくれるなら、どちらをもらうか、と考えたら
D300sだなぁと思ったのです。
最新の機能より、重くても
シャッター押すのが楽しい気がするこっちを選ぶなぁと。
と、いうことで、問題が値段だけなら、損得勘定だけなら
それはもう無視しようと思ったのでした。
それで無視して、高いほうを買った。
後悔するかなぁ。
重くて持ち歩くのがイヤになって
使いこなせなくて後悔するかなぁ。
(↑弱気で後ろ向きw)

ま、いいや。もう買っちゃったんだから
間違った選択だったとしても、かわいがるよ。
明日の休みは一日予定をいれず、この子と仲良くなろう。
めんどくさがらずにちゃんと操作を覚えよう。

カメラ変わっても、自分の写真は多分そんなに大きくは変わらないと思う。
でも、少し真面目に勉強しようと思う。
ずっと逃げてたけど、もう観念しました。

写真は前に借りてたキヤノン40Dで撮った写真。

2月前半のつぶやき

2011-03-05 | つぶやき
話すということはすごいことだな。
わかってくれる人と話すだけで、何も解決してないのに、
随分気持ちが落ち着く。

具体的なことだけ考えよう。
目の前の具体的なことだけなら、
ひとつひとつやっつけていけるはず。

仲のいい海外育ちの友達がいるんだけど、
彼女はすごく人のことを褒めるんです。
日本人が聞いたらオーバーで恥ずかしいくらい。
最初はわたしも違和感あったけど慣れたし、
いいことを口に出して伝えるのって素敵なことだと思ったので、
わたしもそうすることにしたのです
最初は照れるし恥ずかしいし、
嘘っぽく聞こえるかなと思ったけど、
そのうちに随分自然に言えるようになった。
言わなきゃ伝わんないことは
小さいことでもどんどん言おうと決めたのです。
好きな人には好きと、しっかり言おうとも。そっちは難しいけどね~(笑)


英語の出来ない日本人は、
なんでもかんでも学校の英語教育のせいにしすぎとちゃうのん?
やりかただよ。息子の教科書見ても、よくできてるし面白いよ。
これを面白くなく教える教師に責任はあるかも、だけど(笑)
それに教科書をちゃんと勉強できてたら、
英会話なんか必要になったときにはすぐできるようになる。
大きな問題は、わかることと使えることの間に大きな隔たりがあること。
わかったところですぐ次に行っちゃうと語学は身につかない。
使えるところまで、あと一歩だめ押しをしないといけない。
でもそこから先は、ほんの少しのことで身につくようになるのにな。
頭で理解した後は筋肉に刻み込んで覚えさせる、というようなことです。

アジアに長くいたので、いろんな英語があっていいと
強く思うようになりました。
米英の英語だけを普通の英語と思う必要はない。
でも米英っぽい発音でちゃんとした文法の英語をしゃべったほうが、
まあ欧米で馬鹿にはされにくい。
自分は英語しかしゃべれないくせに
英語下手な人間をバカだと思ってしまう英語ネイティブ人種もいますからね。

昨日の夜も遠方の友達が電話をくれた。
メールやメッセージも。
みんなやさしいなぁー。
でも、わたし今、頭痛も歯痛もないし、ご飯はおいしいし、
きれいなものも見えるし聞こえるし、おいしいスコーンも焼けるし、
それ以上何を望む?と思う。
そのワリにに愚痴が多いのは修行が足りんけど~(笑)
みんなありがとう!

息子がお風呂でジュリーを歌ってる。
個人的ツボにはまったらしく、振り付きでよく歌ってる。
もちろん、ジュリーを知らない世代。古いドリフのコント映像で見て以来、
ずっとひとりで踊って歌ってウケてるんだけど、理解不能です。

本屋で英語の生徒さん用の本を選び、
カフェのケーキ用のお菓子の本を見て、
子供の教室用の絵本を買って、ってしてたら、
自分は色んなこと一人でいっぺんにやりすぎてるのかな、と思った。
それで、ひとつひとつに十分時間をさけなくて
いつもバタバタしてるのだなぁ。でも、どれもやめられないしなぁ。

普通に考えて、カフェでケーキ焼いてコーヒー入れてる店主が、
そのまま英語教えて絵の教室して、って何か不思議な感じよねぇ。
自分の中ではそれぞれつながってるところはあるんだけど、
実際の仕事はそれぞれバラバラなので、
店ヒマなのにやることばかり多い。わかってたことだけど。
だから、それなりに疲れてても仕方ないんだけど、
疲れてること自体自分で気付いてないことがあるので、
たまに気付くと、どっと疲れるのだった。


わたしの見る限り、中学の英語教科書を全部マスターしてれば、
あとは必要なときには少々の勉強と慣れで日常会話は
大体問題なく出来るのではと思います。ただ、
マスターというのが、読んで理解できるというのではなく
使えるというレベルなのが重要です。
簡単に言えば丸暗記ですね。
丸暗記は批判が多いし、
応用力が育たないと思われそうですが、
語学に関しては大事なことです。
頭で考えなくてもすらっと口から出るくらいマスターしてれば、
かなりの英語力の素地ができているものと思います。
中学3年分で大丈夫です。

中学英語を完全にマスターして海外に行っても、
もちろん最初は、耳の慣れや、慣用表現や語彙など覚えるべきことが多くあります。
でも中学英語の文法と語彙が使えるレベルになっていればすぐに慣れます。

中学生の生徒さんに英検のテキストを選んだ。
4級だし、はっきり言って、どんなテキストでも大差ない。
結局はやり方だからね。
それも大して特別なことや複雑なことではない。
というわけで、一番薄いのを1冊、テキトーに選んだ。
まずこれをさくっとやってあとは模擬テストをいくつかやれば大丈夫。


無知とイノセントは違うよね。子供はほとんどみんな無知だけど、
イノセントな子どもの割合は
大人のそれとかわんないと思うもんなぁ。

中3甥「スキー合宿、どこと思う?」
高1息子「カナダ?」
甥「惜し~い!新潟。」
息子、爆笑「どこが『惜しい』やねん
」甥「え?なんで?そこ笑うとこちゃうやろ?」
本気で何がおかしいのかわかってないこの甥の、ボケ具合が好きです。

甥の小学生時代の夢は奇想天外という名のサボテンを育てること。
世界の不思議な植物事典みたいな本で見て以来あこがれてる。


なんか、また自分がかわいそうになる罠にはまってる。
いや、今現在はいいんです。今の自分は自分の責任と思える。
子供時代のこと。
普通の日本人の家で普通の日本人に生まれたかった。
普通なんてものは、どこにもないってわかってるけどさっ。

おいしいチョコや珍しいチョコがどっと街に出るこの時期。
チョコ好きだからお菓子業界の陰謀でも何でもいいんだけど、
ここ数年息子以外にあげてないなぁ。で
も息子も高校生になったので、
これからは自分でちゃんとよそから貰ってきてください。

子供の目は曇りなく純粋で正しい、というわけではありませんね。
子供もよく間違う。
子供と言うのはその世界も理解も限定的な生き物ですから。

自分の子供の言葉を鵜呑みにする親が多い気がします。
子供も大人と同様に嘘もつくし、
嘘じゃなくても間違った見方でモノをとらえてしまうことも多いし、
理性的な判断は大人より苦手だと思うけどなぁ。
自分の子供の頃を思い出すとわかるはず。


気にしてないつもりで、安心してるつもりでいるけど、
今日の午後、ちょっと重大な用事があって、
やっぱりなんだか眠れないのだった。
物事ががうまくいかないときは、
自分のしてきた悪いことを思い出して、
それを一つずつ償っているのだと思う。償いきれないこともあるけど。

自分はそれほど、人を傷つけてきたのだろうか。
恋愛で男の子にひどいことをしたなぁと、思うことは少しある(笑)。
でも、どれも仕方なかった。
気持ちに嘘がつけない。
恋愛以外でも少しはある。
でも、今自分がされているほど、人を傷つけてきたのだろうか。
自分が鈍くて気付いてなかっただけなのだろうか。
よく考えても、自分自身を傷つける以上に
他人を傷つけたことがあるように思えない。
多くの人がそうだと思うけど。鈍くて無自覚なだけかなぁ。

高一の息子が、放課後は塾で自習するから
夕飯いらないと言った。それが全部嘘で、
ホントはデートだったらいいなぁ~。息子がんばれよー!

さっき、混乱してるときは雪見て無性に悲しくなったけど、
落ち着いてみると、なんかうれしい。
雪の珍しい温暖なところなので。
美容院はいきそびれたけど、雪だるま作りに外出てみようかなぁ。

しみじみ感動したいのに、さっき帰ってきた息子が
ジュリーのメドレーを聴きながら、
期末試験が終わったらCD借りてこようと言うので、噴き出しちゃった。
平成生まれの高一がジュリーの何に今はまっているのか理解不能(笑)。彼一人の流行です。

富士のカメラ、ナチュラの、
今出てるおしゃれなのと違って、
ピンクで超ファンシーダサダサなの持ってたのを思い出した。
が外見はそんなだけど、中身は今のナチュラと違って
単焦点24mm、f1.9。中々いい感じのレンズです。
使いこなせないままほったらかしてたけど、
今度フィルム買ってお店の写真でも撮ろう。

スコーンは、もう慣れてひょひょいと作るけど
(それでも試行錯誤は毎日だけど)
日替わりケーキはしょっちゅうイヤになる。
作るのが大変という程でもない。
自分のレパートリーが少ないので、飽きちゃうのだと思う。
何か新しいことがないとやる気にならない。
でもケーキはお店で毎日出すものだから、
失敗したり研究したりするヒマはあんまりない。
というか、カフェ経営自体、
教室やる合間の時間と場所の有効利用くらいの気持ちで、
ケーキを本気でウリにする程やる気はないのです。
やる気はないと言ってもお金をもらう以上、値段以上のものは出すけど。

本気でやると、かなり凝ってしまうタチなので、
一度にいろんなことをやってる店としては、
全部に全力では向かえないのです。
わたしの中では絵の教室が一番。次が英語の教室かな。
カフェはその次。でも「その次」でも十分以上のレベルにはしておきたい。
ひとりでやってると、それだけでもう手一杯。

だからケーキは安全で失敗のない、
自信のある作り慣れたものしか出せない。
それで、しょっちゅう、飽きてイヤになる。
今朝は、大好きな紅茶が手に入ったので、
濃厚なアッサムでこっくりしたゼリーを作ろう!と思いついて、
ちょっとやる気になったけど、
毎日アイデアが浮かぶわけじゃないからなぁ。

一昨日泣いて決めたことを、わたしは今日、
あっさりと反故にして、また同じ間違いを繰り返すだろう。
間違うことが人生だ!と開き直れるか。

今はすっきりしてるけど、明日からダメージがじわじわ来そうな気はする。
今のわたしに必要なのは、
人と会っておいしいもの食べながらおしゃべりすることと思う。
確定申告さっさと終わらせて、ちょっと無理目に予定入れてみよう。

焼き鳥や、焼肉、お好み焼きを食べに行くときは、
洗える服で行かなきゃね。
匂いつくから。
だから、いい服着てるとき急に、
すっごい旨い焼き肉屋にいくけど、とか言われたときの苦悩は深い。

メトロノームとか古い時計とかの、
ちょっと不器用にカツカツいう音を聞くのが好きです。
音楽にも疲れると、小さなメトロノームのねじを巻く。

遠距離恋愛ってしたことないなぁ。
ほとんど終わってから遠距離になったケースは一回だけあったけど、
ケータイもネットもない時代は、難しかった。今なら少しマシかな。

その、終わりかけの遠距離恋愛の時代は、
連絡手段は手紙と高い国際電話でした。
一度、わりと突然会いに来られて、
わたしにはわたしの予定があるしぃ、と面倒くさく思ったとき、
終わりかけじゃなくて終わってるなぁと思ったのだった。
アメリカ人の彼、サンフランシスコから宝塚までわざわざ来たのに。

まるで、わたしが冷たい女みたいですが(笑)、
気持ちは鎖につなげないし、離れたら終わるしかないと思ってるだけ。
やっぱり冷たいか?w でも仕方ないやん。逆のこともある。悲しいけど仕方ない。
自分の気持ちの相手の気持ちも、何も鎖につなげたくない。

家のパソコンは安かったレノボのノート。
弟にこれでいいかな、というと、
うん、それはヒンジが丈夫だよ、と。
それってあの女の子どう?うん、彼女頚椎しっかりしてて丈夫だよ、
というようなもの?まあ、いいことだけど。w

それで、パソコンには平均故障間隔30000時間って貼ってある。
毎日10時間さわって3千日。
ほほう。
でも平均ダウン間隔は30時間くらいなんですけど(爆)。
あ、それってIEの問題なのか。w


今日も朝からチャイコフスキー。
オケ部の息子に、
チャイコン(コンチェルト)演ってよ、息子がチャイコン弾くの見るの夢だわ。
ソロはWさんできるでしょ。と言うと、
チャイコンは2年前にやったらしいから無理、と言われた。

息子「大体おかあさんは、どんどん夢の要求が大きくなってるよ。
最初は僕がバイオリン習うだけでよかったはずなのに、
次はオケ、で、今度は曲指定かよー」
あはは。ごめん。
でもオケもバイオリンも無理にさせてるんじゃないよ。
秘かに洗脳&誘導はしたけどさ(笑)

今朝は雲って灰色の朝だったので、
お店の近くにある辛夷の蕾が強い逆光にならずに、
きれいに撮れそうだったのに、カメラ持ってなかった・・・。
辛夷の蕾ってふわふわしてかわいいよね。

ヒマな店なのでどうぞ長居して下さい。
するべき勉強道具とか
読むべき本とか
書くべき手紙とか
考えるべき問題とか、
或いはただぼーっとしたい気分、とかを持ってどうぞ。

カ・メ・ラ!

2011-03-04 | 写真
お休みの日に、カメラを見てきました。
カメラや写真については
時々書いてきたけど
はまらないように、
あまり真剣にならないように
細心の注意を払ってきたのです。

でもどうしてもほしくなった。
年末年始に2ヶ月ほど友達に借りてたキヤノンEOS40Dを返してから
どうにも、寂しくていけなのです。
それで買う決心がついた。
お店に置いてて、何を撮るともなく毎日さわってて、
そこにあるのが普通になってしまったのだろうか。

でも、借りてたキヤノンより
別の友達の新しいニコンD7000の方が操作性がよさそうに見えたので、
デジイチ買うならニコンにしようと思ってたのだけど、
そこから悩みっぱなしでした。

以下、カメラに興味のない人ごめんなさい、な文章です。

一瞬血迷ってフルサイズD700とかも考えてしまったけど
その一方でもっと下位の入門機で十分な気も。
ただ、ほとんど、絞り優先(かオート)でしか撮らないので、
入門機種にうやたらついてる風景とか夜景とか人物とかのモードはいらないしなぁ。。
D7000のほどほどの軽さコンパクトさはとてもいんだけど、
売りになってる高感度ってわたしはほとんど使わない気がするのと
(最初は多分うれしくてわざと暗いとこで撮りたがるだろうけどw)
キットのレンズが中途半端な気がした。

自分のブログとかに、ここ5-6年毎日毎日撮ってきた写真を見ると、
わりと身近なものを時間をかけてとっていることが多い気がします。
マクロモードも良く使ってる。
でも、もし高感度画質のいいカメラ買うと、
それを楽しもうと違う写真を撮るようになるのはいいことかもしれない。
普通に考えるとここはD7000 だろうなぁ。友達が持ってるので教われるし。

写真はいまだに素人だけど、
あのポートレートとか夜景とかパーティとかたくさんあるモードは使ったことない。
あれって、みんな使いこなしてるの(笑)?
わたしは、いっつもオートか絞り優先でした。
ISO感度とホワイトバランスはさわるけど。
今デジイチ買ったら、多分新しいの出ても気にせず、
わりと長く使うと思う。
もっと画素数上がっても、もっと高感度画質よくなっても、
もっと高速連続撮影できるようになっても、
あんまり関係ないもん。
普通の写真が普通にきれいに撮れたらいいだけだから
流行の機能はなくてもいい。
普通に信用できるカメラがいい。

しばらく借りてたキヤノンのEOS40Dが、
案外好きだったかも、と今頃思う。
急に貸してもらったので、好きとか嫌いとか何も考えてなかった。
でも今日ニコンのD90、D7000、D300sさわってみて、
キヤノン40Dのシャッター音が好きだったかもと思ったのでした。
キヤノンEOS40Dのシャッター音は
カシャッとしっかりした明るい音で、
デジカメっぽいのかもしれないけど、
フィルム一眼になじみのないわたしには、気持ちのいい音だった。
そしてニコンの3つの中ではD300sの音がいい感じがしたのでした。

今のとこ心はほとんどニコンD300sに向いてる。
重さがどうかと思ったけどD300s+16-85レンズは
D7000のキットレンズセット(18-200だっけ?)より
軽く感じたのでだいじょぶかと。でも十分重いけど。

いろいろ考えたり比較したり人としゃべったりして、
よくわかったの。
実際今のわたしなら機能的にはD90で十分。
そのカメラ買って何撮るの、何するの、っていうとこ、そんなに強くないから。
じゃ、なんでカメラ買うのって考えたら、
ピアノやバイオリンと同じで、何かを作る道具だけど
同時に大事な友達になるようなカメラがほしいのだな。

ピアノもバイオリンも、すごく探して悩んで買った。
音はもちろんだけど、形や色、手触り、雰囲気とかも大事な要素だった。
弾くのにあまり関係なくても、
友達のようにコミュニケーションするものだからそれらも譲れなかった。
カメラにもそういうものを求めてたんだ、って気付いたのです。

ピアノもバイオリンも、わたしにはやっぱり、お守りの一つ。
わたしにやさしくしてくれるし、慰めてくれるし、
コミュニケーションの大事な相手だ。
そんなカメラを持ちたい。と、思うと、
重くてもD300sの方が近い気がしたのでした。
と言いつつ、買いに行く日、突然考えが変わって
別のカメラ買う可能性もあります(笑)

物欲

2011-03-03 | Weblog
日本に帰国して何年も、
指輪やピアスなどアクセサリーを付けることも滅多になくなってた。
家にいて人と会うことが少なかったし、
絵や楽器をしてたので邪魔だったし、すっかり面倒になってた。
お店を始めて、またアクセサリーをつける習慣が戻ってきた。
マレーシアにいた頃の日記のほしいものリストを見ると、
けっこうアクセサリー関係が並んでいる(笑)。
ブランドの高価なものが多い。
今もくれるなら喜ぶけど、もう、あるものでいいや、と思う。

高価なものは母にもらったものだけで、自分では買うこともない。

でも、物欲がほどよくあるのは健全な状態だと思う。
帰国後、そういう欲が全くなくなってたときは今から思うとやばかった。
生きてるのも面倒くさかったしなぁ
物欲でも食欲でもなんの欲でも、ほどほどで、
コントロールできる程度であれば、
あるほうが健全だと思いますね。
ほしいものがあると頑張れるってとこもあるし。
物欲に支配されるのは不健全だけどね。

写真はアートクラスの子どもの絵。
宝石より、こっちの方がいい、と
考える人もいるでしょう。


アルゼンチンタンゴ

2011-03-02 | 映画
邦題は「アルゼンチンタンゴ」
原題は「マエストロたちのカフェ」みたいな、音楽のドキュメンタリー映画です。
以下→公式サイトより抜粋

>2006年、ブエノスアイレスの最も古いレコーディングスタジオで、
>1940年代から50年代に活躍し、
>アルゼンチンタンゴの黄金時代を築いたスター達が感動的な再会を果たした。
>彼らはアルバム「CAFE DE LOS MAESTROS」に収録する
>名曲を歌うためにこの場所にやって来たのだった。
>60~70年もの演奏歴をもち、いまなお現役で輝き続ける、
>まさに国宝級とも言えるマエストロたち。
>時を重ね人生の深みを増した歌声が響くなか、
>彼らは激動の歴史とともにアルゼンチンに脈々と生き続けてきた、
>タンゴの魅力と自らの思い出を語り始める。
>なけなしの金で父が買ってくれたバンドネオン、
>街角のカフェから成功の階段をともに上った仲間たち、
>亡き師への変わらぬ熱い思い。
>彼らの人生のすべてがタンゴという3分間のドラマに刻まれていく。

>ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座に並ぶ世界三大劇場のひとつである
>ブエノスアイレスのコロン劇場。
>真夏の一夜、タンゴの歴史をつくりあげた偉大なるマエストロ巨匠たちが
>一堂に会したそのとき、奇跡のステージの幕が開く。
>すでに惜しまれつつこの世を去った
>カルロス・ラサリ、オスカル・フェラーリなど、
>二度とは見ることのできないアーティストたちの共演は、
>近年屈指の希少性をもち、音楽史に永遠に伝えられることだろう・・・。
>聴く者誰をも魅了する彼らの演奏を収録したアルバム
>「CAFE DE LOS MAESTROS」は、
>文句なしの2006年ラテン・グラミー最優秀アルバム賞を受賞した。

・・・と書かれていますが
映画自体は、わりと淡々としています。
波瀾万丈を語る人もないし
地味とも言える。
でも、音楽は、ラテン好きの人には垂涎ものでしょう。
懐かしいような地味な映像とともに細切れで流れるタンゴは
音楽のわからないわたしにも
もっと聴かせて、もっと、全部聴かせて!と思うような
しみじみと訴える物があると思います。
タンゴを、もっとちゃんと聴きたくなりました。

タンゴと言えば、去年中山可穂のタンゴ小説を読んで
すっかりその気になり(どの気?笑)
ラテンダンスを習おうと、近所の教室に行ってみたことがありました。
出てきた若い男の子が、すらりとした長身の
あまりに涼やかなハンサムで
こんなハンサムと落ち着いて踊るなんて無理ー!と
あきらめたことがあったけど(笑)
やっぱり習いに行きたいなぁ・・・。


以下タンゴについての説明。参考までに。

>キューバのハバネラなどをベースに、
>首都ブエノスアイレスの場末でタンゴが産声をあげたのが
>およそ1860~70年頃。
>レコード産業、楽譜出版などによって場末の外に出たタンゴは
>1910年代から徐々に海外にも輸出され定着、
>1920年代には第1次黄金期を迎える。
>世界恐慌やアメリカ音楽流行の影響で一時低迷するが、
>1935年ファン・ダリエンソ楽団の登場により、
>古典タンゴとダンスが復活、1940年代には第2次黄金期を迎える。
>1955年のペロン政権崩壊後、
>小編成による「聞かせるためのタンゴ」を指向した現代的な試みが登場する。
>1980年代後半、タンゴ・ダンス・ショウが世界的に流行、
>1997年にはアストル・ピアソラの音楽が再評価され、
>タンゴは新たなグローバリゼーションの時期を迎えている。