教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

道徳教育用教材『私たちの道徳』の発表に際して

2014年02月15日 11時30分09秒 | 教育研究メモ

 2月14日、文部科学省から道徳教育用教材『私たちの道徳』が発表されました。小学校1・2年用、3・4年用、5・6年用、中学校用の4種類が全部公開されました。

 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/02/1344132.htm

 ざっと目を通したところでの感想。「これを読ませたい、考えさせたい」という編集者の意図はわからないでもない。また、書き込むところもあって(『心のノート』でもそうだが)、子どもたちに考えさせたいという意図もわかる。しかし、これで道徳の授業がしやすくなるか、というと難しいところです。この教材集があれば道徳の授業ができると思っていると、「読む」→「書く」で終わりになりそうです。

 私事になりますが、先日まで道徳教育のレポートをチェックしていました。レポートには2種類あって、「道徳教育とは何か」について聞く2000字のレポートと、道徳の時間の指導案です。
 今年から、前者のレポートの出し方を少し工夫して、学生が入学する前に道徳教育をどんなものとして考えていたかについて一言書き込む機会を設けました。そこで興味深かったのは、道徳の時間についての小中高生時代の認識でした。たとえば、「国語のようなものだと思っていた」「書く活動がたくさんあったが、面白くなかったので適当に書いて終わりにしていた」など。
 そして指導案を見ると、授業で教えたモラルジレンマ授業を目指してしっかり計画しているものもある一方、ほとんど国語の授業かと思うようなテキストの読み解きに終始する指導案も少なくありませんでした。おそらく、学生自身が受けてきた「道徳の時間」の経験がそのまま反映されているのでしょう。テキストの読み解きは必要ですし、国語の授業のなかで道徳教育を行うことも大事です。しかし、それで終わるのならば、道徳の時間ではなく国語科の時間でやった方が教育目標の達成上いいに決まっています。また、書いて終わりという指導案も多かったです。オープンエンドはよいのですが、単にテキストを読ませて感想を書かせて終わり、というのはオープンエンドではありません。感想を書かせるにしても、書かせるまでの思考活動をいかに活性化するかが重要なのです。
 レポートのコメントを書き込みながら、私の授業改善の余地はまだまだあるなと反省しました。

 現代の小中高校で先進的な道徳の時間の授業を行っているところはたくさんあると思います。しかし、国語科の授業と異ならないような道徳の時間、テキストを読ませて書かせて終わり、または教師の思いの押しつけに終始する時間もたくさんあるようです。大学の教員養成課程の道徳教育担当者は、この現実をしっかり受け止め、さらなる授業改善に努めていく必要がありますね。
 このような現状があるとすれば、『私たちの道徳』をどのように受け止めればよいか。編集関係者には申し訳ないですが、以上のような問題含みの現実を助長するような可能性を秘めているように思います。元々の編集主旨は道徳教育の充実ですので、そんな現状を助長しては本末転倒です。

 現場の教師には、『私たちの道徳』で授業をするのではなく、『私たちの道徳』を活用して授業をするように心がけてほしいです。沢柳政太郎の言葉を借りれば、「教科書に使役されて、教科書を授けるための教師となってはいかぬ」です。『私たちの道徳』に使われるのではなく、使いこなしていただきたい。そのためには徹底的な教材研究が必要です。担当している子どもたちの抱える道徳的問題を深く確かに把握し、それに応じて授業形態・展開や追加教材を開発する必要があります。
 『私たちの道徳』の公表に際し、道徳教育の教材研究を刺激するように持って行きたいと思った次第です。 

コメント (1)
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