四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

3.11から10年。イノベーションできず、民主主義の後退に人生の週末を迎えつつあるなか心配だけが・・・

2021-03-11 10:29:30 | 日記

●3.11から10年。テレビや新聞等メディアは一斉に3.11特集をしています。私的には術後10年です。当日のことは鮮明に記憶しています。議会中でした。古い庁舎でしたので振れは大きかった。中断して控室のテレビに映し出された光景は目を疑うような状況でした。私は大きな津波が来るのではと直感的に思いました。議員控室前の廊下の壁がはがれ、裏階段から駐車場へ逃げたが、古い庁舎はぐらぐら揺れていました。揺れは終わり、議会は延会になり家に戻りました。幸い大きな被害がないことを確認し、市役所に戻り残務を整理した後自宅(マンション)に戻りました。

●マンション管理棟の集会場にたくさんの人が集まっていました。私は前年まで管理組合の副会長でした。現職の会長副会長は東京勤務。いわゆる帰宅困難者です。集会場に来た住民は、上階の人で相当の揺れ(激震)だったようで、帰るのが怖い、夫がいない等の理由で、集会場が避難所化していました。当時の管理組合ではこのような状況は想定しておらず、集会場を住民避難所にすることはできません。管理人も判断できない。切羽詰まった状況でした。住民の人たちに促され、前管理組合副理事長ということで「超法規的な判断・対応になりますが“臨時避難所”にします」と独断しました。

●そんなわけで自治会長と二人で、管理人室で一夜を明かしました。マンション前の旧中仙道は混雑、マンションは停電、エレベーターは停止、電話で家族の安否確認の問い合わせ殺到、その都度訪ねて対応、8階以上はエレベーターが停止しているので階段の上り下り、ポスティングで慣れているとはいえ10回以上となるとかなり堪えました。しかも術後3カ月、選挙に向けていい鍛錬になりました。あっという間の10年ですね。ありがたいことに、今も元気に政治(議会)活動しています。

●それにしても、日本のイノベーションは遅れています。私は3.11後、戦後の日本のイノベーションが起きるのではと期待しました。特に原発事故で大きな被害と犠牲を払っています。まさに先の戦争と同じような状況です。戦後新しい民主主義が生まれたように、脱原発、再生エネルギーによる社会経済のイノベーションが起き、地域主権の新秩序で地域循環型社会へと進むことを期待しましたが、今日のコロナウイルス感染症の対応を見ると、この10年の検証どころでなく、21世紀に向けた政治が未完成であることが鮮明になっています。いやむしろ、安倍・菅政権で民主主義による政治が後退しています。

●戦後の政治家に「国家像」を持っていたのは、吉田茂、池田勇人、田中角栄ぐらいで、その後の政治家は、その場その時の時代に適合したポピュリストのように私には感じられます。市政を見ても、初代の斎藤市長、二代目の大護市長には、市の未来像という哲学を持っていました。新井市長の3期目あたりからポピュリストになり、最近の2代には、明確な戦略が見えません。私が議員になった時は、市長は石津賢治氏。議会にも論客がいました。若い石津市長はむきになって論戦に挑んでいましたので、退屈することはありませんでした。最近は大変失礼ですが「退屈」です。議会は明日から一般質問です。自分は最終日です。白熱した議論を聴かせてください。

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