四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

いよいよ新年度スタート。戦後の民主主義を守るのが真の保守政治ではないかと、つらつら考える土日です。

2017-04-02 12:43:37 | 日記

●昨日から4月、新年度の始まりです。桜の開花も進み、まもなく入学式です。希望に満ちたスタートの月ですが、何ともいやな世相が続いています。21世紀は実に不確かな時代です。90年代に、東大の名誉教授で歴史学者の木村尚三郎氏は、ある雑誌の巻頭言で、「21世紀は“石が浮かんで木の葉が沈む”ようなこれまでの価値観や真理が大きく変わる」といわれ、今でも鮮烈に記憶しています。科学技術の発達だけでなく、人々の精神性も大きく変わり始め、特に日本固有の戦後の文化が崩れていくことは心配であります。国政は、隣国の挑発的な外交に条件反射するように、勇ましい戦時に戻るような言動に先行きに不安が残ります。

●そういう視点で政治を見ると、小さなテーマであるが深刻さはメガトン級の「森友学園問題」は、現在の保守政治のありようが凝縮されます。この問題が深刻なのは、「国有地の払い下げの不透明さ(値引きの疑惑)」とともに、「戦後一貫して教育現場で否定されてきた“教育勅語”」を、幼い子供に暗記させ、唱和される異様さに、保守?政治家が単純に賛意を示していることです。今朝の毎日新聞の「時代の風」に作家の中島京子さんが寄稿された「森友問題の本質=イデオロギー教育の危険=」の論考は一読の価値あります。

http://mainichi.jp/articles/20170402/ddm/002/070/056000c

若いころ勤めていた会社の支店長は、某大学(茗荷谷にあるT大)の空手部出身で、豪快な人でした。「押忍!」で始まり、酔いが回ると「クドウ、ニッポン男子は、一旦緩急あれば・・・」が口癖でした。これが教育勅語に書いてあると知ったのは、それからかなりの後のことで、教育(生涯教育・社会教育)に係ってからでした。国家に尽くす、愛国心、郷土愛、ふるさと愛という言葉がたくさんありますが、それは天皇のためでもなく、権力者のためでもなく、一人ひとりの自己実現を図るものであって、「国家主義的」なものではないはずです。

●戦後、数百万円人の尊い命の犠牲のもと、国民主権、人権、表現と結社の自由、戦争放棄・平和主義を進めてきました。日本の近代的保守とは、この戦後民主主義の原則を守ることであって、日本会議や安倍総裁を中心とした現在の自民党の主流派が訴える「国家主義的色彩の強い」政治を言うのではないと思っています。これこそ、共産党の革命を批判する以前の、「戦後の民主体制の革命」であって、国民を幸せにする「保守」ではないと思います。地方政治においても、いまだ戦前の古い政治感覚は残っていますが、政治は特別な人の利益のためにあるのでなく、普通に暮らす人々に「小さくともしっかりとした安心と希望」を与えることではないでしょうか。普通に暮らす市民の生活を守る(地域保守)ため、既得権の解放「しがらみ一層」で、市民生活保守主義に徹します。今年度の目標です。

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