教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

目が痛い

2005年10月14日 23時55分55秒 | Weblog
 目が充血してかるく痛い、というのが今日の感想。
 ここのところ無呼吸の症状がひどいのか、寝起きが非常に悪かったのですが、担当医に相談したところ固定式のCPAP療法からオートCPAP療法に移行。というより、数ヶ月ぶりにこの療法に再び戻りました。昨晩から今朝にかけてちゃんと使って寝たところ、快眠、寝起きもしっかりしてました。ただ、治療の効果かどうかは明確でない。最近、肥満を解消するために寝起きの散歩をしていたので、少しやせたから睡眠も改善されたのかもしれない。まあ、なんだってやって越したことはないので、どうでもいいのですが。
 雨が降っていたので今日は朝の散歩は中止。寝起きが快調だったので、早朝から登校。昨日読みかじった柏木敦論文をしっかり線を引きながら読みこむ。読み終わったので、図書館へ行って『帝国教育』を借り出し、年表作成(昭和3年分)。来月末にまた学会発表なので、11月始めまでには年表を完成させないといけないのだ。昭和3(1928)年は、沢柳政太郎会長の逝去を受けた林博太郎新会長の就任の年。明確に会の性格が変化しているのがわかって、非常に興味深い。どうやら会長が交代すると、会の事業がだいぶ変化し、ひいては性格も変わるらしい。『帝国教育会五十年史』や『帝国教育』復刻版の解説を読んで、知識としては知っていたし、辻会長から沢柳会長への交代にともなう変化はすでに実感していたが、沢柳会長から林会長への交代にともなう明確な変化はそれを超えているような気がする。今まで昭和期の教育会に関する研究論文を読んで、自分の知っている教育会像とズレを感じていたものが、ここに現れているのかもしれない。
 ともかく、一日年表一年分というノルマは達成したので、先日からの続きである教育史学会発表テーマに関する研究。ちょっと気になっていたけどやってなかった別方面からの勉強をしてみる。自分がやっているのは中央のことだからってチラ見しただけで放っていた、地方教育行政の勉強。神田修『明治憲法下の教育行政の研究』(福村出版、1970年)をちゃんと読む。教育会に関する部分は実証性には欠ける(と思う)が、さすが違った視点からのアイデアがつまっていた。
 痛い目に目薬を点しながら「はじめに」を書き直す。おもしろくなりつつあるようだが、まとまらない。さすがに13時間ちかく勉強しっぱなしだと、頭がクリアではなくなるようだ。また明日にしよう。
 …って、日付変わってるって!(2005-10-15 01:23:16)
コメント
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