sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

アンとポリコレ

2024-09-24 | 本とか
数年前に放映されてたBBC制作の「アンという名の少女」
今まで見てきたどの「赤毛のアン」よりアンにぴったりの子が演じていて
アボンリーの世界もグリーンゲイブルスも何もかも今まで見た中で一番で、
これを見るだけで幸せになるドラマでした。

うちにはテレビがないので、放映の時に母に録画してもらって
たまに母の家に行った時に1話ずつみているのだけど、もったいなくて一気に見れない。
第3シーズンまであるけど、1、2ヶ月に1話ずつ、大事にちびちび見ているほどです。
DVD買おうかな・・・笑

昨日「赤毛のアン」の世界に潜む自由の余地について書いたけど
「赤毛のアン」シリーズを今読むと、ポリコレ的にダメなところがないとは言えない。
1880年頃のカナダの中心から離れた島でのお話ですから当時の価値観なのか、
「ヤンキー」(アメリカ人)は信用ならないと登場人物にしばしば言わせてるし、
フランス人の雇人に対しても結構冷たい見下した描写があったりで、
人種差別的なところがたまにある。
あとは人を悪くいう時によく「あれは〜〜家の者だからね」という言い方を登場人物にさせています。
血のつながりを最重要視していないからこその物語なのに
「家」意識のような偏見が、全くないとは言えないのかもしれません。
でも、女性差別に対しては、140年前とは思えないほど健闘していると思う。
女が大学などに行ってどうするといく人かの人たちに言われながらもアンは大学を卒業したし、
女性が学問や仕事に目標や野心を持って頑張ることを大変素晴らしいこととして書いている。
そもそも主人公のアン自身が、保守的な村の人は驚いたり顔を顰めたりするような
好奇心と向学心と生き生きとした自由さを持つ型破りな女の子なのだから、
女性の人権に対してこの時代としては随分新しく自由なのは当然なのかも。
そういえば、女性参政権に関しても登場人物にいろんな意見は言わせてるものの
作家自身は肯定的に捉えていたように思う。

読んでいて、この時代の価値観に対してポリコレ的にヒヤッとするところはたまにあるし
人種差別的な描写にたまにチクッと心を刺される気持ちがしても
やっぱりこの本を愛さずにはいられないのは、
時代的背景やその影響によるそういう部分を差し引くと
結局、自由で明るく公平で寛容で善良な人々を描いていることに違いないからですね。
その自由には普遍があると思うし、これからも読まれていく本だろうと思う。