昨日記 121004木 (25/21曇 運動を始めるきっかけ)
昨日は別に疲れているわけではないが、筋肉疲労を考えて、ジムやプールに行かないことにした。
夏が終わって先週ジムに行って、軽い運動をしただけで、軽い筋肉痛を2日間起こした。
加齢の関係もあるので、60代後半の体は、いくら元気でも疲労蓄積による筋肉疲労を放置すると、慢性疲労になり、筋肉が硬くなり、無理に使用すると筋肉の部分断裂や断裂につながりやすい。
このように私が、筋肉疲労やケガを気にするのには、わけがある。
50代の終わりごろ、近くの公園で自己流でトレーニングをしていた。
その多くの時間を、公園のマラソンコースを走るランニングにあてていた。
ランニングは、2kmから4km程度だった。
それは、当時の私にとっては長距離だったが、瞬発力が衰えていると考え、50m近い直線距離を思い切りダッシュするトレーニングを加えた。
ダッシュの記録も予想通り徐々に向上しだした。
全体にランニングや短距離の自己記録が向上するのに自信を付け、無理をするようになった。
多少の筋肉痛が残っていても走った。
今考えればオーバーワークの状態だった。
オーバーワークの状態でトレーニングすると、筋肉に悪影響があるかもしれないことに気づかなかった。
ある寒い冬の日、いつも通りダッシュで走った。
走っている途中で左足のふくらはぎに強烈な痛みを感じ、走れなくなりその場にしゃがみこんだ。
しばらく休むと、少し痛みは引いたので、軽いランニングならいいだろうと自己判断し1km程走ったが、痛くてそれ以上走るのをやめた。
帰り道は、歩くのさえ足を引きずって歩いた。
数日後も、走ろうとして軽く走ったが、ふくらはぎが痛くて走れなかった。
結局、しばらくの間歩くのにも足を引きずるようになった。
一時は、小児麻痺の後遺症のPPSかとも心配した。
痛みが取れるのに6ヶ月近くかかった。
筋肉痛を起こした左足のふくらはぎの形が変形していて、一部がへこんでいた。
当時それが何か分からなかった。
時がたつにつれ、スポーツ選手たちの話を聞くと、どうやら筋肉の断裂(肉離れ)らしいことに気づいた。
断裂した筋肉は元に戻らない。
その代わり他の筋肉が強化され、代役をしてくれる。
その後足の痛みを感じながら、その原因を考えた。
その結果、真冬にウォーミングアップもなくダッシュしたのが原因ではないかと思っている。
当時記録も向上し、脚力も付いてきた。
だがその当時、筋肉疲労に対する休養や疲労回復・再生の手当てはほとんどしなかった。
そして10度以下の低い外気温にもかかわらずウオーミングアップやストレッチもしない足は冷え、ダッシュをしたが、開始当時の足の血流は非常に悪かったと思われる。
そのようなことを考えれば、起きるべくして起きた怪我といえる。
結果的には、半年間走ることは出来なかったし、歩くことすら支障が出た。
そして、解決策としてジム通いを考えるようになった。
実は、ジム通いの原因となる運動を始めるきっかけがあった。
50代の頃、歩くのが他人と比べ遅くなっていることに気づき、衝撃を受け常にそれを意識するようになった。
このまま歩くのが遅くなるのに比例して、周囲にいるお年寄りと同じように、すべての動作が緩慢になるのではないかという強い不安に駆らるようになった。
そうした将来に対する現実的な強い危機感に加え、、以前勤めていた会社の教養講座でランニングの効用についての話があり、誰でもどこでも出来て健康に非常に効果があるという話が頭の片隅に残っていたことが、とにかく出来ることからやって、今進行している足が遅くなるような運動機能の低下を防がなければ今後大変なことになるという、あせりや強迫的な動機に結びつき、そのことがランニングを始めるきっかけとなった。
しかし、上記のように我流で調子に乗ってやりすぎ、失敗してしまったのだ。
そのことに懲りて、ジムでトレーニングする道を選んだ。
だが、収入のが少ない私にとって、有料のジムは大きな負担であったが、このまま足が治らなかったら今後の人生にも影響するので、お金には代えられないという判断だった。
そして、ジムで科学的にトレーニングすることで、自分の身体の力を客観的に捉えることが出来健康増進にもつながると考えた。
現在の状態を見る限り、ジムやプールによる運動は予想をはるかに超える成果を挙げていて、どれだけ恩恵を受けているか分からないし、お金には換算できない。
そうした事実を見る限り、当時のジムに通う決断は正しかった。
(ジムには、30代の頃京橋のスポーツセンターに不定期に通っていたことがあったし、アメリカでも英語学校の入っている大学のジムに行ったり、グランドを走ったりしていたので、運動の効用は肌で感じていて、ジム通いそのものには抵抗はなかった。)
昨日はジムに行かない分、カフェで本を長い時間読んだ。
昨日は別に疲れているわけではないが、筋肉疲労を考えて、ジムやプールに行かないことにした。
夏が終わって先週ジムに行って、軽い運動をしただけで、軽い筋肉痛を2日間起こした。
加齢の関係もあるので、60代後半の体は、いくら元気でも疲労蓄積による筋肉疲労を放置すると、慢性疲労になり、筋肉が硬くなり、無理に使用すると筋肉の部分断裂や断裂につながりやすい。
このように私が、筋肉疲労やケガを気にするのには、わけがある。
50代の終わりごろ、近くの公園で自己流でトレーニングをしていた。
その多くの時間を、公園のマラソンコースを走るランニングにあてていた。
ランニングは、2kmから4km程度だった。
それは、当時の私にとっては長距離だったが、瞬発力が衰えていると考え、50m近い直線距離を思い切りダッシュするトレーニングを加えた。
ダッシュの記録も予想通り徐々に向上しだした。
全体にランニングや短距離の自己記録が向上するのに自信を付け、無理をするようになった。
多少の筋肉痛が残っていても走った。
今考えればオーバーワークの状態だった。
オーバーワークの状態でトレーニングすると、筋肉に悪影響があるかもしれないことに気づかなかった。
ある寒い冬の日、いつも通りダッシュで走った。
走っている途中で左足のふくらはぎに強烈な痛みを感じ、走れなくなりその場にしゃがみこんだ。
しばらく休むと、少し痛みは引いたので、軽いランニングならいいだろうと自己判断し1km程走ったが、痛くてそれ以上走るのをやめた。
帰り道は、歩くのさえ足を引きずって歩いた。
数日後も、走ろうとして軽く走ったが、ふくらはぎが痛くて走れなかった。
結局、しばらくの間歩くのにも足を引きずるようになった。
一時は、小児麻痺の後遺症のPPSかとも心配した。
痛みが取れるのに6ヶ月近くかかった。
筋肉痛を起こした左足のふくらはぎの形が変形していて、一部がへこんでいた。
当時それが何か分からなかった。
時がたつにつれ、スポーツ選手たちの話を聞くと、どうやら筋肉の断裂(肉離れ)らしいことに気づいた。
断裂した筋肉は元に戻らない。
その代わり他の筋肉が強化され、代役をしてくれる。
その後足の痛みを感じながら、その原因を考えた。
その結果、真冬にウォーミングアップもなくダッシュしたのが原因ではないかと思っている。
当時記録も向上し、脚力も付いてきた。
だがその当時、筋肉疲労に対する休養や疲労回復・再生の手当てはほとんどしなかった。
そして10度以下の低い外気温にもかかわらずウオーミングアップやストレッチもしない足は冷え、ダッシュをしたが、開始当時の足の血流は非常に悪かったと思われる。
そのようなことを考えれば、起きるべくして起きた怪我といえる。
結果的には、半年間走ることは出来なかったし、歩くことすら支障が出た。
そして、解決策としてジム通いを考えるようになった。
実は、ジム通いの原因となる運動を始めるきっかけがあった。
50代の頃、歩くのが他人と比べ遅くなっていることに気づき、衝撃を受け常にそれを意識するようになった。
このまま歩くのが遅くなるのに比例して、周囲にいるお年寄りと同じように、すべての動作が緩慢になるのではないかという強い不安に駆らるようになった。
そうした将来に対する現実的な強い危機感に加え、、以前勤めていた会社の教養講座でランニングの効用についての話があり、誰でもどこでも出来て健康に非常に効果があるという話が頭の片隅に残っていたことが、とにかく出来ることからやって、今進行している足が遅くなるような運動機能の低下を防がなければ今後大変なことになるという、あせりや強迫的な動機に結びつき、そのことがランニングを始めるきっかけとなった。
しかし、上記のように我流で調子に乗ってやりすぎ、失敗してしまったのだ。
そのことに懲りて、ジムでトレーニングする道を選んだ。
だが、収入のが少ない私にとって、有料のジムは大きな負担であったが、このまま足が治らなかったら今後の人生にも影響するので、お金には代えられないという判断だった。
そして、ジムで科学的にトレーニングすることで、自分の身体の力を客観的に捉えることが出来健康増進にもつながると考えた。
現在の状態を見る限り、ジムやプールによる運動は予想をはるかに超える成果を挙げていて、どれだけ恩恵を受けているか分からないし、お金には換算できない。
そうした事実を見る限り、当時のジムに通う決断は正しかった。
(ジムには、30代の頃京橋のスポーツセンターに不定期に通っていたことがあったし、アメリカでも英語学校の入っている大学のジムに行ったり、グランドを走ったりしていたので、運動の効用は肌で感じていて、ジム通いそのものには抵抗はなかった。)
昨日はジムに行かない分、カフェで本を長い時間読んだ。