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散歩者goo 

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昨日記160517火 (ナレッジキャピタル講座・宮川香山)

2016年05月19日 17時24分26秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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この日は夜から、グランフロント大阪北館のナレッジキャピタル・超学校シリーズのセミナー東洋陶磁の魅力「宮川香山展の舞台裏:工芸をめぐる視点のひろがり」に参加した。
講師は宮川智美(大阪市立東洋陶磁美術館学芸員)だった。
今回も宮川香山の略歴の紹介とその当時の時代背景についての話があった。
明治政府主導で、万博参加を行い、日本の美術工芸の紹介と技術指導(図案等)も行ったらしく、政府作成の図案帳も万博出品作家に自由に貸し出されたという。
香山の作品の多くが海外に輸出され、日本には余り残っていないという。
更に作品の制作には、超絶技巧を使っているので、制作点数は少ないようだ。
初代宮川香山は大正5年(1916年)に亡くなるが、その後の民芸運動の影響等で技巧的な作品の評価が低下し、注目されなくなったという。
今回まで、何度か宮川香山の講義を受けて、彼の作品と生涯と時代背景とその評価の移り変わりが見えてきた。
これから実物を見るのが楽しみだ。

昨日記160510の末尾にも触れたが、ヨーロッパのアールヌーボーでは、ガレやクリムトやミュシャ等多くの美術工芸建築家デザイナー等が影響を受けていて、芸術運動の流れの一つでもあった。
当然、彼らは美術史の中の自分の立ち位置を考えた結果、芸術運動の流れになったのだろう。
翻って、宮川香山は中国陶芸や西洋陶芸欧米の顧客の動向を意識していたといわれる。
しかし、その意識の中に欧米の作家と同じ、美術史の中に立脚した芸術運動的意識=表現者としての作家としての表現方法の問題を理解していたのだろうか、それとも単なる職人的な技巧や手法の開発みの職人芸にこだわっていたのか、気になるところである。
このことを、質問したが、今のところそこまで研究は進んでいないとのことだった。
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