ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

腹八分目ではなく、ときには、満腹するまで遊んでみる。

2010年01月16日 | Weblog
「遊びは知的でなくてはならない」日下公人著より。

この本のサブタイトルには、“仕事と人生を豊かにするために”とあった。遊びが充実してこそ、仕事にも打ち込めるというテーマに思えた。またその逆のことも言えるのだろう。

もし接待で遊べたとしても、それは経費を使っているわけで、それではほんとうの“遊び心”は芽生えないというような意味のことも日下さんは言っている。当然遊びはすべて自腹でやってこそ満喫できるものだ。

また、仕事にしても遊びにしても、いつも腹八分目のままだと、その八分目が、その人間のキャパシティになってしまうという部分にも共感できた。「よく遊び、よく学べ」というのとちょっと似ている。

そして、徹底的にやることで頭は切り換わり、人間の幅も拡がっていくようだ。振り返ってみれば、仕事も遊びも120%満腹するまでやったことなどいつのことだったろうか・・・

ある経営者は「朝っぱらから元気のいいヤツなんて、もっとも仕事をしていないヤツ。むしろ二日酔いで青い顔をしているような人間のほうが、よっぽど有能な人材だ」と言っているとか。う~む、わかるような、わからないような・・・

私たちは伝える側になったとき、言葉に頼る傾向がある。

2010年01月15日 | Weblog
「仕事耳を鍛える」内田和俊著より。

ところが、受け取る側になったときは、言葉以外のメッセージの方が圧倒的に多かったのだ。コミュニケーションはもともと「聴く」と「話す(伝える)」がセットになっている。そして、伝達手段は、言葉+ボディランゲージ+ボイストーンがセットになっている。

ボディランゲージの中身は、身振り手ぶりの他に目、表情、動作、態度、仕草、雰囲気、服装、化粧まで含まれていたのだ。威圧感などもこれに入るのだろう。つまり、視覚による情報がメッセージ内容を左右までしてしまいそうだ。自信がある態度かどうかなども説得力を大きく左右してしまう。

ボイストーンとは、声の大小、高低、強弱、話すスピード、抑揚、リズム、またその人独特の「声の表情」でもあった。筆者はそこで、「メラビアンの法則」というものを紹介していた。この法則では情報量を100とすれば、受け取る側としては言葉は7%、ボディランゲージは55%、ボイストーンは38%の情報量の割合だった。

こう見れば、言葉で伝えたつもりでも、実際にはまだまだ不足していることが分かる。たとえば、「怒っていない」と言葉やメールで伝えても実際に会って話してみなければ本当はよくわからないものだ。もしクレームなら電話ではらちがあかなくても、直接会って話すことで、その態度や声からも誠意も伝えやすいだろう。

こんなことからも、言葉に過信するのは考えものだとわかってくる。とにかく、言葉だけのやり取りでは誤解や行き違いが起こりやすいものだ。言ったつもりが、伝わってないこともしばしばだったり。

「聴くこと」は主に頭脳の仕事だ。耳ではない。

2010年01月14日 | Weblog
「仕事耳を鍛える」内田和俊著より。

このフレーズの後には次のように続いていた。「もし頭脳が聴くという活動に積極的に参加していなかったら、それは『聴く』ではなく、『聞こえる』と表現すべきだ。」

もうこれだけで、この本のテーマは述べられているような気もした。一般的には、聞いたつもりで十分だと思っていることが多い。しかし、それだけではすべてのメッセージのごく一部しか受け取っていなかったのだ。

言葉に耳を傾けるだけではなく、目の動き、表情の変化や声の調子にも注意と関心を向ける必要があった。そう考えると、「聴く能力」は一朝一夕では身につけられるものではなかった。結局努力なくしては、きっちりした聴く能力を磨くことは無理だったようだ。

ここではさらに突っ込んで、『聴く』と『聞く』について述べられていた。『聴く』は相手の真の要求(ニーズ)を的確に捉えられることができている状態。・・・言葉に表れない相手の真意を理解しているとき、となっていた。

また、『聞く』は、鼓膜は振動しているものの『聴く』には至っていない状態。・・・ただ聞こえてるだけ。相手の発する言葉を鵜呑みにしていることだった。

家庭内でも、適当に軽~く聞き流していると、あとでトラブルが起こったり・・・(まあ、我が家のこと、いや私のことですが・・・)

ロマンスグレーに匹敵する熟語が女性のそれにない・・・

2010年01月13日 | Weblog
「トリーノ」冬号より。(2009.12.18発行)

今月初め地元の図書館に行った際に、受付に置いてあった初めて手にするフリーペーパーだった。タイトルは“Toriino”とありツルが10羽ほど飛んでいる日本画の表紙だった。

しかし、一体どんな情報が掲載されているのか解らなかった。裏をみると発行は「日本野鳥の会」となっていたので納得した次第。ページを開いてみると、確かにきれいな風景や野鳥の写真を見ることができた。

その中で、写真家の藤原新也氏が女性の写真とエッセイを寄せていた。そこでのタイトルは「歳をかさねるということ」となっていて、文章の前に3つのセンテンスからなる、詩があった。短いので転記してみたい。

・・・木に年輪があるように人にも年輪がある。人の年輪は自らが刻むもの。人に会うて、その年輪の美しさを見る。・・・

藤原さんは6年前、郷里の女性を撮った写真集『花音女』(はなおとめ)を出版していた。その表紙を飾ったMさんに6年ぶりに会う機会があったのだ。氏は、女性が歳をとることでより魅力的になるということは、男性に比べれば稀だと思っていたようだ。

そんなことからも、かつて少女の面影を残していたイメージとかけ離れているのではないかと想像していたらしい。しかし、実際に会ったMさんは、ふくよかさを身につけ年月相応の歳の重ね方をしてきれいになっていた。この誌面にはどちらの写真も掲載されていたが、まさにその通りだった。

このエッセイの最後のほうには次のように書かれていた。「人間いくつになっても歳相応の魅力がそこにはあるはずだ。それはそれぞれの年齢を自分らしく生きた者にこそ与えられるご褒美のようである」と。先ほどの短い詩はMさんに再会した時に感じた藤原氏の感想だったのだ。

雑草でも、雑草だからこそできる遊び・・・

2010年01月12日 | Weblog
「うれしい日にはプレゼント」本田葉子著より。

このフレーズ自体よりも、ここでのアイデアが新鮮に思えたので書き残しておきたいと思った次第。雑草と言うと、自分が名前を知らない草をそう言ってしまうもの。だが、ここではしっかりと“へびいちごとオオイヌノフグリ”という2つの名称がでてきている。

筆者の仕事場の近くには、春になるとへびいちごの真っ赤な実がころころと産まれてくるという。確かにかわいくて、きれいでもある。かつて私はこれをワイルドストロベリーと同じではないかと思ったほどだ。しかし、よく見れば、へびいちごの花は黄色で、ワイルドストロベリーの花はピンク色をしていた。

本田さんはそれをいく粒かつんで持ち帰り、藍の骨董のお皿に入れて、オオイヌノフグリを周りを囲むように並べるのだそうだ。霧吹きでシュッと水をかければ少しは新鮮さを保てるらしい。

ティータイムの時間だけでも、テーブルにこんなものがあると華やいでくるという。食べれはしないもののごちそうに思えるようだ。雑草だからこそ、お気楽につんで遊ぶことができるというのもいい。春夏秋冬、季節のお皿を楽しめそうだ。

初夏には、自宅のブラックベリーでもやってみるかな。あれは食べてもけっしておいしくはないが、花や実は眺めるだけでもきれいなものだし。もちろん知らない野草でも可能なアイデアだった。

そういえば、子供のころには自宅の周辺にいろいろな雑草が生えていたが、今ではそんな風景さえも少なくなってしまった。雑木林や原っぱで遊んだあの頃が懐かしい。もう今では雑草遊びさえできなくなってしまっているか・・・。

小さなものほど大きな思い出がくっついたりしているもの。

2010年01月11日 | Weblog
「うれしい日にはプレゼント」本田葉子著より。

これは贈り物についてのエッセイとたくさんのイラストによって出来てている一冊だった。自分がうれしい日には、誰かにプレゼントしたくなるという。また誰かがうれしい日にも「よかったね」のプレゼントをするという考え方だった。

つまり筆者の本田さんは、いっしょに喜びあいたい、いっしょに楽しみたいという気持ちを、プレゼントという形に変えて贈りたいと思っているのだった。

身近なところでは、ひいきしているスポーツチームが優勝したら気の合う仲間同士で祝杯をあげるというのとも似ていそうだ。

かつて、母校があるスポーツで優勝した時にはそんなことをした覚えがあった。別にプレゼントはなかったが、楽しいひと時を過ごせたものだ。

また、仕事などで一区切りついたときの打ち上げ、というのも仲間同士で一緒に喜びを分かち合ういい機会かもしれない。

物をあげたり、もらったりすることの中には、自分だけの思い出がついていたりもする。それは大きなもの、高価なものである必要はない。むしろ、小さなものに思いを詰め込んであるほうが印象深いかもしれないな。

「周囲が反対するときこそ、実行するべき」という信念。

2010年01月10日 | Weblog
「プレジデント」2009.12.14号より。

これは「ネバー・ギブアップ」というタイトルで書かれている中での、銀座テーラーグループ社長の鰐渕恵美子さんの言葉だった。ここでは“生き残るためには変わらなければ”というのがテーマになっていた。

それまで専業主婦であった鰐渕さんが、バブル崩壊後に社内の改革が必要だと仕事に取り組んだのは92年だった。放漫経営からの危機感を感じて生き残るための社内改革を行ったのだ。

まず当時男性だけをターゲットにしていたテーラーの世界に、婦人服を持ちこみ新しい市場を開拓しようとした。ところが、当然ながら古い社員からは猛烈な反対があった。そこで「反対するなら私の考え以上の提案をしてほしい」と訴えたという。

結局社員は「そこまで言うなら」ということで、鰐渕さんの指示に従ったのだ。彼女は二人の娘が通う学校の母親たちに服を売り歩いたのだった。(二人の子供が娘だったというのも幸運だったのだろうか、またそれを活かそうという着想もすごい)それが業務回復の原動力になり今では主力事業だという。

さらに社長に就任してからは、若い人たちの育成のために「テーラー技術学院」という教育事業を始めていた。会社の永続発展のために必要なのは、自社の業務に“究極の付加価値”をつけていくことだというのが信念でもあった。そして、銀座テーラーにとっての付加価値は、お客様の素晴らしさだという。それは、政財界のトップクラスの方々が会社を支持してくれていることだった。

鰐渕さんは、『五年、十年先になって、お客様に「そうか、銀座テーラーは洋服屋だったのか」と驚かれるように進化したいものです』と語っている。それに必要なのは“ネバー・ギブアップ”の気持ちを持ち続けることだと思っている。

(蛇足)ダーウィンの「種の起源」・・・「生き残るものは強いからでも賢いからでもない。環境に最も適応したものである」という部分もしっかり引用されていた。

変化に向き合うときの「勇気と楽天性」。

2010年01月09日 | Weblog
「プレジデント」2009.12.14号より。

(前日のつづき)
茂木さんはここで「偶有性」という言葉を使っていた。これは「人生どうなるかわからない」ということでもあった。とくに幕末から明治にかけては「偶有性」に満ちた時代だった。自分の人生がどうなるかわからない。また国の行く末も確証が持てない時代でもあった。

つまり現代も同じように、景気は低迷したまま、少子高齢化が進んでいる、年金もこの先不安がある。何となく行き詰まっている気もする。もしこんな時代なら司馬作品の登場人物ならどう立ち向かっていくのかと考えても興味深い。

茂木さんはこの「偶有性のプリンス」の筆頭格は坂本竜馬だという。時代の宿命から逃げられず、真っ向から勝負した人物だったからだ。

その偶有性に向き合うための一つの大事な資質が「楽天性、明るさ」だった。そして司馬文学が魅力なのは、夢や希望を描いていたからだろうと分析している。

「志」こそが、最も教育することが難しい・・・

2010年01月08日 | Weblog
(さらに前日のつづき)
「プレジデント」2009.12.14号より。

かつて司馬遼太郎は、自分が納得する小説のため、全力投球で執筆に専念していた。その結果あらゆる義理を欠いてしまい、大阪の街を顔を上げて歩けなかったほどだったという。

何事かをなすときに「すべてを犠牲にしてでもやり遂げる!」という「志の高さ」は必要だと茂木さんはいう。それは作品に登場する人物にも投影されているようだ。

英語や数学ならば、個人のスキルは他人が教え込むことはできる。しかし、肝心のやる気、志は他人が教えられるものではなかった。また「志」が生まれるためには内面的な感情も豊かに発達していなければならなかった。

その点、司馬作品に出てくる人物にはみな喜怒哀楽に満ちていたのだ。こんなところにも、「志」が生まれる基礎があったのだろう。ここでは、“「強い志」を持って作品に取り組む姿勢”をとり上げている。

脳にはトリセツ(取扱説明書)がない。

2010年01月07日 | Weblog
「プレジデント」2009.12.14号より。

(前日のつづき)
これもまた茂木さんらしい表現に思えて、ちょっと気になった次第。司馬文学の面白さの一つは、歴史上の人物たちが生き生きと躍動する、その生命力の強さだと指摘している。つまり「魅力的な個人」というのがキーワードだった。

たとえば、“坂本竜馬は現代的な感覚でいえば、大企業を自主退社し、自ら起業したベンチャー企業の社長のようなもの”という表現は面白い。当時、脱藩は大罪で、捕まれば死罪と考えれば、竜馬の決意はものすごいものがあったと気づかされる。

今輝いているのは、一部のスポーツ選手や芸能に携わる人が多いようだが、企業人、経済人、政治家にこそ「輝く個人」が必要とされていると茂木さんは語る。

しかし、どのように脳を鍛えたら、人生の正しい道を歩めるのかという解決書がない。つまりそれが、脳にはトリセツがないということだった。人生の正しい道を歩もうとか、そのための脳の鍛え方など考えたことなどもない。

さらに面白い表現は、「自分の個性を探るのは、まるで宝探しのようなもの。自分の頭にある脳という名の宝箱に何が詰まっているのか実は気づいてない人がほとんどである」ともいう。

それに気がついた人物は魅力的な人物(=輝く個人)だと言えるのだろう。そこで、司馬文学がウケている理由は「組織や肩書に頼らない“掟破り人材”」が描かれていることだった。

真の学習は、自らの身体を動かしてのみ習得される。

2010年01月06日 | Weblog
「プレジデント」2009.12.14号より。

この号のテーマは「司馬遼太郎と幕末・明治の人物学」となっていた。その中で、茂木健一郎さんは「なぜ上に立つ者は司馬さんに惚れるのか」と題して書いていた。

年収1000万円以上のビジネスエリートに「好きな著者」を聞いたアンケートで一位に輝いたのが司馬遼太郎だったのだ。別にビジネスエリートに限らず、司馬文学のファンは国内なら幅広くいるだろう。

茂木さんは、どうして司馬遼太郎が選ばれているのかの理由をいくつかあげていた。司馬文学には「現代社会に通じるビジネス感覚や大局を動かす人物に共通する素質を読みとることができる」と語っている。

そして、ポイントは「実務感覚」が色濃く反映された物語ということだった。「実務感覚」とは、現場主義ということでもあった。ある事態に直面した時、問題解決するのに必要なのは、机上の空論では意味がない。

まずは行動力が大事なことだった。司馬作品に登場する人物たちはそれをしていたのだ。フレーズにあげた部分は、いかにも茂木さんらしい表現でもありそうだ。

「面白くてためにならない…」

2010年01月05日 | Weblog
「朝日新聞」(別刷り)2010.1.1より。

(前日のつづき)
質問が、「テレビ・ネットとの違いは?」という部分で、小沢(昭一)さんが語っていたことだった。小沢さんは、テレビもネットもどうとも思っていない。ただ流れに身をまかせるだけだと語っている。

ラジオでは永(六輔)さんも、小沢さんも実に独特の庶民的な語り口で親しみ感がある。小沢さんは番組では教訓的なことは一切言わないことにしているようだ。そういう基本があってこそ面白い番組になるのだろう。

そして、昔、芸能座をやっている時のキャッチフレーズが『面白くてためにならない芸能座』だったという。今の番組も基本的に同じような気持ちでやっているようだ。それが、長く続いているヒケツだろう。

永さんは、小沢さんの4年後輩に当たるので、“僕の先生”だと思っているようだ。しかし、小沢さんからは、「永さんは目配りがすごい。時代感覚、アイデア、斬新さ。尊敬してますよ」という言葉が漏れる。

実際永さんの声は歯切れもよく張りがあって、若々しく感じるほどだ。しかも豊富な教養を感じさせてくれる。世の中を見る目は厳しいのだろう。とうてい並みの人間にはついていけないほどだ。

自分ですいた紙で1万通以上の投書をくださっている。

2010年01月04日 | Weblog
「朝日新聞」(別刷り)2010.1.1より。

元旦の別刷り版には、ラジオ特捜隊として“長寿番組のヒケツと魅力”というタイトルで特集記事があった。インタビューされているのは、小沢昭一(80)さんと永六輔(76)さんだった。

ともにお化け長寿番組のパーソナリティーで、TBS系で「小沢昭一の小沢昭一的こころ」(37年間)と「永六輔の誰かとどこかで」(43年間)だった。

とちらも、何度か聞いたことはある。インタビューでは「長寿の要因は?」と訊いている。そのなかで、永さんは、「遠藤さん(番組での相手)、手紙、スポンサー」の3つのおかげだと答えている。

そこで驚いたのは、山梨に住むある紙すきの職人さんは、自分ですいた紙で1万通以上もの投書をくださっているそうだ。もし、はがきなら50万円分、手紙なら80万円にものぼる額になる。

すごいファンがいるものだ。このような熱狂的とも思えるファンがいるのは強い。やはり永さんの魅力があるからなのだろう。

また、小沢さんは番組に関わっているプロデューサーが初めからずっと同じで、会社を定年退職してもまだ関連会社で担当しているからだという。気心が知れているからやりやすいようだ。

こう訊くとこれはという絶対的な強い味方がいることが長寿番組の要因であることがわかる。何事も継続するには、一人の力だけではなく、それを支える人がいるものだと気づかされる。

目前を駆け抜ける10秒のドラマ・・・

2010年01月03日 | Weblog
「メトロエイジ」(2009.12.27)1月号より。

地下鉄の駅で配られていたフリーペーパーの特集は「箱根駅伝」だった。年末年始のテレビは特番ばかりで飽きてくる。すでに12月に収録が終わっている番組を流しているものの多い。相変らすお笑い芸人が早朝から深夜の時間帯まで出ている。

しかし、新年の番組でも最も新鮮に観られるのが「箱根駅伝」ではないだろうか。膨大なトレーニングを積んできた選手たちの晴れ舞台が2日間にわたって続く。一度観始めるとその場を外すのがもったいなくなるくらいだ。

関東の大学による駅伝だが、全国の高校生があこがれている。20チーム(19大学+関東学連選抜)で200人のランナーだけが走ることができる。出場大学の選手は大学名のタスキをかけて走る。

この駅伝で知名度が一気に上がる学校もある。時にはそんな学校があったっけ、と思うこともある。もちろんその所在地さえ知らない。しかし、駅伝での活躍を通して関心が出てきたりもするものだ。

さて、フレーズは司会者、アナウンサーとして活躍する徳光和夫さんの感じていることだった。徳光さんの自宅はランナーが走る8区の茅ケ崎にあった。そこで、毎年のように自宅から自転車で走って、沿道観戦している。そして、選手一人一人に向って応援の声をかけているようだ。

沿道の観戦者にとっては、あっという間に走り去ってしまう。その時間はわずか10秒間だけだが胸が熱くなるという。やはり生で観戦するのは違うようだ。観戦を終えて帰宅する時、一年分の元気をもらったように、いつも晴れ晴れとした気分になると語っている。

やはり温かい部屋でテレビで観ているのとは臨場感が全く違うのだろう。やはり箱根駅伝には特別なものがあるようだな。前評判通りだったり、意外性があったり。今年も素晴らしい抜きつ抜かれつのドラマを見せてもらいました!

どれだけ柔らかい心と筋肉を持っているかが大事・・・

2010年01月02日 | Weblog
ホームページ「どらく」2009.12.29より。

甲斐よしひろのインタビュー記事の中で、「いつまでもカッコいいのはなぜ?」と訊かれたときの返答だった。はじめは「えー!」と笑っている。

そして、「歌うというのは体全体を鳴らすこと」だと話す。彼は20代後半から毎日プールで5、6キロ泳いで鍛えているようだ。それは鋼のような肉体を作るためではなく、柔らかい筋肉を作るためだった。

柔らかい心の入れ物を作って柔らかい感性を育みたいと思ってきたと語っている。実にユニークな表現と考え方だと思った次第。50代後半の現在は、そのおかげでリラックスできているようだ。

つまり実際に体の柔軟性を養うために毎日プールで泳ぎ続け、それを入れ物として考え、様々な創作活動をしていきたいということだろうか。やはりアーティストは面白いことを考えるものだな。