四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

「至誠如神」=誠意を尽くせば、その姿は神様のよう!儒教の言葉らしいが工藤日出夫も「かくありたい」

2021-09-26 10:31:48 | 日記

●今朝は朝ラジオ体操の後ウォーキング。もう汗ばむこともなく、すっかり秋の気配濃厚です。息子が2回目のワクチン接種。熱はなさそうですが、左腕が痛く上がらないと…副反応のようです。これでわが家は全員ワクチン2回接種となりました。今週28日が議会の最終日、そのため24日に議会運営委員会と全員協議会を開催しました。議員提出議案(意見書)が2件と閉会中の継続審査の申入れが2件ありました。閉会後は令和2年度の決算審査が行われます。10月に3常任委員会がそれぞれ2日(2回)行われます。市民から日程変更でご意見いただきましたが、議会は、一般質問は中止しましたが、法令に従い適正に機能にしています。

●昨日FBに投稿しましたが、毎日新聞埼玉版に「渋沢栄一を歩く」という特集。富岡製糸場の初代場長であった尾高惇忠の所長室に「至誠如神」(揮毫:藍香逸人)という額があった。揮毫者の藍香逸人は尾高氏の雅号であるから本人が書いたもののようだ。「至誠如神(至誠神の如し)」とは、儒教の経典の一つ「中庸」の中の言葉で、「たとえ才能が劣っていたとしても、誠意を尽くせば、その姿は神様のようなものだ」という意味とか。尾高は、この理念を肝に銘じて初代場長を受け、経営にあたったと思われると解説されていました。

●尾高氏は、長女の勇を率先して富岡製糸場に入所させ、工女募集にまつわるデマを打ち消したと。当時富岡製糸場で働く女工は400人を超えこの工場では、単に高品質の生糸を生産するだけでなく、製糸技術を習得し、故郷の製糸事業の振興の人材育成や、女性の教育レベルも向上させた。日本が近代国家として立ちゆくために柴沢栄一と代事業を背負った」と。「至誠如神(至誠神の如し)」。今日は朝から新聞で勉強させてもらいました。かくありたい・・・と私も思うが先は遠い。

●この世界(市議会議員)も18年が過ぎ、その間石津賢治氏、現王園孝昭氏、三宮幸雄氏の三人の市長と対峙してきました。この中で一番「骨」があったのは石津賢治市長、「骨」がなくこんにゃく(こんにゃくに失礼)のようなつかみどころがなかったのが現王園孝昭市長。良く竹下登氏を「言語明瞭意味不明」と言ったが現王園市長は「言語不明瞭意味不明」の答弁が多かったですね。そして三宮幸雄市長ですが、「朝令暮改の変幻自在」で本領発揮。元々議員時代から私は「別人28号」と密かに言っていました。言うことがくるくると変わります。良く「三宮さん、明日も同じ考えなら進めよう」と。鉄人28号をもじって「別人」28号と。

●「至誠如神」。この理念、私も不足していますが、今となってはこの3人の市長にもなかったなー。「誠意」を誰に尽くす(至誠)のかですよね。政治家ならだれでもない、国家国民市民ですかね。今自民党総裁選が行われています。候補者の3年で誰が「至誠如神」を貫けるか。少なくとも安倍さんと菅さんからは見えなかった。工藤日出夫も三宮幸雄も…反省

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