京大の山中伸弥・京都大教授のノーべル賞受賞でニュースは沸騰している。
当分ノーベル賞フィーバーが続くのだろう。
われわれ日本国民にとって、皆が喜べる嬉しい出来事に違いない。
私は、iPSを作ることに成功したという、最初のニュースに接したときの感動をよく覚えている。
しかも、そのときの報道の仕方が、事の重大さと比べて、取り扱いが余りにも小さいことに腹が立ち、ブログを書いたことを思い出す。
2007年11月20日にアサヒコムのニュースを見て、このニュースは数日後には大きく詳細も含め報道されるだろうと期待していた。
新聞なら、一面大見出しのニュースであるべきだと思っていた。
しかし、その後の翌日の報道は大きくならなかった。
そこで、報道の仕方がおかしいと思い、ニュースで指摘されていた意義を強調するブログを書いた。
そのときブログの下書きには、皮肉の意味をこめて、報道関係者は文科系が多いので、科学技術の評価や価値判断が正当にできないのではないかといった意味の一文も入れようと思っていたが、差しさわりがあるので、その一文は入れなかった。
そのブログには、業績の価値を強調するため、歴史的ニュースという言葉を使った。
(村ぶろ 「散歩者」ブログ2007年11月22日ブログ「不治の病に光」http://blog.murablo.jp/sksya/date/2007-11-22.html)
その後ips細胞のニュースは大きく取り上げられるようになり、よかったと思った。
当然の話だが、発信力ゼロの私のブログと、報道で大きく取り上げられるようになった事とは無関係であることは言うまでもないが、多少なりともニュースに対する私の嗅覚が正しかったことが嬉しかった。
その当時から、この業績は当然ノーベル賞クラスの評価をされると思っていたが、本当になって嬉しい。
当分ノーベル賞フィーバーが続くのだろう。
われわれ日本国民にとって、皆が喜べる嬉しい出来事に違いない。
私は、iPSを作ることに成功したという、最初のニュースに接したときの感動をよく覚えている。
しかも、そのときの報道の仕方が、事の重大さと比べて、取り扱いが余りにも小さいことに腹が立ち、ブログを書いたことを思い出す。
2007年11月20日にアサヒコムのニュースを見て、このニュースは数日後には大きく詳細も含め報道されるだろうと期待していた。
新聞なら、一面大見出しのニュースであるべきだと思っていた。
しかし、その後の翌日の報道は大きくならなかった。
そこで、報道の仕方がおかしいと思い、ニュースで指摘されていた意義を強調するブログを書いた。
そのときブログの下書きには、皮肉の意味をこめて、報道関係者は文科系が多いので、科学技術の評価や価値判断が正当にできないのではないかといった意味の一文も入れようと思っていたが、差しさわりがあるので、その一文は入れなかった。
そのブログには、業績の価値を強調するため、歴史的ニュースという言葉を使った。
(村ぶろ 「散歩者」ブログ2007年11月22日ブログ「不治の病に光」http://blog.murablo.jp/sksya/date/2007-11-22.html)
その後ips細胞のニュースは大きく取り上げられるようになり、よかったと思った。
当然の話だが、発信力ゼロの私のブログと、報道で大きく取り上げられるようになった事とは無関係であることは言うまでもないが、多少なりともニュースに対する私の嗅覚が正しかったことが嬉しかった。
その当時から、この業績は当然ノーベル賞クラスの評価をされると思っていたが、本当になって嬉しい。