散歩者goo 

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昨日記160505木 (奈良国立博物館 信貴山縁起絵巻)

2016年05月08日 22時44分56秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =25.2  18.2
この日は昼食を早く済ませて、奈良国立博物館に行った。
2時過ぎに近鉄奈良駅に着いた。
GW最終日なので、大変な混雑を予想していたが、電車も座って行けたし乗客もドア付近に立っている程度で、さすがに座席の空席はなかったが空いていた。

博物館への途中、奈良公園には多くの観光客が列をなして歩いていた。
奈良駅近くでは、牡鹿が外人観光客に取り囲まれていた。
その後も、公園内で外人観光客が鹿を取り囲んでいる場面をいくつも見た。
日本人は子供が鹿を追い回したり、鹿にせんべいをやったりしている場面が多かった。

博物館に着くとすぐに入れたが、行列ができていた。
入場前に、プラカードを持った人がいて、プラカードには10分待ちとあったが、すぐ入れたので間違ったことを言っているなと思ったら、館内での行列が10分待ちだった。
館内は薄暗く、絵巻物を真近で直接見ようとすると列に並ぶしかないのだ。

絵巻物は、非常に細い線で描かれていて、人物描写は素晴らしかった。
カタログは欲しかったが、今は直接見ることが出来ただけでもよしとせねばなるまい。

歴史的な背景をいろいろ読んだり調べたりすると、後白河法皇の影響が気になった。
後白河法皇(1127-1192年)は、平安時代末の平家の時代から鎌倉時代を生きた人で、大河ドラマの平家物語でも中心人物の一人として登場している。
彼の事をウイキで調べると、元天皇でありながら、庶民の里にも出入りしたようで、当時の文化に大きな影響を及ぼしていることを知った。
この信貴山縁起絵巻も後白河法皇が絡んでいるのではないかという説が有力らしい。
『伴大納言絵巻』は、後白河法皇の命で作られたという。
『吉備大臣入唐絵巻』も後白河院の下で制作されたという。
『地獄草紙』や『鳥獣人物戯画』やその他多くの絵巻物が、院政時代から鎌倉時代にかけて完成している。
大和絵の事や絵巻物について深く調べたり考えたことはなかったが、平安末から鎌倉時代の動乱の時代に多くの文化が花開いていたらしいので、この時代に興味を覚えた。
その時代の中心人物の一人でもある後白河法皇は、仏教への信仰心が篤く、同時に非常に遊び好きで、なおかつ芸術にも造詣が深かく、素晴らしいパトロンだったのだろうし、同時に貴族社会を守るための策士だったのかもしれない。

今後その時代背景も調べたり考えたりしながら、日本画の流れを調べたり、鑑賞しなければならないと思った。
そうした意味でも、今回『信貴山縁起絵巻』が気付かせてくれたことは大きい。
恥ずかしながら、実は今までこうした絵巻物は、室町時代と思っていて、鎌倉時代や平安時代は仏教絵画が中心と信じていた。

博物館の帰りは、奈良公園を散策し、猿沢の池からを通り、奈良市内のファストフードで考古学関係の本を読んだ。

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