ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

成功への大切な鍵は自信をもつこと。その鍵は準備すること。

2012年06月15日 | Weblog
成功への大切な鍵は自信をもつこと。その鍵は準備すること。

「ぼくの、わたしの、座右の銘」(勝負)より。

アーサー・アッシュ(1943~1993、テニス選手)が残した言葉だった。ここでのポイントは“勝てる!自分の力を信じるんだ”となっていた。何ごとも準備を大事にすることだった。

準備とは日々の努力の積み重ねでもあった。努力を続けられたことは勝負事では、大きな勇気にもつながるものだった。それが自信にもなってくる。

やはり何ごとも準備不足の場合は不安にもつながってくる。実に当たり前のことを言っているようだが、準備はどこまですれば十分だと言えないものだな。

またアーノルド・パーマー(ゴルフ選手)は、「勝つのは、たいがい、勝てると思っている人間だ」ともいう。つまり、練習や経験をを積んだからこそ、そう言えるのだろう。

おもしろがってやっているヤツにはかなわないんだよ。

2012年06月14日 | Weblog
「ぼくの、わたしの、座右の銘」(勝負)より。

もともとこれは子供向けの本だが、おじさんが読んでも結構参考になりそうなフレーズが多かった。はじめにの部分に「座右の銘」について書かれていた部分があったので、改めて簡単にまとめておきたい。

「座右」は座席の右ですぐそばの意味だった。また「銘」は金属や石に刻んで記すことで、つまり座右の銘とは、心にいつも留めておく言葉だった。言葉には力があるものも多いことに気づく。

さて、フレーズに挙げたのは、“やってくる勝負を楽しんでみせよう”という部分にあった青島幸男(タレント・放送作家・政治家1932~2006)の言葉だった。

楽しめれば苦労は苦労でなくなってしまうという意味らしい。実際、熱中できるものがあれば、努力も楽しめる。苦しんでやっているうちは、まだまだいい結果が期待できないのかも。

ついでながら、エジソンも「楽しみながら学ぶのがベスト」と言っていた。何でも面白いと思った分野に熱中するのがいいようだ。目指したいものだな。


お金を払って料理を食べる場所である以上、ラーメン屋も高級レストランも関係ない。

2012年06月13日 | Weblog
お金を払って料理を食べる場所である以上、ラーメン屋も高級レストランも関係ない。

「相鉄瓦版」平成24年6月1日発行より。

アメリカ人がつくるラーメンと聞いただけでも、そんな店が繁盛するのだろうかと思ってしまう。アイバン・オーキンさんはアメリカの四つ星レストランでシュフを務めた経験をもつラーメン屋さんだった。

しかも、アメリカ人という物珍しさやユニークさが売りではなく、本格的なラーメンとして評価されるものを目指して、成し遂げていた。本当においしい正統派のラーメンらしい。

二本柱は「塩ラーメン」と「醤油ラーメン」だった。化学調味料は一切使ってない。麺はすべて自家製などのほかいろいろなオリジナルなこだわりもあった。

そこで、オーキンさんが気になっていたのが、ラーメン屋の料理人やスタッフに無愛想な人が多かったことだった。どんな店であろうとホスピタリティは持っているのが当然だと考えていたのだ。

というのも彼がニューヨークで働いていたフレンチ・レストランでは、オーナー・シェフは必ずお客さんのテーブルにいって挨拶していたからだった。やはり一流のところからは学べることも多そうだ。前提としては料理も美味しいのは当然だろうが。

「人がやることだから」と認め合うこと。

2012年06月12日 | Weblog

「相鉄瓦版」平成24年6月1日発行より。

芸能界きっての韓国通といわれる女優・エッセイストの黒田福美さんのインタビューがあった。その中でのワンフレーズだが、上記のフレーズのように考えるのは韓国人のほうだった。

日本人と韓国人で大きく異なることの一つが仕事に取り組む姿勢だった。日本人は完璧主義で、何よりも結果を重視しがちだという。それに対して韓国人は、努力を重ねて最善を尽くすことを重んじるらしい。

そして、結果が良くなかった場合に発するのが「サラミ ハヌン イリニカ」つまりこれは「人がやることだから」という意味の言葉だった。「人がやることには間違うこともある」「最初から完ぺきにできるわけがない」といわれればそう頷くしかない。

完璧主義の日本人とこのような考えの韓国人が仕事をしたら、かなりトラブルが生じそうでもあるな。黒田さんは、両方の気質を足して2で割ったらバランスがいいのにと思っている。

国によっても個人によってもいろいろだから、難しいこともある。また時間の観念でも日本は実に正確だとも思える。乗り物などは海外ではかなりいい加減なところもあるが、日本は実に緻密にスケジュールができているようだ。


言いたいことが相手に伝わったかどうかは話し手の責任。

2012年06月11日 | Weblog
言いたいことが相手に伝わったかどうかは話し手の責任。
「相鉄瓦版」平成24年6月1日発行より。

この号の特集は“ニッポン、良いトコ!変なトコ?”となっていて、外国人や海外通の日本人の目にニッポンの姿はどう映っているかということについてのインタビュー記事だった。

しばしば日本の常識が海外では非常識ということもいわれる。当然ながらその逆もありえるだろう。まあ、それは習慣の違いからくるものだからどちらが正しいとはいえないのだろうが。

タレントのダニエル・カールさんといえば、山形弁を話すアメリカ人としても知られている。実際山形に住んだのは3年ほどだったという。その後30年は東京暮らしだが、やはり山形弁には愛着があるらしい。逆に標準語になじめないというから不思議だ。

実に流暢な山形弁を話すので驚かされる。大阪弁や京都弁ならしばしばテレビで耳にすることはあるが、面白いことだが、むしろ山形弁は、このカールさんから聞くことが多いのかもしれない。

フレーズにあげた言葉は関西に暮らしているアメリカ人が言った言葉でアメリカでの話らしいが、日本では、むしろ聞き手の責任のほうが多そうだ。日本語の会話では「察する」「腹を探る」「顔色をうかがう」ことが求められるからだった。

「以心伝心」などという意味の英語はないそうだ。せいぜい「テレパシー」があるが、そんなことが、日本語での会話では必要だという。そういえば、日本語は曖昧な言葉が多いかもしれない。「いずれ、そのうち、おいおい」や「検討する」「善処しましょう」なども入るかな。

必要なのは「ドリーム(夢)」ではなく「タスク(課題)」だ。

2012年06月10日 | Weblog
必要なのは「ドリーム(夢)」ではなく「タスク(課題)」だ。

「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著より。

ここの項目のタイトルは“「老後のための貯蓄」よりもすべきこと”となっていた。将来の年金が不安である。果たしてどれだけもらえるのかどうか。

またもらったとしてもそれで十分とは言えそうもないからだ。年金だけで生活費をカバーすることは難しいと言われれば不安になってしまう。

森永氏は収入のレベルに合わせて、いかに生活をリストラできるかが、問題だという。老後の生きがいづくりに早めに投資することも必要だと提案している。

一日でも早く始めれば、プロとして自立できるチャンスが膨らむからだった。しかし生涯自分が活躍する場などあるのだろうかとも思ってしまうが。

夢を語っているうちは前には進まない。「いつかできたらいいね」という夢はまず実現しないものだ。やってみて違うことのほうがほとんどらしい。

だからこそのタイトルにあげたフレーズだったのだ。夢よりまず課題を考えることだった。好きなことで年金の上乗せできるかどうか。

何より一番の本業は「コレクター(蒐集家)」だと思っている。

2012年06月09日 | Weblog

「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著より。

これは森永氏自身のことを言っていた。一般には経済アナリスト名乗ってはいる。それにしても、大学教授、テレビ・ラジオでのコメンテイター、シンクタンクの研究員、作家、カメラマンなどと多才な人物だ。しかし、自身はコレクターだと主張している。

いつか新聞の記事にもあったが、さまざまなジャンルのモノを数十年にわたって数十万点も集めている。よほど好きでなければ継続できないことだ。しかも、それがまた商売としても通用してしまうのだから、価値がある。やはり何ごとも徹底的にやれば、それを認めてくれる人も出てくるということなのだろう。

他人から見ればまったく無価値だとも思えるものが、ネットオークションでは売れてしまうらしい。たとえば昭和初期のグリコのおまけが1個十万円で売れることもあるらしい。クリエイティブな感性があればこそ、十分なビジネスチャンスがあるともいう。やはり実際にそれを体験してきた人の言葉は説得力がある。

遊びと仕事の境目が曖昧になってきているという。確かにマニアだからこそ成功するビジネスというものがあるのだ。「複業」ができる人はすごいと思えるな。コレクションも量と質の問題だろうなぁ。


マニアに物を売るには、売る側もマニアでなければならない。

2012年06月08日 | Weblog
「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著より。

一般的にもたとえば、デパートで物を買う場合、私たちはその商品に詳しい販売員から買いたいと思うものだ。ゴルフ用品なら実際にゴルフが好きでやっている人でなければいい販売員にはなれないだろう。

もっとマニアックな商品になれば、売る側もマニアである必要が出てくる。サーフィンをやっていなければ、サーフボードは作れない。作り手、売り手はマニアの気持ちがわかっていることが最低条件になってくる。

ということは、マニア以外の人からみれば「変人」というふうにも見えるかもしれない。しかし、今後はこんな「変人」こそが価値があるのだという。

マニアはしばしばオタクという言葉でも表現されるが、そんなオタクがいるからこそ、ユニークな商品が開発され、また売れるのだろう。

森永氏は「変人」こそがクリエイティビティに溢れているという。確かに、ネットゲームに関心がある人は一部ではあろうが、実際に創作している人たちは、当然長年にわたってマニアに違いない。


ビジネスの最も大事な要素は、エンターテイメント性です。

2012年06月07日 | Weblog

「笑われた人が、ヒーローになれる」中谷彰宏著より。

つまり人を楽しませることができるかどうかが、ビジネスコミュニケーションの上でも大切なことだという意味だろう。たとえば予想を裏切ることもその中に入っていた。

もちろんそれはいい意味での裏切りだろうが。それはちょっとしたサプライズとも言えそうだ。エンターテイメント性とは、役に立たないことを真っ正直にやっていくことだというが、何となく頷ける。

私も長年そんな気持ちを日常の仕事の中に入れようと考えてやってきたからだ。人から見てムダだと思えることこそ自分には面白かったりする。それで相手が喜んでくれれば成功だ。

そんなことをして何かメリットはあるの?と人は言うかもしれないが、それこそが結果的にはいいコミュニケーションの元になっていたりする。

大多数から見ればムダなことでも、それに力を注ぐというのも面白い。私は役に立たなくても、面白いとか意外性があることが好きなほうだ。それが自分らしさの原点かもしれないな。

ヒンシュクを買う人は、開き直って、リラックスしている。

2012年06月06日 | Weblog

「笑われた人が、ヒーローになれる」中谷彰宏著より。

始めの部分で「開き直る」と「居直る」の比較があった。開き直るとリラックスできるが、居直るとこだわるのでストレスがたまるという。

人生を楽しむには、リラックスしていなければならない。リラックスすることで、本来の力を発揮できることも多い。逆に頑張って力を入れることで、力を発揮できずに終わることも多い。

開き直れば、時にはヒンシュクを買うものだが、それでいいようだ。考え方によっては、ヒンシュクを買うという行為で、開き直るチャンスを得られるのだともいう。

人からどう見られるかとか、嫌われないようにすることにあまりエネルギーを注がないということも、成功するポイントだという。これは筆者の体験からの言葉だろう。

つまり、自分が忙しくしていれば、そんなことは考えなくても済むのだった。ヒマだからこそ人のことを見ているのだった。多数派はヒマな状態の人だという考え方もちょっと面白い。


恥をかく瞬間に、人間は成長する。

2012年06月05日 | Weblog

「笑われた人が、ヒーローになれる」中谷彰宏著より。

この項目の始めの部分には、“ヒンシュクを買うということは、、恥をかくということ。人から笑われることだ”とあった。

仕事でも人から言われたお手本通りにやっていれば失敗もなく、笑われることもないだろう。しかしそれだけで満足がいく仕事または充実感を得られるかはやや疑問が残る。

情報が多くなれば、失敗しないで済む確率も高くなる。それだけ恥をかかなくて済むともいえる。その結果、恥に対する抵抗力がきわめて少ない状態になってしまうようだ。

むしろ成長しようと思うなら、率先して恥をかくべきだというのが筆者の主張だった。チャレンジしなければ、失敗もない。ノーリスク・ノーリターンともいえる。

何ごともチャレンジしてこそ学べることや知ることも多いものだな。いくら知識だけ増やしても、それを実行に移してみなければ、結果はどうなるかわからないものだし・・・


失敗した時に笑える人間こそが本当に自信のある人間・・

2012年06月04日 | Weblog
失敗した時に笑える人間こそが本当に自信のある人間・・・
「笑われた人が、ヒーローになれる」中谷彰宏著より。

そのあとには、「・・・余裕のある人間、ユーモアのある人間です」と続いていた。失敗しても笑えるというのは本当にすごいことだとも思える。それは真剣だから笑えるのだという。

ほとんどの人は他人のことを笑うものだ。ところが、ヒンシュクを買う人は自分が間抜けなことをしたと自らを笑えるらしい。そんな人は大物だとも思えてくる。

なかなか自分のことを笑えないものだ。失敗したらむしろ恥ずかしいと思ってしまう。また失敗して笑われるのが恥ずかしいからとチャレンジをしなかったりするものだ。

しかし、そんな大多数に埋もれているうちは何もできないのだった。確かに必ず人の失敗を笑う人はいるものだ。そんな人は決して何ごとも言いだしたり先頭にたって物事をしていない。

やはりそんなふうにはなりたくはないな。筆者は成功するためには失敗に慣れていくことだともいう。それで成功すればよりモチベーションは上がるのだろう。

「このことなら私がベスト」と言えれば何事にも強い。

2012年06月03日 | Weblog

朝日新聞「仕事力」コラムより。

これも同じく、海堂尊氏のコラムの3回目からのフレーズだった。Ai(死亡時画像診断)の推進者として走っているとき、これを阻む空気があったという。

その頃それに関する入門書を書いたのだった。まじめで詳しく良い内容だと自負したものの、売れなかったようだ。ニーズがあっても反発する人も多かった。

そこで、多くの人にわかってもらうためにはミステリーでAiを扱えばいいと思ったものの、なかなかアイデアが浮かばなかったという。しかし、あるトリックを思いつくと筆が進んだと振り返っている。

しかし300枚を書き上げたあとで、行き詰ってしまって、放り投げていたのだ。ところが、ある人物を投入すれば物語が動くと思って完成したミステリーを応募したのだった。

その小説「チームバチスタの栄光」が大賞となって、作家としても多忙になっていった。医療の現場からは小説は虚業でもあったのだ。ある意味異端児でもあったという。しかし、それでも自分がベストと思えればいいと考えているようだ。


自分ならどんな分野を陣地とするか。

2012年06月02日 | Weblog
朝日新聞「仕事力」コラムより。

これは「海堂尊が語る仕事」と題してあった第二回目のなかのワンフレーズだった。医学博士で作家でもある氏は今、Ai(死亡時画像診断)の普及を仕事としていた。これは死亡原因を究明するための手段ともなっていた。

しかし、その分野はまだまだ普及していないということから、氏が自分の領域として取り組んできていた。はじめはなかなか周囲の理解も得られなかったようだが、次第に社会的ニーズがあることも実感として確認できたようだ。

そこで、自分ならどんな分野を陣地とするかが大事なことだと述べている。一般の仕事にも言えることだった。地味で目立たなくてもいいのだった。自分が守るべきだという場所にピケを張るとも表現していた。

ある意味、ほかの人より詳しい仕事の領域、自分ならではの仕事をさらに深く掘り下げていくという感じだろうか。これについては、彼に聞いてみればわかるはず、と言われるだけでもすごいと思える。

中には反発する人もいるようだが、自分にしかできない大切なことをやっているという確信があれば、自分を奮い立たせてくれるようだ。やはり熱意はいつしか人に伝わるのだろうな。


結局、サラリーマンにとって何が売り物になるのか。

2012年06月01日 | Weblog
「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著より。

たとえ、景気が回復したとしても、企業は以前のようには正社員を採用しないそうだ。また正社員になったとしても、会社組織の中では、専門性を身につけたプロとなるのは難しい。

もし、転職を繰り返して補助的な仕事ばかりしている場合は、キャリアはまったく身につかないという。必要なのは積み上げてきたキャリアだった。

たとえば、「経理のプロ」「苦情処理のプロ」「総会屋対策のプロ」・・・など何でも、自分ならではといえる、売り物を身につけるもとがキャリアだったのだ。

営業ならどんなものでも売る自信があるというのも、すごいことだ。しかし、こんな売り物がある人はどこでも採用してくれるのだろうな。キャリアを磨くためには、自分から率先して希望部署への異動の自己申告をするのも必要なことだった。

売り物を特技と言い換えてもいいのかもしれない。誰にでもできそうもないことができる能力があれば、それを必要としてくれる会社さえ見つかればより活躍できそうだが。