老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

4年目に向けて

2018年10月28日 20時29分54秒 | 全般
(今日2本目の書き込みですが、これはこのブログ4年目の最初の書き込みにもなります)

 このブログも丸3年が経過し、4年目に入りました。
海援隊の歌だったと思いますが、“思えば遠くに来たもんだ…”という歌詞がありました。
最初は“果してどれ位続けられるか?”という不安で一杯でしたが、“まあ、とに角始めてみようと”いう気持で始めたものが何とか3年も続きました。

 このブログに目を通して下さる方も少しずつ増えていて、それが大きな励みにもなりますが、何しろ原発や現在の政治の在り方等、どうしても書き込まずにおられない状態が平然と続いていることに対する反発がこのブログ継続の大きな要因でしょう。

 そう考えれば、安倍首相に代表される滅茶苦茶な政治は、私だけでなく多くの人にわざと反発感を与えるという点で、元気に生きるためのサプリメント的な有難い反面教師なのかも知れませんね。


 それは兎も角、加齢と共に1年の経過が早く、周りの環境変化も激しくなってきているのを身近に感じるようになりました。
親しかった知人が亡くなったり、或いは自由に外出できない状態になったりして、今まで通りに付き合える知人が段々と少なくなってくるのは寂しい限りです。

 かくいう私も、ツレアイが2年ほど前に初期のアルツハイマーとの診断を受けましたし、私自身も今年春に右膝の半月板を傷めたり白内障の手術を受けたりと、約半年ほどは好きなテニスもできませんでしたが、スポーツジムで足腰の運動を休まなかったおかげか、まだ軽い動きしか出来ませんが漸くテニスにも復帰できるようになりました。

 さて、ツレアイのアルツハイマーですが、この病気は今の所状況を少し緩和する薬はあるものの、症状を改善する薬は出現していません。
少しでも生活に刺激を与えて状況緩和できればと、寺院を主にあちこちと連れ出したりしていますが、やはり病気は進行しつつあり、それと共に私が担当すべき家事の範囲は徐々に増えたり、一人でほっておけなくなり私の行動範囲の制限もできてきました。

 当初は戸惑いもありましたし、ツレアイに少しでも今まで通りの生活を期待して、きつい言葉も出ることが多かったと思いますが、漸く私の方もツレアイの現状を受け入れて向き合う気持が出てきました。

 二人の間には子供もおらず、文字通り老々介護の世界になり不安も一杯ですが、周囲にはこのような家庭環境の人も多く、余り負担に感じないように対応して行く以外にないでしょう。
逆に、ツレアイも今までジムでの運動を続けてきたお陰で、まだ足腰は問題ありませんし、何よりも二人揃って出歩けるだけでも大きな幸せだと思っています。


 そのためにも、私のストレス発散の大事な一要素であるこのブログを何とか続けたいと思っていますので、ブログの対象となる、安倍首相や閣僚・官僚の皆さまの、引き続きの醜態を期待しております。


 話は変わりますが、如何に書き込みたい案件が多くても、ブログを毎日書き込むのは歳老いた身では大変な労力を要します。
通常は、夕食後にウィスキーの水割りを横に置いて気の向くままに下書きし、翌日以降の昼間などに推敲と言えば格好良いのですが、見直すか一部手直ししてアップするという手順の繰り返しです。


 ところで、先日の毎日新聞で(確か23日夕刊の“ワイド”というコラムだったと思います)総合デジタル取材センターの小国さんの面白い記事を目にしました。

 同氏も、記事の書き込みに苦労されているが、お酒が好きな方のように見受けられ、“書く時は飲んで書き、校正は素面(しらふ)で行え”(Write Drunk, Edit Sober)と言う事を書いておられました。

 ミシシッピ州立大学案度の研究では、“酔えば集中力は低下するが、創造的問題解決にはプラスに働く。一つの考えに固執しないなどひらめきが生まれやすくなるのでは…”という説が出てきたようです。

 私自身も、少し酔った状態での書き込みが多いので、ほろ酔いで書いた文(特に原発や政治に関する文)には、余りにも情緒に流された支離滅裂な内容や、攻撃的な内容の文章も多いのは事実で、やはり素面になった状態での見直しが必要なことは再三にわたり経験しています。

 アルコール好きな執筆者の助言を大事にして、出来るだけ冷静な書き込みを続けて行きたいと思いますので、今後とも何分のお付き合いとご指導をお願い致します。(まさ)

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