散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記180318日(FB投稿 中央図書館 天満橋で読書)

2018年03月19日 21時41分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 18.2  5.5℃  曇一時晴
この日は、プチ断食を実行し、午前、午後の食事を抜き水だけ飲んだ。
午前中から午後にかけて、ブログを書いたり、FBを閲覧したり書き込みをした。
午後になって、リュックを担いで中央図書館に行き、図書を返却した。
本以外にタブレット端末を入れていたので、3―4kg程度の荷物になっていると思った。
その後、公衆WiFiが使えるか図書館の部屋でテストし、初めて公衆Wi-Fiに接続できた。
今まで、何度もタブレットを、図書館の公衆WiFiの接続に挑戦したが、やっと成功し嬉しかった。
帰りに、運動を兼ねて淀屋橋から天満橋まで往復で歩いた。
天満橋では、ファストフードで読書したが、途中何度か居眠りした。
前日の疲れが出たようだ。
帰りは、地元の地下鉄で降りる予定が、誤って一つ手前の駅で降りた。
最近歩くために一つ手前の駅で降りることが多く、癖になっているのかもしれない。
一つ前の駅から自宅まで2.5km以上あり、この日は前日の歩行の影響もあり、足にかなりの疲れを感じたので、プラットホームで自宅に近い駅まで行くか迷ったが、そのまま改札を出て自宅まで歩いた。
歩いていてもかなり疲れを感じていて、帰宅するとしばらく座り込んだ。
今日は心配したが、疲労感ほとんど無かった。
体力がついているようだ。
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村ぶろ散歩者アーカイブ 「散歩道1」

2018年03月19日 20時35分45秒 | 村ぶろ散歩者アーカイブ
「村ぶろ」http://www.murablo.jp/が今年5月末に閉鎖されることに伴い、今まで村ブロに投稿していたブログを一括ダウンロードしました。
「村ブロは」今も運営されていて、新規登録は出来ませんが、和歌山県東牟婁郡北山村(特産品じゃばらや熊野川の川下りで有名)の様々な情報や、個人の書き込みが更新されています。
今後、昨日記その他と並行して、このサイトにて、村ブロに投稿したブログを投稿していきます。

最初は「村ぶろ」への投稿は「散歩道」というタイトルで始めました。
ブログは、当時話題になっていたので、何かの役に立つかもしれないと思い始めました。
「村ぶろ」は朝日新聞の紹介記事で、実在の村が運営していて、無料ということで申し込みました。
ブログを立ち上げるまで、様々な設定の為試行錯誤し、何日もかかったような記憶があります。
文章を日常的に書いたことがなく、(仕事で取扱説明書やサービスマニアルはよく書いた)PCもタイピングは初心者で、初めはひらがな打ちで打っていて、確か400字程度打つのに、2時間ぐらいかかっていたように思っています。
以下当時のブログをそのまま掲載し、コメントも掲載しています。
今後も、適当に投稿しますが、コメントやブログ内容をカットする場合もあります。

2007年08月28日 22時19分
散歩道 1
テーマ:ブログ
はじめまして。散歩道 の タダオです。
大阪市内の古い長屋の一人住まい。生まれて以来同じ場所で生活しています。

クーラーの無い今年の夏は暑い。ここ数日室温は34度から下がらない。
今日も暑くて4時ごろ目が醒めた。朝から体に纏わり付くような蒸し暑さである。 ほぼ無風でたまに表から裏方向に
風が吹くとき台所の冷蔵庫の熱が加わって室内の気温が下がらないようだ。無論扇風機は24時間回りっぱなしである。 例年地蔵盆のころになると、朝晩涼しくなる。 今年は本当に暑い。

ところで地蔵盆というと大阪市内には昔から地蔵様が各路地に祀られていて、地蔵盆が盛んであった。
私が幼い頃、地蔵盆になると地蔵様の前にテントを貼り台を作りお供え物を山のように飾り(終了後子供に配られる。)、子供の名前を書いた提灯をテントの下に吊り下げ夜になると灯をいれる。各家の玄関先には四角い箱型の行灯が取り付けられ行灯には和紙に様々な絵が描かれていて、夜にはローソクで灯をともす。うちの町内にプロの絵描きが住んでいたので箱行灯が美しいのが自慢だった。子供は夕方になると浴衣に着替える。夕方には近所のおばあちゃん達が集まりご詠歌をとなえる。 子供たちは「アーアーチン」とはやし怒られていた。 夜になると、町内ののど自慢が酒を飲み江州音頭をうなり盆踊りが始まる。 「あー、皆様たのみます。」「あーさてはこの場の皆様よー」  「それからどした」 「・・・そらーよいとよいよまっかどっこいさのせー」といった音頭とりと踊り子が延々と本題+アドリブと掛け合いをしながらながら盛り上がる。(大阪市内の盆踊りは江州音頭が中心であった。船場の商人に近江出身の近江商人が多かった為ともいわれている。 河内音頭は当時新興のラジオ大阪が鉄砲節を取り上げた影響で広まった可能性がある。)  各路地こうした踊りの輪が出来、大きささや華やかさを競い合った。子供達もよその町内の踊りを偵察に行ったりして楽しんだ。  昭和復興期から高度成長期の懐かしい思い出である。
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ハイジ (2007年10月25日 14時24分)
はじめまして♪こんにちは^^
足あとたどってここまで来ました。
生まれたときからずっとクーラーのない家の住人です。
ようやくの本格的な秋に、ほーーーっとしています。

お地蔵さんのお祭り、この辺でも子供がいないどころか
お世話する方々も高齢となり、年ごとに寂れていくような感覚に胸がいたみます。
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ただお (2007年10月25日 21時44分)
ハイジさんコメントありがとうございます。 うちの長屋の周辺は新しい家に建て替えられ、新住民のお子さんが何人かいます。
昔と違い、ほとんど交流はありません。
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